第7話 闇夜に出ない月(星神操音・桜待紬・ノーデル)

【西暦2031年@地球】


 愛おしいのなら護ればいい。

 愛したいのなら傷つけなければいい。

 愛がほしいのなら愛せばいい。


 そんな言い分が通る世界には到底生きていない。


 愛おしかったから突き放した。

 愛したかったから傷つけた。

 愛が欲しかったから憎んだ。


 桜待さくらまちつむぎ

 僕の愛した人。


 ——愛している人。


操音あやねさん」


 久しぶりに台所に立って居ると、近頃ここに住み着いている、ノーデルと言う怪しい男が僕に何やら言ってきた。


「何ですか」

「何をしているのですか? いつも料理をするのは紬さんでは」

「料理をするのは彼女ですが、僕はお菓子を作るのが趣味でしてね」


 そう言うと聞こえがいいが、僕が作るのは焼きドーナツだけだ。それしか作ったこともなければ、それ以外に作れるものもない。


「ドーナツですか?」

「そうですよ。よくわかりましたね」

「その形を見ればわかります。それに、お菓子作りは俺も得意とするところですよ」

「おや。それでは、手伝ってもらっても?」

「もちろんです」


 黒縁眼鏡にひょろりと長い体躯と言う、とてもお菓子作りが好きそうには見えない容貌をして良くもそんなことを。


「そういうことを言うのは良くないですよ。ルッキズムです」

「何ですか、それは」

「いえ、知らないのなら良いでしょう」

「気になりますね」


 それ以上言う気はないらしい。新しい知識を獲得する機会を他人から奪うなんて、酷い人だ。


「こうしていると昔を思い出しますね」


 粉を混ぜて捏ねながらノーデルが言う。大人の力だけあって、ぐんぐんと粉がまとまっていく。わけあって未だに少年の体を持ち合わせている僕では粉がまとまり切らないことが多いから、これは助かる。


「妹のために色々作っていた時期があったのです」

「妹さんがいらっしゃるんですか」

「ええ。とても可愛いですよ」

「ノーデルが僕らに協力してくれるのは、妹さんのためですか」

「そうですね。いつ頃か、あの娘が『世界から戦争がなくなったらどうなるのだろうね』なんて呟いたことがありまして。丁度暇になったのでやって見ようかと」

「そんな簡単な想いで、ですか。何だか複雑ですね」

「操音さんの方は随分入り組んでいるようですね」

「——神に挑もうなどと思ってしまったことがありましたから」


 そんな欲張りで傲慢な願いを抱いたから。

 僕らは相応の罰を受けた。


「これで焼けば良いですか」

「ええ、お願いします」


 予熱したオーブンに、円い小麦粉の塊を放り込む。焼きあがるまで少し時間がある。


「今日は新月なのですね」


 窓の方を見やったノーデルが呟く。

 四角い切り抜きの外には何も浮かんでいなかった。


 いつも通り、窓辺に座るあの人の背中が見える。


 まるで、許してくれと懇願するかのように座って居る。


「幸せにするなどと嘘を吐いて。僕を幸せになどできなかったくせに」


 なり切れなかったペテン師。僕に贈るまごうことなき幸せを目指したが故の、僕の感じる紛れもない不幸。

 その不幸せを招いた代償として彼女は声を奪われて、あそこにただ一人座って居る。


「操音さんは彼女を許したりはしないのですか」

「まだそのようなことを言ってはいません」


 彼女は喋らない。だから、こうして彼女を咎め続ける僕のことをどう思っているのかはわからない。

 憎んでいるのか。

 恨んでいるのか。

 嫌っているのか。

 判らない。


 きっと、


「十中八九、『殺してほしい』だなんて願っているのでしょう」


 僕に許されることもできずに、自分の行為が贖罪になるのかもわからずに、ただ座って居ることに耐えきれず、死を願っていることだろう。


「当分死なせはしません」


 死んでもらっては困る。



 焼きあがったドーナツを型から外し、皿に盛る。今はここにいない二人の仲間のために、ラップで包んで冷蔵庫に取っておく。


「紬」


 窓辺の彼女の傍で囁くと、人形のような瞳がこちらを見た。


 幾度見ても美しい。


 初めて会った時から変わらず、僕の胸を高鳴らせる。


「……」


 声は聞こえない。それでも言いたいことくらいはわかる。


「生きて下さい。殺しませんから」


 殺さないと言った時にだけ残念そうな顔をする。そして能面に戻り、僕の差し出すドーナツに手を伸ばす。


 ああ。

 たった一言、僕が赦すとさえいえば彼女は救われるのに。


 その言葉を告げないから、彼女はいつまでもここで虚空を睨み続ける。いわば最上級の呪い。

 僕だけが彼女を救える。


 紬は知らない。

 僕がもうとっくに彼女を許していて、それでも許すと告げた時に彼女が居なくなってしまうことが怖いから黙っていることを知らない。

 僕がずっとずっと彼女を愛していて、手放したくないがゆえに憎んでいるようなふりをしていることを知らない。

 僕がどれだけ苦しいかを、知らない。


「一生、このままでいて下さいね」


 許してしまうことであなたが僕のもとから離れて行ってしまうのなら。たとえ恨まれても構わないから、あなたを留めておきたい。


 あなたに結婚でも申し込めていたのなら、僕は今よりあなたに寛容だったのに。


 あの時買った指輪を今も渡せないまま。


 今はまだ渡せないから。


 指輪と言うには随分足らない環だけれども。

 この焼き菓子を、あなたに捧げます。


 月の出ない今夜、口に出せない愛をあなたに贈ります。

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