第6話 親 (禊禧祭・小野寺美代・小野寺翼・小野寺翳)

【西暦2021~2022年@地球】


禰々ねね! さいわい! あまり遠くに行くなと——」


 スーパーへ買い出しに来て、早々と駄菓子のコーナーの方へ姿を消した二人の妹に向けた声を取りやめ、右肩後ろから声をかけてきた女性に目を遣る。


「こんにちは、まつりくん」


 小野寺おのでら美代みよ。幼馴染の母親。


「こんにちは、おばさん」


 今では見下ろすようになった彼女に頭を下げると、


「やあねえ、まだ小五なのに礼儀正しくって。ほんと祭くんはいつ見ても立派だわぁ」


 にこにこと世間話に移行しようとするおばさんを遮って質問する。


「どうかしましたか?」


 あら、と眉を上げたおばさんは、何やら心配気な表情を作った。


「いえね、祭くん、つばさと同じクラスでしょう? 最近あの子どう思う?」


 翼――小野寺おのでら翼。今目の前にいる彼女の娘であり、俺の幼馴染。


「どう思う、とは」


 曖昧な質問は苦手だ。


「最近私と話してくれないのよ、あの子。たまに話してくれても素っ気ないし」


 小学五年生なのだから、少し早めの思春期に入ったと考えるのが正しいのだろう。しかしそれを母親である彼女に伝えるのは気が進まず、


「さあ……俺もあまり話していませんから」


 嘘だ。本当は休み時間のたびに話しかけに行っている。そのせいで翼に友達ができないんだろうな、ということも薄々わかっている。

 だって、俺がいればいいじゃないか。

 友達なんていなくても。


「そうよね……頑張って話してみるわ」


 頬に手を当てて呟くおばさんを手前に、今日の夕食について考える。


「うん、ありがとう祭くん」


 何にもならないことを一つ、二つ言っただけなのに、おばさんは納得して行ってしまった。愉快なことだ。


 しかしまあ、面倒なことだ。俺が好きなのはあなた自身ではなくあなたの娘の翼なので、もう話しかけないでください、なんて言えたらどんなに楽か。


 ——言い忘れていたか。

 小野寺翼は、俺の想い人だ。数年前から、はたまた数十年前から、もしくは数百年前から、下手をしたら来世の来世でも、ずっとそうだ。

 なぜ自分がここまで恋焦がれているのかすらわからない。わかるのは、恋心と狂気との二つが、歴史に残る彼の大戦のように、引くほどに恐ろしい攻防を繰り広げているただその事実だけ。


「兄がろくでもないことを考えている顔をしております」

「その通りです。きっとまた羽をもつ姉のことに違いないのです」


 翼という漢字の中に含まれる、わずかな部分である『羽』をいちいち取り出し、『羽の姉』、だなんてまどろっこしい形で、妹たちは翼を呼ぶ。


「兄はいつでも彼女のことを考えています」

「それほどにまで考えて何がしたいのでしょう。まるで狂っているかのようです」

「うるさい」


 二人の連れてきた駄菓子を籠に放り込んで、会計所を目指す。


「母たちがいないため、今日は菓子を買うチャンスなのです」


 聞いちゃいないことをぺちゃくちゃ喋りながら、二人の妹が俺の後をついてくる。


「しかし兄」

「彼女が傷ついたら、あなたはどうするつもりなのです?」


 そんなぞっとしない問いを投げかけてきたりもする。


***


 示すへん、と言う神事をつかさどるらしい部分を名前に持ちやがる我が妹たちは、どうやらその神秘的なつながりを十分に利用して、予言なんて言うとんでもないことをしでかしてくれたらしい。

 事が起きたのは、俺たちが小学校の最高学年になった年のことだった。


まつり


 体育館裏、なんて言う場所で。

 膝を抱える彼女を目にしたのは、校舎を三周ほどして疲れた後だった。


「何しに来たの?」


 汗を垂らして膝に手をつく俺とは裏腹に、体操服のズボンをはいて悠然と地面に座る彼女は、汗一つかいていなかった。


「何があった」


 彼女の質問を最優先にしよう、なんていつもは考えるところだが、とてもそうは行かなかった。


「別に何もないよ」


 嘘に決まっているだろ、なんて声を上げるのも憚られるほどに翼の声は震えていて。一人称が語るこの文章ならば俺が叙述しなければわからない些末なことだろうけれども、耳にした俺にとっては、その声が鼓膜を震わすよりも前に再び足を踏み出したい程に危機感を覚える。


「何もなかったら俺がここに来るわけがないだろう」

「君が来たってなにもできないよ」

つばさ


 俺にとっては君に拒絶されることだけが世界で怖いのに。


「来ないでよ」


 顔も見れないこの距離で、近づけないままに君を見なくちゃいけないだなんて、


「来たら君が嫌いになるよ。居てもいいからさあ、来ないでよ」


 その理由が例えば、俺に泣き顔を見せたくないだとか可愛らしい理由だったとしても、到底許す気にはなれなかった。


「嫌いになれよ。なっても俺は好きだよ」


 幾度となく好意を向けても意思はすれ違うんだから、嫌われたとしても一方的に思いを向けてやる。そんな気持ちで、縮こまった背中に手をかける。


「馬鹿っ、ヘンなとこ触んな」


 俺に文句を言いながら振り上げた右腕を掴む。


「ッ」


 そのまま肩ごと持ち上げて顔を覗こうとすると、随分と暴れられた。


「怪我する」


 誰の所為だ、何て声が聞こえた。


「元々怪我してるんじゃねえか」


 思わず語気が荒くなる。最近気を付けているのに。


「女子が顔に傷とか」

「黙って」


 こめかみの辺りから頬の半ばまでみみずばれ。そうして額には何やら流血の跡まである。


「心配しないわけがないだろ」


 秋口の風が肩の上を通り過ぎる。上着を着てきてよかった。


「君ならわかってるだろ、何があったかくらい」

「知らない」

「嘘だ」


 本当だ。先ほど、休み時間になってすぐに隣のクラスの友達から、『小野寺おのでらがさっき教室を飛び出して行った』だなんて報告があった。それを聞いてすぐに探しに出たわけだから、本当に何も知らない。俺にできる推測は、彼自身がバツの悪そうな顔をしていたことから、奴が下手人か、はたまた事件が合ったところを見ていてなにも出来なかったクチかどちらかだろうという、というくらいだ。


 怪我の状態が確認できたので、コンクリートの上に腰を下ろす。左隣に翼の匂いがする。


「次の時間が始まるけど」

「話を聞くまで帰らない」

「馬鹿」


 馬鹿でも愚かでも、翼を傷つけた犯人を知るまでは帰れない。


「その正義感みたいなの、要らないんだってば」

「正義感じゃない」


 恋だ。


「何がいけないんだろうね」


 ようやく話す気になってくれたか、と耳を傾けモードに移行する。


「ボクがボクって言っちゃいけないかな」


***


 翼から聞いた話をまとめると、要は彼女の一人称の問題だったらしい。下種な男子がどうにも馬鹿だったようで。翼が自分自身のことを『ボク』だなんていうのが気に入らなかったらしく、そのことについて随分言ってきたのだという。まあそのくらいはよくある話だ。今までにも幾度か聞いたことのあるようなストーリーで、それだけ聞くと俺が後でその首謀者に釘を刺せばいいように思う。

 しかし話はそこで終わらない。寄りにもよって最高法規が出てきやがった。


 小学校における最高法規と言うのは、何も校長ではない。俺たち子どもにとっては、担任そのものが最も脅威になる。


 今回のクラス替えが良くなかった。大人しく俺と翼を同じクラスにしてくれればいいのに、幼馴染だとかカップルだとか(違うんだなこれが)って言う噂をまともに受けたらしい上層部が、意図的に俺たちを分けたと聞いている。担任ガチャ、などと言う世界で最も忌むべき運試しの結果、翼は今年、頭の固い還暦近くのおばさまのクラスになってしまった。

 まああの歳ならば一人称だとか男女問題だとかには厳しそうだな、と言うのは容易に想像がつく。

 好きにすればいい。

 でも、それが翼と関係するのならば話は変わる。


 何を置いてもその狼藉を許してはならない。


***


「なんとまあ。そんなことが」


 家に帰ってから、翼の実兄であるきぬがささんに電話で今日あったことを報告する。翼は普通に家に帰って、特に何もなかったように過ごしていると言う。


「教えてくれてありがとう、祭くん。ねえ、その担任さあ」


 親に連絡したりするタイプかな、と訊いてくる。


「そうかもしれません」

「とするとまずいなあ」

「何故ですか」

「翼ちゃん、親の前では『私』って言ってるんだよ」

「え?」


 それはかなりまずい。


「だろ? 残念ながらうちの親は個性を認めるタイプではないし、自分の娘の一人称がそう言ったタイプだというのは彼らに歓迎されることではないだろう。僕自身、幾度となくそう言ったことに突っ込まれているしね」

「結局、あの後教室に戻って何も言われなかったそうですが。翼は嘘をつきますからね」

「そうだね。ああ、どうしよう。僕はニートだと思われてるから、難しいんだよなあ」


 翳さんは、大学を中退した後にホワイトハッカーなどと言う怪しい職業についている。怪しいその職業のせいで、親御さんからは信任を得られていないらしい。と言うか、仕事のことを親御さんに明かせないんだとか。


「それまでの実績があるからね、それほど失望されてるわけじゃないんだけど」

「子供部屋おじさんになりますよ」

「祭くん、それでどうする?」


 変なことを言ったので話題を変えられてしまった。


「俺には残念ながらどうしようもありませんが」

「そっかあ。……」


 しばらく受話器の向こうの音が途切れる。

 フルパワー思考モードのようだ。

 ああ見えて翳さんは全国トップの頭脳を持つ非公式の天才だからな。

 この前共通テストを解いて満点を出してみたとかよくわからないことを言っていた。


「じゃあ、親は切っとくか」

「え?」

「別に、母親と父親がいなくたって僕がいればいいよね。元よりあの娘はそれほど二人のことを好いていないし」


 怖いことを言う。怖いくらいの溺愛の声が聞こえる。


「うん、それでいい。ありがとうね、祭くん。ちょっと僕はこれからいろいろ準備があるからお暇させてもらうよ」


 言い終わらないくらいのうちに切れたので、思わず受話器と見つめ合ってしまった。


***


 きぬがささんの予想通り担任はつばさの家に電話を掛けたと言う。クズだな。

 そろそろ翳さんに首尾を聞いておかなくては。


 三日後くらいの帰り道、いつも通り翼を送って家の前に着くと、前から美代みよさんが歩いて来るのが見えた。秋だというのに日傘を差している。


「あらこんにちは、祭くん」

「こんにちは」

「そうだわ、聞いてくれる?」


 俺の返事を待たないうちにぺちゃくちゃと喋り出す。その多くが翼の件に関することで、概ね彼女は否定的だということが読み取れた。


「そうなんですね。要は、美代さんは翼の一人称が気に入らない、と」


 じゃあ放っておけ、俺が翼を一生見てやるから、くらいのことは言いたい気分だがそうは行くまい。


「そうなのよお。あの子、男の子でもないのに『』だなんて」


 『ボク』な。

 その違いはいいけれども。


「そうですか。すみません、そろそろ妹を迎えに行ってもいいですか」

「あら、偉いわね祭くん。それに比べて翳は……」


 まだ話が続きそうだったので、失礼しますと頭を下げて後にする。本当に話が長い。それに、妹を迎えに行く用事など存在しない。勝手に帰って来い。



 親って何なんだろうな。

 子供を守るものであるべきだとか散々言われているのに、時には子供を縛る枷にも檻にもなりうる。

 それでいて、まるでゆりかごであるかのような顔をしている。


 悪魔みたいな存在。


 親には子供以外があっても、子供には親しかいないのだから。拒絶しなければいけない状況が、どんなに辛いのか。


 あなたが子供を思う気持ちに異論を唱えようとは思わない。


 でも、その気持ちでどうか子供自身を傷つけないでほしい。

 そんな風に、言えたなら。


 俺はもしかしたら、翼を助けられたのかな。


 今度は、もっとうまくやらないと。

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