第5話 裁き(七羽ツバサ・冥界の王)
【日時・場所共に不明】
僕と言う人間の最終話。
どこか面倒そうな素振りをした少女を前に、僕は跪いていた。
「貴様の名前は?」
「
死んでから数年が経つ。数年間はずっと、賽の河原で石を積んでいた。——遺志を摘んでいた。
気だるそうな冥界の王はぱらぱらと冊子をめくり、同じくだるそうに、
「地獄行きだ。せいぜい精進しろ、行いが良ければ楽園へ行くこともできる」
ああ、楽園ってあったんだ。
地獄って言う強い言葉を聞いて衝撃を受けてもおかしくないのに、どこか冷静に僕は考えていた。
「貴様は確かに数々の罪を犯した」
「承知しています」
首を垂れると耳元にそろえた髪が揺れた。
色素の薄い赤毛が嫌いだったと思い出す。
「それでも、一人の少女がお前を許したな」
「承知しています」
わずか齢十で命を落としたこの身。
自分が生きてきた年数よりもはるかに長い年数を生きた人々の命を数多くかき消してきたこの身。
全身を真っ赤に染めたこともあった。
やられている方だけでなく実行している方も苦痛で声を上げるような拷問を配下に命じたこともあった。
そんな僕を許した少女がいた。
「皇国の聖女気取りか。ふん、気取りとはいえ奴も良くやる」
どうやら皇女様に対する王の評価は高いようだ。
「お前は何を思う?」
漠然とした問いを投げる王。問いの意図がわからず、口をつぐんだままでいた。
「何故あの小娘はお前などを許したと思う?」
「解りません」
「考えろ、愚か者めが」
解らない。彼女の考えが、僕なんかに解ってたまるものか。
自分を殺そうとした相手を赦した、あの奇妙な少女のことなど、誰にも解りやしないに決まっている。
***
これから自分が死ぬ、ということは解っていた。
今までに幾度も、同じ理由で死んできた同僚を見てきた。
だから、そこに恐怖はなかった。全身に浮かび上がった魔道文字がまるで気持ちの悪い虫であるかのようにうじゃうじゃと蠢いても、心は動かなかった。むしろ落ち着き払っていて、我ながら気持ち悪かった。
何故そんなことをしたのだろう、と思わなくはない。
普段からセーラー服の胸ポケットに入れていた携帯用のはさみ。僕が人間であった頃の名残。
髪の一房を切り落とした。
数年前に切ってから伸ばしっぱなしで、男にしてはやや長い、おかっぱくらいの長さになっていた僕の赤毛を切った。
目の前で茫然とした顔をする少女にそれを差し出した。
耐えがたいほどの苦痛と言うわけではなかったから、笑顔を浮かべて彼女に伝えた。
「この髪が、あなたを守ってくれます。肌身離さず持っていてください。王国軍六将軍の形見だなんて、貰ったのはあなたがきっと初めてですよ」
永劫の時を生きるはずだった。
死なない命を与えられた、死んでいるも同然な人間だった僕を、最後に人間に戻してくれようとした彼女への、ささやかな感謝の気持ちを伝えたかったのだ。
震える手に房を渡した後、突然に痛みが強くなった。
刻み込まれるような痛みに、思わずしゃがみ込んでいると、少女が駆けよって来るのが見えた。
「危ないです」
やんわりと注意しても彼女は歩を緩めなかった。仲間たちには停める素振りもなく、それがやや異常だと思った。今思えば、彼らもよほど困惑していたのだろう。
「君は死ぬ?」
何を馬鹿なことを、と思った。
少女の後ろに控える数名の瞳には、人の死を見てきた残滓が垣間見える者もいるというのに、この少女は人の死さえ知らないのか、と失望さえした。
だが同時に、その正常さにほっとした。
常在戦場、と言ってもいいだろう。かの皇帝に捕らえられてから、休むことなく働かされてきた身としては、彼女のその怯えと言ってもいい困惑が、懐かしくてたまらなかった。僕が人間だったことを思い出させてくれる、とても甘美なものだった。
「そうですね」
肯定して、目を閉じる。勘付かれているのならば、わざわざ痛みを隠す必要もないだろう。
「僕はすでに幾人もの人を殺してきました。そろそろ報いを受ける時だったのでしょう」
彼女は黙って引き下がるはずだった。そういう演出が、感動の最終回らしいはずだった。
「死ぬな!」
そんな必死な叫びは、無いはずだった。
僕は、自分の罪の重さにさいなまれながら長い一生を閉じるはずだった。
それなのに。
「君が既に何人も殺してきた、だなんて! いいじゃない、そんなこと! あたしが手伝ってあげるから、これから何人も、何千人も人を救えばいいじゃない! それじゃあだめなの!?」
駄目に決まっているだろう。僕が人を殺したことは間違いがないのだから。
「……」
痛みをこらえるのが精いっぱいで黙っていると、
「君は死にたいのかな。罪を背負って死ぬ方が楽かな」
「そんな、逃げるようなことは……」
「いいよ、わかるよ。君は人を殺したことを気に病んでる。罪滅ぼしがしたいんだろ」
「そうかも、しれませんね」
もう何でもよかった。ただただ、楽になりたかった。
「でもさ、そんなのあたしは許さないから。君が泣いても縋っても叫んでも、、君がここで死んで楽になることなんて認めない。君には生きて罪を償ってほしい。君がどんなに死にたがっても、あたしは君に生きてほしい。死なないでほしいんだよ、ツバサ」
そこで彼女は、僕の名を呼んだ。一度だけ、軽く口に乗せたのみの言葉を覚えていることに驚いた。
「君が自分の罪を恥じて苦しんでいるのを見ているよりも、あたしはここで君を助けられないことの方がつらい」
あたしが赦すから、どうか生きてくれないかな。
そんな風に、皇女様は僕を抱きしめた。全身に呪いを受けた状態の僕は、外から触るだけでも致命傷のはずなのに、ためらわなかった。もちろん彼女が地球から来た世間知らずであるのも一つの原因ではあるだろうけれど、僕に触って動揺した様子を見せなかったのもなかなかすごい。
「ごめん、助けてあげられなくて」
その言葉を聞いて、僕は死んだ。
***
「お前はあの女を殺そうとした、それは間違いないな」
「ええ」
「でもあの女は、お前を赦すと言ったんだな」
「はい」
狂っている、と冥界の王は吐き捨てる。
「天国でも楽園でも、好きなところにとっとと行きやがれ」
「地獄、とさっきは聞きましたが」
「あの女が赦せばすべてはなかったことになるんだ。上からのお達しだよ」
「冥界の王様にも上と言うのがあるのですね」
「下手に勘繰るな、地獄に堕とすぞ」
怖いものだ。しかし、適当な裁きだな。こんなの、最初と最後で言っていることが変わってしまう、やや駄作気味の作品だぞ。
「では、承知しました。あなたの気が変わらないうちに、行かせていただきます」
「それがいいだろうよ」
天国行きの階段に足をかける。階段というのがいかにもそれっぽい。
「ああ、言い忘れていました」
「なんだ」
「あれ、です。彼女が僕を赦した理由」
あの人もきっと僕と同じだからだと思いますよ。
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