第4話 月夜の贖罪(桜待紬・ノーデル・星神操音)
【西暦2031年@地球】
窓辺に座り、ぼんやりとそれを眺めていた。
「サクラは月が好きですか」
椅子に座ったわたしの横に立った、ノーデルが問う。
「……」
「俺は好きですよ」
わたしが口を利けないと知っていて、訊いて来るとは無神経な男だ。
「今日の月は奇麗ですね」
わたしに告白してでも居やがるのか、と思う。この愚か者はそんなことにも気づかないらしく、同意を求めるようにこちらを見下ろす。
口が利けなくなってから、なかなか動かなくなった表情を無理やりに動かして、精一杯の嫌悪の表情を作った。
「失敬しました」
わたしがいつから世界を嫌いだか知らないくせに、すべてわかっている、とでも言いたげにノーデルはわたしを見つめる。
「……」
それが今のわたしの名前らしい。
そして、横に立って胡散臭い笑みを浮かべているこの男の名前はノーデルという。ここは日本だ、おそらく偽名に違いない。そんな情報も相まって、黒髪オールバックに黒縁眼鏡、灰色の背広という非常に真面目そうな恰好をしているのにも関わらず、わたしの瞳にはどうにもこの男が胡散臭く映って仕方がない。
「言葉を紡ぐことができないというのにも拘らず『紬』という名前を与えるとは。神というのはなかなか酔狂なことをしますね」
酔狂ではない。残酷なだけ。
純粋でそれゆえに、情状酌量をしないから。
わたしがかつて持っていた名前は地に伏している。
「『
それで合っている。
肯定の意を示すと、ノーデルは当然のように微笑んだ。気まぐれを起こしたかのように、口を滑らせる。
「俺はこれからあなたのことを
——それは。
いくらなんでも、許さない。
睨みつけるだけでなく、踵でノーデルの膝辺りをぐりぐりと押す。
ノーデルは両手を肩の辺りまで上げて、降参の意志を示す。足を下ろし、再びに表情を消す。
絨毯を踏む柔らかな音がして、
「何をしているんです?」
わたしの両肩に手が置かれる。
その声を耳にして、わたしは再び影の中、兎を見上げる。
あんな風に。
いるんだかいないんだかわからない、そんな存在になれたのなら。
わたしはもっと、楽だったのに。
「月が奇麗ですね、と話していただけですよ」
ノーデルが軽薄な調子で説明をする。振り返らなくとも、あの怪しげな微笑をうかべているのがわかる。
「紬におかしなことを吹き込んでいるのではないかと思いましたが、そのような心配は必要なかったようですね」
椅子の後ろからわたしの髪に手を滑らせる、一人。
「あなたに唆されて、万が一にも死なれては困るのです」
この男が、すべての元凶。
わたしが死にたいのに死ねなくて、生きたいのに生きることができなくて、ただただ怠慢であるかのようにこの椅子に座っている理由。
「それは違います、紬」
思っただけなのに、どうしてわかるんだ。
「僕たちがどれだけ一緒に居ると思っているのですか。それに、もしも僕のことを元凶だというのならば、紬は諸悪の根源というべきですよ」
——わたしのせい。
「ええ、そうですね。紬が
わたしが、誘ったから。
「僕の名前は、
星神操音は、星神操音になった。
「俺にもいつか話して聞かせてほしいものですね、星神の声で。二人が犯した、取り返しのない罪について」
「お断りします、ノーデル。確かにあなたは僕らの計画のために欠かせない人ではありますが、しかしすべてを明かすほどに信頼に足る人物だとは思えません」
——操音、そうじゃない。
たとえわたしが——わたしたちがどれだけノーデルを信頼したとして、操音はこの男に罪の詳細を教えるつもりなんてない。
部屋の向こうにいる、数人の仲間たちにだって教える気はない。
罪を公表してしまえば、それは罰にならないから。
わたしを罰で苛み続けるために、操音は罪を隠し続ける。
「ふふ」
ノーデルが不気味な笑い声を立てて、踵を返した。
「ここにいてもご相談のお邪魔になりそうですね。俺は席を外しましょう」
事情通であるかのような態度。奇妙なほどに長細い肢体を左右に振りながら歩いていく様子は、死神のようだ。
「紬」
操音がわたしの名を呼ぶ。わたしの名を。
まるで人でないかのように白い、真っ白い手がわたしの頬を撫でる。まるで彫像であるかのように固まって、身動きの取れないわたしを苛めるかのように、無遠慮に撫でまわす。
「僕はあなたの罪を誰かに教えるつもりはありません」
知っていた。
「僕がこうして生きているのはあなたのせいです」
わたしがこうしているのは操音のせいだ。
「
わたしがあの時操音、否——
「紬は僕を幸せにしてくれるはずだったのに」
わたしは彼を幸せにしたかったはずなのに。
どこで道を踏み外してしまったんだろう。
「僕は不幸になりました」
——ごめんなさい。
その一言が言えればわたしはとても幸せなのに。
「ああ、紬は謝ってくれない」
謝る口があれば、わたしは何度だって謝るのに。この全身だって捧げたいと思っているのに。
「謝ってくれないのだから、こうするより仕方がないんです」
わたしは口が利けない。
操音は、わたしの耳に口をつけて囁く。
「一生、紬を許しませんから安心なさい。死んで楽になんかさせてやりません」
わたしは謝れない。
口が利けない。
わたしを殺せということすらできない。
永劫の時を、こうしてここに座っていることだけが、わたしが操音に謝る方法。許しを請うための、ただ一つの方法。
操音はわたしを許してくれない。
わたしがどれだけ罪を贖おうと努力を重ねても、反抗の素振りさえ見せずに座って居ても、操音はわたしに振り向くことはない。
ああ。蜂蜜のような色をした、あの兎たちが羨ましい。
わたしもあんな風に、相手にされない存在でいたい。操音に無視されたい。居ないものとして扱われたい。
それができないから、わたしは口を噤んでここに座り続ける。
月夜にわたしはたった一人で、贖罪をこの身に刻む。
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