第4話 STAND BY ME

 朝焼けが目にしみる。線路の上を歩きながら、隣町に向かった。このあたりは大抵、駅前にひとつくらいはハンバーガーショップがある。

 となりのあくびがぼくにうつる。寝ぐせのついた綾野さんの顔は、病人のように白い。


「リバーフェニックスって何歳で死んだっけ」

「知りません。二十七じゃないですか」

「良い役者だったよな」


 それきり綾野さんは黙り込んでしまった。生涯こんな友人には二度と出会えないだろう、そんな名言があったような気がする。先の見えない道を、ふたりでどこまでも歩いた。映画みたいなシチュエーションだ。ぼくたちに襲いかかる列車もなければ、いじわるな同級生に石を投げられることもないけれど、もうすぐ月が落ちてくる。ぼくなんかには似合わない、衝撃のラストカットだ。


 電車なら五分とかからず着く隣駅も、徒歩となると時間がかかる。ようやくたどり着いた一店舗目は、自動ドアすら開かなかった。綾野さんが放置自転車からサドルを抜き、金属の軸をガラス戸に叩きつけた。何度目かの暴力のあと、クモの巣のようにひび割れたガラスにぽっかりと穴が開いた。もう立派な泥棒だ。けれど、月見バーガーはここにもなかった。


「マジかよ」

「残念でした」

「ちょっと休憩しねえ?」

「そうですね。朝ごはんにしましょう」


 綾野さんはここでも独創性を発揮して、レンジで温めれば食べられるパンケーキをポテトのフライヤーで揚げた。食べ物で遊ぶなんてとぎょっとしたけれど、仕上げにバニラシェイクを乗せたそれは、まるでおしゃれなカフェで出てくるスイーツみたいだった。


「綾野さん、商品開発部に入れますよ」

「俺料理出来るんだよ。寿司とか握れる」

「なんでですか? ヤクザですよね?」

「今どこも不景気なのよ」


 そう言って肩をすくめる綾野さんは、困っているようには見えない。新しいコーヒーが落ちきり、こうばしい香りが漂ってきた。ぼくもすっかり使い勝手を覚えてしまい、ポットごと持ち出して客席に戻ると、綾野さんの真似をして足を投げ出し、そろそろとすすった。


「月見の材料、どこもまだ入荷待ちなんじゃねえの」

「そうかもしれません。駅の反対側に小さなハンバーガーショップがあったはずです。次はそっちに行ってみます」

「お前、先に行ってろよ。後から向かうから」


 綾野さんは煙草に火を付け、自分のコーヒーだけつぎ足した。ぼくは残りのパンケーキを詰めこむと、紫煙に背を押されるまま外に出た。

 駅に入り、改札前を通って反対側に抜けるとバスターミナルになっている。街の閑静な側面にもぽつぽつと飲食店があり、その中に個人店のハンバーガーショップがある。メニューにはパスタやピザもあるから、ハンバーガーのあるレストランカフェ、といったほうが近いのかもしれない。前から気になってはいたけれど、値段が高くいつも横目で通り過ぎるだけだった。

 テラス席には食べかけのガレットと薄まったコーヒーが置かれている。昨日、ここでニュースを知った客が、素敵な朝食を投げ出して避難したのかもしれない。人のいない街には生活感だけが濃く残っていて、ひとりだと孤独を意識してしまう。流れる黄身が食品サンプルのように固まった目玉焼きが、なぜだか無性に切なかった。


 ドアを押し開けると可愛らしい音色のベルが鳴った。もちろん声をかけてくれるスタッフはいない。チェーン店のハンバーガーショップとは違い、店主のこだわりを強く感じる厨房は聖域のようで入りにくかった。客席に座り、手書きのメニュー表を見た。一番人気はディルとパニールのハンバーガーとある。ディルもパニールもわからない。名前だけでは味のイメージのつかないハンバーガーがずらりと並び、月見の文字が見つけられないままサンドイッチの欄まで来てしまった。次のページにはラミネートされていない紙が挟まっている。息を深く吸い、そっとページをめくると、期間限定メニューが差し込まれていた。和栗のハンバーガーと、さつまいもパルフェとある。ため息が出た。


 しばらくぼうっとしていたと思う。唐突にクラクションが鳴り響き、サイレンと勘違いしたぼくは猫のように外に飛び出した。騒音の正体は砂漠もジャングルも走れそうな大きな車だった。無骨なジープに乗った綾野さんが、運転席の窓を下げて手招きした。それを見て、少し笑ってしまった。ドライバーの口が「いくぞ」と動く。ぼくはなんだか嬉しくなって、小走りで駆け寄った。


「どうしたんですかこれ」

「災害時ってのはキーを刺したまま車を乗り捨てるんだ。見ろよ、純正のチェロキーだぞ。これ一回乗ってみたかったんだ」


 新しいおもちゃを自慢するように吹かしてみせた。乗り心地は悪くない。パワフルで、どこにでも連れて行ってくれそうな安定感のある車だ。エンジン音が重くうなり、全開の窓から風が吹き込んで車内を満たした。


「国道に出てみるか」

「お願いします」


 ハンバーガーショップやカフェを見つけるたびに立ちよったけれど、ぼくはだんだん、期待もがっかりもしなくなっていた。綾野さんは車から降りもしない。月見バーガーが無いことの確認をしながら、中央線をまたいで飛ばす綾野さんと、カセットテープに合わせて大声で歌ったりした。


「なんか、青春を取り戻してるって感じがします」


 希望は手放すと舞い込んできたりする。そしてそれはいざ手にすると、少し複雑だったりもする。コーヒーを求めてふらりと寄ったコンビニでグミを選んでいるとき、什器越しにサンドイッチコーナーの派手なポップが目についてしまった。


「あ、綾野さん」

「何?」

「つ、月見マフィン、が、ありました」


 片手におさまるそれは粉のついた丸いパンに目玉焼きとチェダーチーズがはさまっている。ハンバーガーの親せきだろうか。


 これは月見バーガーを求める物語だ。最初から明確な目的を持っていた。綾野さんと過ごす時間の中で、この旅を終わらせたくないと思っている自分に気づかないふりをしていた。けれど、タイムリミットは嫌でも近付いてくる。普段なら妥協に抵抗のないぼくの性格が、どたんばで考え出す。結末がマフィンでいいのだろうか。


 隣でぼくの手元をのぞきこむ綾野さんと、目を見合わせた。


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