第2話 綾野さん
料理上手なインテリやくざは綾野と名乗った。ぼくもならって名乗ったけれど、あまり他人に興味はないようだった。
外に出ると日差しがきつくなっていた。時計を見る。いつもなら、とっくに仕事をしている時間だ。
「とりあえず駅ビルでも行ってみるか」
「なんでですか?」
「世界が終わるってのにふたりしてスーツなんか着てたら馬鹿みたいじゃん」
終焉に向かうなら他にふさわしい服装がある、というのが綾野さんの言い分だった。世界滅亡にTPOがあるとして、着るべき服が地方都市の駅ビルにあるかどうかは怪しい。そもそも、ぼくの大量生産品と違って、綾野さんが着ているスーツはきっとどこへでも通用する。陽が当たると青味がかって見える黒い布は見るからに上等品だ。うらやましい。ふと、思い付きがあった。綾野さんは服屋の更衣室ですっかり着替えてしまう気だろう。そうすれば、この宝石のようなお下がりをもらえるかもしれない。やり残したことは月見バーガーだけだというのに、この期に及んで欲が出た。まだ生きている証拠だ。
「いいですね。行きましょう」
朝は人の気配があったのに、今は街中からっぽだ。通り道にある店をのぞいても、どこもかしこもガランとしている。無音、無人。太陽だけが場違いに明るい。まるでレプリカの街に迷い込んだようだった。
「みんなどこに行ってしまったんだろう」
「それこそ駅ビルに集結してるかもな。たぶん買い占め騒動の愚か者がたくさん見れるぜ」
「三階のフードコートに寄らせてください。あそこにもハンバーガーショップが入ってるから」
「構わねえけど」
「材料さえあれば、後は綾野さんが頑張ります」
「この野郎」
綾野さんは結構おちゃめだ。終末でこんな人と出会えたのは、奇跡的だと言える。
駅ビルに向かいながら、ぼくたちは沢山話した。二日後にせーので死ぬのだから、探り合いや遠慮は必要なかった。だらっとした緊張感のない会話は心地良かった。唯一、綾野さんをむっとさせてしまったのは、ぼくたちが同い年だと知ったときだった。あまりに驚いて思わず立ち止まり、バックパックを落としてしまったのだ。めっちゃ老けてますね、は胸の奥にしまい込んだけれど、おそらく顔に出た。綾野さんの人生がぼくと同時に始まっていたなんて、聞けば聞くほど信じられなかった。ぼくがホビーアニメのレアカードを求めてなけなしのお小遣いをガチャガチャに突っ込んでいたとき、綾野さんは童貞を捨てていた。ぼくが就職して全方位にペコペコしていたとき、綾野さんは不動産を転がして金をつくり、あごで人を使っていた。
「……どうしてこうも違うんでしょうか」
「でもお前、見どころあるよ。月の軌道が逸れたら、俺の舎弟にしてやるからな」
「いえそれは……」
「嘘に決まってんだろ」
綾野さんはぼくの後ろ頭を柔らかく叩くと、長い足でひょこひょこと先へ進んだ。なんだかすごく楽しそう。もしかしたらこの人は、社会の反対側でずっと明るい性格を押し殺して生きてきたのかもしれない。世界の終わりの直前に本当の自分になれたのだとしたら、それは少し、可哀想だと思った。
「早く来いよ」
はっとして落としたバックパックを背負い直し、小走りで綾野さんを追った。ぼくを待つでもなく歩き続ける綾野さんは、月の落下をきっと恐れていない。実はぼくだってちっとも怖くなかった。最強のバディだ。
「お前、なんで嬉しそうなの?」
「いえ別に」
○
駅ビルに人はいなかった。地下の食品売り場は水もカップ麺も几帳面に陳列され、野菜売り場は青々としている。お菓子屋のショーケースにはサンプルのようなケーキがお行儀良くならび、客に買われる時を静かに待っていた。
「妙だな」
「みんな宇宙人に連れ去られてしまったんでしょうか」
「まあ、うるさいよりはいいよな」
気を取り直してお惣菜コーナーで昼食を済ませた。食後、綾野さんはレジ横のガラスケースを叩き割り、煙草のカートンを掴むと、ひと箱抜いてからぼくのバックパックに突っ込んだ。
「メンズ服って何階?」
「先にフードコート行きませんか」
「昼飯食ったばっかだろ」
「確認だけ。月見バーガーの有無が気になります」
綾野さんは冷えた缶コーヒーを開けると煙草に火を付け、あごをしゃくった。承諾と受け取ったぼくはエスカレーターを階段のように上がり、フードコートを目指した。綾野さんは階が変わるごとにキョロキョロして、ぼくと目が合うとむっとして下を向いた。綾野さんに駅ビルは似合わない。
フロアの半分をしめるフードコートは開放的で、大きな窓ガラスからは日差しが降り注いでいた。綾野さんが屋台のように並ぶ飲食店を珍しげに見学しているあいだ、ぼくは小走りでハンバーガーショップの厨房に入り込んだ。せめてたまごとソースがあればと願い、棚という棚を開けてまわった。ソースは定番のものしかない。大きな冷蔵庫には期待したけれど、ナゲットやパイがぎっしり詰めこまれていて、月見バーガーの気配はなかった。
がっかりして厨房を出ると、広い客席にぽつんと綾野さんが座っていて、自分で作ったらしいアイスを満足げに舐めていた。
「見ろ。三十一段重ね」
「おなか壊しますよ」
「月見は?」
「撃沈でした」
綾野さんは足を組みかえ、手伝えと言ってぼくにスプーンを押し付けた。まだ女の子とデートしたことのないぼくは複雑な気持ちで、それでも特段、嫌な気がするわけでもなく、男ふたりでカラフルなアイスを分け合った。
フードコートの入口近くに立つ案内板に、メンズ服の文字を見つけた。ひとつ上の階にある。月見バーガーはまた遠ざかったけれど、もうすぐ綾野さんのスーツが手に入ると思うと、少し元気が出た。早く欲しい気持ちが抑えきれず、急いでアイスを食べたけれど、規格外に大きいそれはなかなか減らなかった。
「お前、ずいぶんアイス好きなのな」
「ははは」
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