白のワンピースと花火

 出店で本当に時間なんて潰せるのかと懐疑的だった私だったが、時計を見ると既に午後7時を回っていた。あと少しで花火の時間だ。つまりもう夏祭りが終わる。彼女に会えなくなる。今日、彼女の姿を見るまでは自分の気持ちを伝えるのだと息巻いていたものだったが、彼女を見る度、その勇気は萎れていった。そもそも告白して如何するのか。付き合うのか。付き合って何するのか。私には何も分からなかった。彼女の喜怒哀楽全てを私のものにして、彼女に触れて、一体何が始まるというのか。そんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。元来、彼女は私のことを如何思っているのだろう。彼女が私のことを嫌いなら、告白するのは馬鹿だ。しかし、そんなことあるのだろうか。彼女は今日一日、晴れやかな笑顔を私に見せてくれた。はぐれない様にと手まで繋いでくれた。そんな彼女が私のことを嫌い?でも嫌いではないと確信できる証左が無い。嫌いでも我慢すればそれくらいできるか。そう思った。そして私の勇気はより一層、弱々しくなっていった。

 私たちは15分ほど歩いて河川敷に辿り着いた。そこは既に人の海で黒い影が沢山蠢いていた。これは立ち見かと思った時、丁度良い隙間を見つけた。四人で座るには少々手狭であったが、十分腰を落とせる空間があった。そこに右から鈴木、伊藤さん、彼女、私の順で座った。意図せず彼女の隣になったのは誠に幸運であった。花火までの10分。彼女に話す話題なんてとうに尽きて、彼女と一緒にビニールの袋の中で泳ぐ金魚を黙って見ていた。また喧騒が彼女に吸い込まれていく様な感覚がした。彼女の白のワンピースが世界の中心の様に思えた。如何して彼女は浴衣を着てこなかったのだろう。そんな風に思って、「今日、」まで言ったがその後の言葉が如何しても口から出なかった。

 「どうしたの?」

 「いや、どうもしない」

 「そっか」

 彼女の言葉はあっという間に暗闇に溶けてしまった。如何にも儚いという感じでいた。というかこんな些末なことも言えないようでは、この後言おうとしている言葉何て到底言えないではないか。言える気がしない。実際、その瞬間を想像しても、何故か毎回あの言葉を言う直前でブラックアウトするのだ。好きです。好きです、好きです、好きです。頭の中では言える。何度だって。彼女は美しい。笑った時に少し俯くところとか、私への呼びかけがいつも「ねえ」なところとか、授業中たまにうとうとしているところとか。誰に何と言われようと彼女は美しい。生れて初めての宗教が彼女。もう彼女しか有り得なかった。この先私は今まで通り生きていけるだろうか。真っ当に職を見つけ、生活をし、時に恋愛をし、そのまま結婚とかして、死んでいけるのだろうか。無理な気がする。彼女でないと駄目な気がする。彼女以外と恋するなんて、考えもつかない。しかし、彼女と恋愛するのも考えつかない。もうどうすればいいのだろう。どうすれば…、ひゅー

 「あ」

 ドーン

 辺りで歓声が上がる。目の前には大きな花火。咄嗟に私は彼女を見た。彼女も私を見ていた。刹那、言わなければと思った。今しかない。今この瞬間。

 「あの…!倉橋さん…!」

 「ん?何~」

 「あの、えっと」

 「何なに、聞こえな~い」

 「えっと、その、す…」

 「何~」

 「やっぱ何でもない!」

 無理だ。言えるはずが無い。そもそも隣に伊藤さんと鈴木が座っているではないか。そんなところで言えるわけが無い。せめて鈴木だけでもどこかへ…。

 「ちょっとトイレ~」

 「え?」

 「トイレ行ってくるわ。付いてないわ~」

 そう言って、鈴木は立ち上がり、人混みの中へ消えていった。三人になった。鈴木がいないうちも構わず、花火は次々と上がった。嘘みたいに綺麗な花びら。体育座りをしていた私だったが、瞬間、大きな花火が現れて、その迫力に押され、バランスを崩した。安定を取り戻そうと、手を付こうとした時、彼女の手に触れる。斜面の雑草でないと分かった刹那、心臓が異常な高まりを見せた。花火の砲撃音がしているのに、心臓がそれに勝るほどに感じた。反射的に私は手を離した。手が触れてから離すまで、一秒とかからなかった。

 「ご、ごめん」

 「いいよ」

 彼女の声は潤いを帯びていた。私の謝罪をただ受け入れているだけの返事とは思えなかった。心の奥までまさぐられる様な、感情をかき乱される様な感じがした。

 私の手は彼女の手からほんの僅かな間隙を持った場所に置かれた。この距離はつまり私たちの関係なのだなあ、と思った。烏滸がましい言い様ではあるが、それが事実だった。彼女は私のことを好意的に捉えてくれている。友人だと思ってくれている。大切な存在と思ってくれている。それでいいではないか。何が不足なのだ。彼女がいて、私がいて、そして二人はお互いを大切に思っている。この関係をさらに進められることがあるのか。仮に今、私が彼女に自分の気持ちを伝えて、それで何か変わるのか。多分、変わらない。また、それが無かったかの様に、日常が続いて、一緒に時間を浪費して、笑い合って。それでいいじゃない。それでいいのだ。それで。

 そう気持ちを固めた時だった。彼女の指が私の手を触れた。確かな質量を持った指が、私に触れた。それは今まで感じてきた全てのものよりも確かな感触だった。触れられたところからみるみる若返っていく気がした。同時に強く筋肉の強張りを感じた。私が指示したのではない。筋肉が勝手に強張るのだ。

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