小悪魔的な

 それは今まで見たことの無い彼女だった。目を側め、俯きがちに言葉を発した。その声は狂おしいほど愛おしく、庇護欲を搔き立てられる様な揺らぎを持って私に伝わった。頬が少し、紅ばんで見えた。

 これを押し並べて気の所為だと片付けてしまうことも出来ただろう。実際、後に何度もそう考え、納得しようとした。彼女が動揺するはず無い、ましてや私にその姿を見せるはずが無い。事実、それまでの彼女は完璧だった。一緒のクラスで過ごした3か月余、一度も綻びを見せること無かった。記憶の中の彼女はいつも笑っている。そうだ。私にもこの時、笑顔を見せてくれた。あの何の免罪符にも成り得る、素敵な笑顔を、見せてくれた。それなのに如何して、彼女が慌てていると思うのだろう。紛れも無く、そこに奇妙な事柄は無かった。そう、無かったのだ。何も無かった。何も感じなかった。何も感じる訳無かった。そう自分に言い聞かせた。目を側めたのは、そこに何かあったから。声が少し震えていたのは、喉の調子が悪かったから。頬が紅ばんでいたのは、朝日の所為。何もかもに原因があって、そしてそれは私では無い。それで良かった。もう、良かった。しかし、耳元で彼女が「ねえ、私のこと、…好き?」と囁いてきた時には、流石に私は間違っていたのだと素直に認めざるを得なくなった。気の所為?彼女は確かに声を震わせていた、頬を紅らめていた、目を伏せていた、そう信じなくてはいけなかった。気付いた時、私は焦って消しゴムを落とした。

 「あ」

 そう言う間も無く消しゴムは机の間を縫い、行ってしまう。そして私からは見えない所まで行ったのが分かった。すると彼女はまるで行き先が分かっているかの様に、歩いて行ってあっという間に消しゴムを見つけて、持ってきてくれた。

 「…はい」

 やはり目を合わせてくれない。

 「あり…がとう…」

 若干、困惑気に言った。消え入りそうな声であった。彼女に聞こえているか定かではなかった。幾秒かの沈黙。音が彼女に吸い込まれていく。いつまでも続くと錯覚する様な時間。しかし私が「倉橋さんのことは…!」と小さく言いかけたところで、彼女は「それじゃ」と言って席に戻ってしまった。

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