君は誰?
席に着く。彼女の不可解を少し思案しながら、リュックを漁る。ノートは教科書に潰され、皺が出来ていた。それを押し広げながら、黒板を眺める。
「伊勢の海の磯もとどろに寄する浪 恐き人に恋ひ渡るかも」
が、ふと目に留まる。意味は分からなかった。無意識に窓の外へ目を遣る。雲は大体捌けていて、空が光っている。彼女と歩けたら幸せだろう、そんなことを自然感じさせてくれる様な天気。彼女にどんな言葉を掛けられても、笑ってしまう様な穏やかな天気。彼女の笑顔が最も映える、綺麗な天気。そう思う。彼女の写真を…、彼女と一緒に…、……春…。
私ははっとする。高まる心拍音。遠くで雷が鳴る。
結局、一限は彼女のことだけを考えて終わった。それが何の生産性の無いことは、分かっていた。彼女のことを思い出す度、彼女が遠く離れていく様な気がした。そうすることになっているからそうする。そういった心持であった。義務感、罪悪感、既視感…。何であろうこの感情は。そんなことを思った、その時だった。誰かが私の名を呼んだ。喧騒に溶け行ってしまう様な儚い声。耳を擽られる甘い声。一瞬で身体中がどよめく。怖いとさえ思ってしまう。そんな自分自身がひたすら呪わしかった。
瞬時に様々なことを思案した。格好がつく様にしなくては。如何にも「日常」という感じを演出するのだ。声を震えさせてはいけない。目線も出来るだけ自然な装いにしないと。言葉遣いにも気を付けよう。兎に角、嫌われない様に。
しかし、これは杞憂であった。案外、私は普通であった。何もかも日常感に溢れていたし、声も震えなかった。目を見て話すこともできた。
おかしいのはむしろ彼女の方であった。
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