蒼犬伝~新選組逸聞録~

ハチシゲヨシイエ

第1話 人斬り鍬次郎の死

明治三年(1870年)十月十日


江戸は伝馬町でんまちょう獄舎にて。




夜半の雨のせいで、雨漏りだろうか。水滴が落ち、いやに残響する。薄暗い地下牢は肌寒い。


間根山法悦まねやまほうえつは身震いした。嫌なとこだ。相変わらず。


間根山は弾正台だんじょうだい(明治政府の監察機関。カンタンに言えば、罪人の捜査、余罪を追及する刑務官にあたる)の下働きである史生ししょうとして、伝馬町獄舎に勤務していた。




「放せ!放せよ!なぁ!」




目の前には、後輩二人と押さえつけられている罪人が一人。


罪人の名は、大石鍬次郎おおいしくわじろう。元・新選組一番隊隊士である。マゲは落とされ、不潔なざんばら髪を振り乱して抵抗する。


顔の周りは、収監されてから伸びっぱなしの無精ひげがボウボウと生え、


その姿は哀れな野良犬のようだ。




「待った、なぁ。誤解なんだよ。俺は殺しちゃいねぇ」




暴れる大石に後輩の一人が一喝する。




「見苦しいぞ大石鍬次郎!貴様が近江屋おうみやでの坂本龍馬暗殺、並びに御陵衛士ごりょうえじ盟主暗殺の下手人であると、その口で自供したのではないか」


「ちげんだよ、お役人さん。ありゃあ、拷問があんまりに酷かったからつい嘘をついちまっただけだよ。坂本龍馬なんて殺しちゃいねえよ」


「だが……先生はお前が殺した。そうだな? 人斬り鍬次郎」


「!!!」




今言ったのは俺たちではない。今の声は?


間根山たちは声の主を探した。


すると獄舎の暗闇から、人影が現れた。


男だ。長身の、新政府軍の軍服を着た男がそこにはいた。




「先生ェ、……お前、誰だ?」




大石は声の主を睨みつける。


確かに京都にいた頃は、新選組の汚れ仕事をすすんで行い、いつしか「人斬り鍬次郎」なんて不名誉な異名で呼ばれてはいた。が、そのことを明治の世で知ってるやつは、もういないはず。




「俺だ。大石」




その声、その顔には、覚えがあった。


こいつ新選組隊士だ。一時期、柔術師範をしていたあいつだ。




「お前は御陵衛士ごりょうえじの、名前は思い出せねえが、確かにそうだ。ありがてえ!地獄に仏とはこのことだ。助けてくれ」


「……俺がか」


「そうだ!あんたしかいねえ!前は新選組で同じ釜の飯を食った仲じゃねえか。なぁ?伊東の野郎を殺したのだって、あいつ!鬼の副長・土方歳三ひじかたとしぞうのせいなんだよ!あの野郎に命令されて!そう、ありゃ仕方なかったんだよ。俺は、自分の気持ちに嘘ついてまで泣く泣く仕事を全うしただけなんだ。別に俺はあの男を殺す気はさらさらなかったんだよ」


「自分の意志じゃない」




先輩の表情と声色が、かすかに変わったことを、間根山は見逃さなかった。


珍しく先輩が怒っていらっしゃる。


一体どうしたのだろう。




「そもそもおかしいだろう。新選組はもちろん、世の中が狂っていたんだぞ?親友だろうが同志だろうが、てめえが生き残るためなら容赦なく殺し合い、そんな血で血を洗う狂人まみれの時代だったのだ、そうだろう?どいつもこいつも気がふれていた。だのに、俺だけ悪者なんておかしいと思わないか?」


「黙れ」


「あ?」






瞬きする間もなく、抜刀した先輩の早業で、大石の首が宙を舞った。




頭のとれた胴体が、どさりと前に倒れた。苦虫を嚙み潰したような顔で先輩がぼそりとつぶやいた気がした。やっと終わった……、と。






「あ、あの、上官殿が自ら手を下されなくとも」




後輩の一人が、俺の先輩、弾正台小巡察しょうじゅんさつ篠原泰之進しのはらたいのしんに声をかけた。




「たまには、俺にも仕事をさせろ」


「そんなご冗談を!上官殿は、いつも誰よりも仕事をなさっております!して、むくろはいかがなさいます?」


「燃やせ」


「はっ!」




後輩二人が立ち去ると、篠原先輩は俺に、火を灯せ、と言った。




「はっ!あの、失礼ですが、篠原先輩は御陵衛士だったのですか」


篠原先輩が意表を突かれたのか、一瞬、間があいた。




「間根山。お前は、俺たちのことを知っているのか」


「はい。私、明治維新が起きるまでは、壬生みぶの近くで暮らしておりましたので。いろんな噂は聞いていました」


「あの頃の京の人たちは、新選組のことを何と言っていた?」


「幕府のいぬ、だとか、ただの人斬り集団だ、って皆は噂しておりました。けれど、私は馴染みの者も多く、よく知っておりましたので、決して嫌いではなかったです。はい」


「……では、俺たち御陵衛士のことは?どう思っていた?」




御陵衛士……。これは、言わないといけないのか。






一瞬の沈黙の後、どうした?と篠原先輩が言うので、俺は仕方なく口を開いた。






「はっ。申し上げにくいのですが」


「遠慮するな」


「はっ!よくわからないヤカラたちと思っておりました!」


「なんだと?」




篠原先輩の表情がまた変わった。


怒っていない。


むしろ、笑っていた。

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