戦場に焦がれた男
ライフルの手入れを終えると、彼は楽しみにしていた食事を始める。今日のレーションには、チョコレートがついている。彼は泥だらけの顔で微笑むと、さっそく食べ始める。
「お前、なんでそんなマズい飯を、そこまで嬉しそうに食えるんだ…?」
横のアンバー・レイン隊長が、呆れたように言う。ブルー・ブレイズはもぐもぐとやりながら、隊長の方を見る。
「他の国のレーションは、もっとマズいって聞きました。俺たちの国のレーション、実は評価が高いんですよ?」
「そうなのか?あんなにひどいのに?」
隊長が聞き返すが、ブルー・ブレイズはうっとりとした顔でチョコレートの包みを開けている。
「いや〜やっぱチョコレートって、いいもんですねぇ」
彼はチョコレートの香りを楽しむと、それをひょいと口の中に放りこむ。広がるまろやかな甘み。そしてほんの少しのほろ苦さ。
「明日も頑張ろうって気になれますよ」
彼は嬉しそうに口を動かす。横の隊長がそっけなく言う。
「食いすぎて、後で吐くなよ」
クリムゾン・タールが隣国で発見され、この紛争は始まった。クリムゾン・タールを守ろうとする国と、奪おうとする国。ふたりは奪おうとする側だった。しかし、ブルー・ブレイズにとって、クリムゾン・タールがどうこうというのはどうでもいい話だ。彼は戦場で命をかけて戦えることに、至上の喜びを見出す男だった。
彼はとある発展途上国の、小さな村で生まれた。その国は非常に治安が悪いことで有名で、彼が生まれ育った村も例外ではなかった。彼が七歳くらいの頃、村を野盗の集団が襲った。ナイフや銃で村人が次々と虐殺されていく中、彼はひとり、たったひとり、生き残った。彼は家にあったマチェーテを探し出すと、グループから離れ、単独行動をしていた野盗のひとりを滅多斬りにして殺した。よく覚えている。雨が降っていた。地面は泥水のようにぬかるんでいた。彼は思い出す。血と泥にまみれながら空を仰ぐ自分自身。生きている…生きている!命をかけて殺し合う熱狂感を、ただひとり生き残った爽快感を、彼は何十年経っても忘れられなかった。
数年後、彼は先進国の軍に入隊する。そして間もなく起こったクリムゾン・タールを巡る戦いに、彼は嬉々として飛びこんでいった。
「そういえば隊長、戦の神様って知ってます?」
ブルー・ブレイズがふいにたずねる。アンバー・レイン隊長はもちろん、と頷く。
「この紛争が始まる前に、半ば強制的に連れて行かれたからな」
「はは、すみませんね」
「で、それがどうかしたのか?」
「あそこで俺、お祈りしたんですよ。戦場に戻りたいって。その頃は、うんざりするほど平和だったんで」
「不謹慎なやつだな、お前…」
「そしたらクリムゾン・タールが出てきて、本当に戦争が起こったんです」
「…」
「神様が、俺の祈りを聞いてくれたんですよ、きっと。そうに違いないです。俺、また戦場に戻れて、こうして隊長と肩を並べて戦えて、すげぇ嬉しいんです」
「光栄だが、戦争は喜ぶべきものじゃない」
「わかってます、わかってますけど…」
「まったく…お前は本物の戦闘狂だな」
アンバー・レイン隊長はため息をつくと、壁に寄りかかって、目を閉じる。
「しばらく寝る。何かあったら呼べ」
「了解」
ブルー・ブレイズは空を見上げる。火と土煙で汚れた空。星は見えない。彼は静かに物思いにふける。
戦場。それは大義と大義がぶつかり合い火花を散らす、血と鉄の世界。ひと殺しが正当化される、呪われた世界。許しなど永遠に与えられない、穢れた世界。生き延びたいともがくいのち同士が殺し合う、覚悟に満ちた素晴らしい世界。考えながら、彼は恍惚となる。なんて美しい!
夜の闇に包まれながら、笑顔の彼は作戦行動開始の時間を待つ。
─
戦場に、巨大なオオカミが現れたという情報が、素早く隊員たちの間を流れていく。ブルー・ブレイズは舌なめずりをする。ついに、ここにも来たか…彼はぞくぞくする。アンバー・レイン隊長が来て、オオカミ駆除の作戦行動を開始するという指示を出す。ブルー・ブレイズを含む少数の隊員たちは、素早く準備をととのえ、隊長のもとへ集まる。
砕けた灰色のコンクリートに、ねじ曲がった金属片。瓦礫だらけの、街だった場所。そこに、例のオオカミはいる。
「まじでデカいな…」
誰かがぼそりとつぶやく。
「ぶっ殺しちゃっていいんだよな?」
「国籍も何も関係なく、多くの人間があいつに襲われた。ぶっ殺すに決まってるだろ」
「了解」
ブルー・ブレイズは物陰からオオカミを見やる。艶のある漆黒の毛、大木のように太い四本脚、血のように紅い目…そして、サバイバルナイフよりも大きな、爪と牙。彼はごくりとつばを飲む。自然と口角が上がる。マーブル模様のように興奮と恐怖が入り混じる。彼は今すぐにでも飛び出して行きたい衝動に駆られる。しかし彼はいくつもの戦場を渡り歩いてきた兵士。戦略なしに、衝動に任せて戦ってきたことは無い。彼は計算高い。生き残るために、まず何をするべきか?彼は悪趣味な笑みを浮かべながら、目を細めて、素早く相手を分析する。
「見つかったら終わりだ。正面から戦って勝てる相手じゃない」
彼は頭の中で、シミュレーションをする。
「地面に伏せて泥のにおいをまとうべきだ。オオカミは当然、鼻がきくからな。それから風下に移動して、スナイプする」
彼は隊長に目配せする。隊長は頷く。他の隊員たちは待機。ブルー・ブレイズとアンバー・レイン隊長のみ、移動する。ふたりは足音を立てずに、しかし素早く、風下にある高い場所へと移動する。ブルー・ブレイズは手際よくスナイパーライフルを取り出し、構える。アンバー・レイン隊長が、周囲を警戒しつつ、風向きや標的との距離を伝える。
「隊長、いけます」
「わかった。お前のタイミングでいい。落ち着いて撃て」
ブルー・ブレイズは引き金に指をかける。空のくすんだ青さも、太陽の眩しさも、わずらわしい風も、濁った空気も、今だけは彼の世界から除外される。自分と獲物、ふたりきりの世界。彼は呼吸を止め…引き金を引く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます