安否不明
アルバートはラジオのニュースで、謎のオオカミのことやオメガの紛争のことを、じっくり聞こうとする。しかしそのニュース番組は、あたりさわりのない、浅い情報しか伝えてくれない。彼は気まぐれを起こして、ふとチャンネルを切り替えてみる。かちかちといくつかチャンネルを変えたあと、彼はぴたりと手を止める。スピーカーから、とある国の軍隊を密着取材したドキュメンタリーの番組が流れる。それはバイオリンの優雅な音色とともに始まる。ニュースのアナウンサーよりもずっと軽快な口調で、男性のナレーターが軍隊のことを語り始める。彼は何気なくその番組を聞く。しかししばらくすると突然、彼はのめりこむようにしてラジオに聞き入る。
「今、なんて言った…?」
彼の顔はみるみるうちに青くなる。
─
こんばんは。
ドキュメンタリー番組『太陽の眼』へようこそ。この番組は、世界中の様々な団体を対象に密着取材をし、その素晴らしい活躍をお伝えするものです。
この数ヶ月間、我々はN国の国軍、その中でも超少数精鋭部隊である『国家の牙』について取材をしてきました。今夜は、その取材で得られた彼らの活躍の様子を、皆様にお伝えできればと思います。
皆様は『国家の牙』をご存知でしょうか?『国家の牙』とはN国の切り札であり、長年、その機密レベルの高さから、N国の国民でさえ存在を知らなかった、国軍のエリート中のエリート部隊です。愛国心に溢れる彼らは、N国に危機がおとずれたとき、最後の砦として危険を顧みずに戦場へと駆けつけます。彼らの部隊には、銃火器のエキスパートから、地理や天候に詳しい参謀まで、幅広いジャンルのプロフェッショナルが集まっています。しかしその中で、我々はひときわ異彩を放っているひとを見つけました。ことが起これば真っ先に前線へ出て戦う、戦闘特化強化兵のBB(仮名)さんです。彼は一見すると、穏やかな好青年に見えますが、戦闘が始まれば瞬時に鋭い目つきになる、その豹変ぶりが見事な方です。我々は彼から許可をもらって戦闘現場についていき、小さなカメラでその様子を撮影させていただきました。その感想ですが、まさに壮絶のひとことでした…
…オメガの紛争地帯を渡り歩いているとき、我々はあの巨大なオオカミに遭遇しました。取り乱す取材陣を、彼は冷静な態度で避難させ、それが終わると隊長とともに素早く移動していきました。我々は遠い、安全と思われる場所から、カメラを精一杯ズームして彼らを見ていました。本隊から離れたBBさんは高所からスナイパーライフルを構え、隊長はその隣で、裸眼のまま、オオカミを凝視していました。そしてBBさんは引き金に指をかけ…見事、そのオオカミを撃ち抜きました。弾丸はオオカミの左の腹部に命中し…
…オオカミを射殺することには失敗したものの、あの危険な猛獣に致命的なダメージを与えた彼らは、まさに英雄と言って良いでしょう。これが『国家の牙』の力。我々は…
─
「ウォークライさんが、撃たれた…?」
電話越しに、息を呑むモニカの気配が伝わってくる。アルバートは、とまらない冷や汗を手で拭いながら、震える声で彼女に言う。
「ニュース番組が伝えてくれないから、詳しいことはわからないけど、たぶん…」
モニカが絶句する。アルバートは、ホワイトアウトしていく現実から目を背けるように、かたく目をつむる。
「死んじゃってなんか…いないわよね?」
お願い、否定して。彼女のそんな気持ちが、痛いほど伝わってくる。しかしアルバートは、汗ばむ手で受話器を握りしめながら、真剣に答える。
「わ、わからない…左側の腹部に弾丸を受けて、それが致命傷になるかもしれないってことしか…」
「そんな…」
「…」
アルバートはくちびるを噛む。今すぐに神殿に行きたい。しかし、彼は理解している。神がおわす神殿とは、そんなに都合よくいつでも行き来できるような場所ではない。本来なら、人間は拒絶されるべき場所だ。彼は苦しそうな唸り声を出す。
「アルバート、落ち着いて」
モニカが呼びかける。
「私たちには何もできないかもしれない。でも、お祈りだけでもしてみましょう。人間は、太古から今までずっと、祈りを通して神様とコンタクトをとっていたんでしょう?」
「…うん」
「とにかく一生懸命にお祈りするの。無意味かもしれないけど、それでも。それに…」
「それに?」
「神様が、人間の武器である銃なんかで、死んじゃったりするわけないわ」
その力強い声色に、アルバートは少し、身体の緊張を解かれる。ふたりはおやすみの挨拶を交わすと、電話を切る。
アルバートは部屋に戻り、ベッドの上で正座をすると、手を合わせて懸命に祈る。
お願いします、お願いします。
どうか、どうか…死なないで…
─
オオカミの撃退には成功した。しかし完全な駆除はできなかった。
「あ〜あ…」
ブルー・ブレイズはしかめっ面のまま、味気ないレーションを口に運ぶ。
「あのときにもっと追撃ができていればよかったんだがなぁ…」
彼は咀嚼したレーションを飲みこむと、ドアを開けて部屋に入ってきた隊長に目をやる。
「どうかしたんですか?」
アンバー・レイン隊長は、ひどくうんざりした顔をしている。ブルー・ブレイズは、何があったのかと首を傾げる。すると隊長が、低い声でぼそりと言う。
「クリムゾン・タールが、消えたそうだ」
「…は?」
その言葉の意味を理解するのに、彼は数秒を要した。しかし次の瞬間、彼はレーションを放りだして立ち上がり、隊長に詰め寄る。
「クリムゾン・タールが無くなった!?それじゃあ俺たちが今まで戦ってきたのって、全部無駄だったんですか!?」
隊長は眉を上げる。
「…驚いたな。お前は戦えただけで喜ぶと思っていたんだが」
「失礼なこと言いますね」
「すまん」
ブルー・ブレイズは姿勢を正し、隊長の琥珀色の目を見て言う。
「俺、戦場以外で無駄な殺生はしません。相手が命をかけることに合意したときだけ、殺し合うんです」
「それがお前のポリシー…いや、プライドか」
「そうです。戦う意思のない人間や命乞いをする人間には、俺、手を出さないんです。たとえ相手が敵国の兵士でも、です。それは甘い、と怒られるかもしれませんが。それに、俺が戦闘狂だからって、仲間の死を悲しまないわけじゃないんですよ」
「…そうか。ああ、お前の言いたいことはわかった。すまなかった」
隊長は珍しく、疲れたような顔をする。当然だ。ブルー・ブレイズは思う。『国家の牙』とて人間。激戦区で毎日のように戦っていれば、疲労は山のように蓄積する。それに、少数ではあるが、仲間や部下も死んでいった。仲間思いの隊長の精神が、傷つかないわけはない。ブルー・ブレイズは暗い雰囲気を変えようとして、別のことをたずねる。
「俺たち、国に帰ることになるんですか?」
「おそらく、な」
短く返事をすると、アンバー・レイン隊長は、近くにあったささくれだらけの木製の椅子にどっかりと座り、目をつむる。
「これからどうなるか、また連絡が来るはずだ。今は休め」
「はい」
ブルー・ブレイズはひび割れたガラス窓から空を見上げる。もう暗い。空は濁っていて、相変わらず月や星は見えない。不完全燃焼の炎は、彼の中で、未だくすぶり続けている。
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