ひとかけらの真実
「さすが、水筒を持ってきているなんて天才だね!」
アルバートがコップを両手で包みながら、満天の笑顔で言う。彼はふうふうとお茶を冷ますと、ゆっくりと飲む。ふわりと、甘酸っぱい香り。黄金の中に、落ち着いたブラウンを一滴垂らした、アプリコットティー。彼はうっとりする。
「美味しいでしょ?私のお気に入りのフレーバーティーよ」
「うん、美味しい!それに、いい香り」
モニカが満足げにうふふ、と笑う。
コップが空くと、彼女は再び、そのコップをアプリコットティーで満たす。
「どうぞ!」
彼女はそのコップを、神殿の地べたに座り、マントにくるまってうつらうつらしている男に手渡す。男はぼんやりとコップを見る。
「是非飲んでください。美味しいですよ」
男は首を傾げ、そっとコップを受け取る。
「み、ず…?」
彼は不思議そうにコップを覗きこむ。モニカがくすくすと笑う。
「アプリコットティーって言います。とても可愛い香りがするんです」
男はぼんやりした目で、ゆっくりとコップからお茶を飲む。少しずつ、舐めるように。そして、かいだことの無い、初めてのお茶の香りにきょとんとする。その様子を見て、ふたりは顔を見合わせて笑う。
「人生において、美味しいお茶を飲むことはとっても大事だよね」
アルバートが腕を組み、うんうんと頷きながら言う。モニカが鈴を転がしたような声で笑う。
男はじっくり時間をかけてコップの中のお茶を飲み干すと、再びマントにくるまる。
「ウォークライさん、あなた、寝てばっかりですわね」
モニカが人差し指をくちびるに当てる。
「神様ってたくさん寝るんだね」
アルバートがのんきなことを言う。
男はうっすらと開けた目でそんなふたりを交互に見ると、そのままマントの中に身をうずめて眠ってしまう。
「寝ちゃった…結局、紅い花のことや神隠しのこと、聞けずじまいだったね」
「仕方ないわ。何だかとても疲れている様子だったし。…あ、だからすぐ寝ちゃうのかしら?」
「神様って疲れるの?」
「そりゃあ、疲れるんじゃないかしら?人間のお祈りを聞いたり、人間の願いを叶えてあげたり…色々するんでしょ?」
「そっか〜」
アルバートは足を投げ出す。
「この神様は、どんなお祈りを聞いてたんだろ?」
「さぁねぇ」
「神様にお祈りをする時は、その内容を紙に書いて燃やしたり、神聖な箱に入れたりするんでしょう?ここにそういうの、無いかなぁ?」
「探してみる?」
「あの怖いひとたちが出てこなければいいんだけどね…」
「なんとなくだけれど、それはきっともう大丈夫な気がするわ」
モニカがすっと立ち上がる。
「探検してみましょ!」
彼女はいたずらっぽく笑うと、アルバートを急かす。アルバートも立ち上がると、早速歩き出したモニカの後を追う。
「あった!これかしら?」
ふたりは神殿の玉座の手前にある、祭壇のような場所に来る。そこには金属で装飾が施された、立派な木箱がある。モニカが木箱の蓋に手を伸ばす。しかし、アルバートがおずおずと言う。
「お祈りの内容、勝手に見ちゃダメなんじゃない?」
モニカが呆れた顔で答える。
「今さら何言ってるのよ」
「だって…」
「真実を知る手がかりになるかもしれないのよ?」
「そ、そうだけど、なんか、罪悪感が…」
言い終わらないうちに、モニカが蓋を開けてしまう。彼女は箱の中からぼろぼろの紙きれを数枚取り出すと、読み始める。そしてしばらくしたのち、彼女は眉をひそめる。
「どうしたの?」
「これ…読んでみて」
アルバートはモニカから紙をもらう。そしてそこに書かれた、ひどくかすれた文字をじっくり読む。そして…
「…」
ふたりはお互いの目を見つめ合ったまま、黙りこくる。アルバートはもう一度、紙に書かれた文字を見る。
「◯◯との縁を切ってください」
「□□を不幸にしてください」
「✕✕を殺してください」
「ひどい…」
アルバートが言葉をこぼす。モニカが静かに頷く。箱に入っている他の紙にも、同じような呪詛の言葉が書き連ねられている。
「あの神様、こんなひどい祈りをずっと聞き続けていたのかしら?」
「…」
「あんまりだわ」
「これを書いた人間たち、神様を、都合の良い道具みたいに思ってたのかな?」
「きっとそうだわ。いえ、そうとしか考えられない」
アルバートはほこりとインクで汚れた紙を、ぐしゃりと握りつぶす。どうして…?怒りがふつふつと湧き出てくる。そして彼の中で、ばらばらだった点と点が繋がる。それは線となって、眠っている神へと向かって伸びていく。彼はいてもたってもいられなくなる。彼はぐしゃぐしゃの紙を箱の中に放りこむと、その箱を、顔を赤くしながら持ち上げて、神殿の外へと持っていこうとする。
「ちょ、ちょっと!何してるの!?」
モニカが慌てて彼に問う。
「神聖な神殿の中、それも、玉座の前なんかに、こんなものがあっちゃいけない!」
「どうする気?」
「外に、神様の目のつかないところに持っていくんだ」
「…」
モニカは、アルバートが抱える箱に手を伸ばし、支える。ふたりはそのまま、箱を神殿の外へと持ち出し、砂利の上へ捨てる。時間のわからない、紅い空。木箱は紅い光に照らされて、より禍々しく見える。
「あの神様…きっと疲れちゃったんだ」
アルバートがぽつりと言う。
「人間の身勝手なお祈りに振り回されて、人間の憎悪をたくさん浴びせられて…疲れ果てちゃったんだ」
「どうして…」
「わからない。もともと縁切りの神様だったのかもしれない。でも、人間は神様を悪用しすぎた」
「…」
鉛のような沈黙。重い空気。しかしそれを、アルバートがそっと破る。
「ねぇ、モニカ。もう帰ろう」
「…」
モニカは悲しそうにうつむく。
「私たちにできることは、無いのかしら?」
「今は神様を休ませてあげることが、いちばん助けになるんじゃないかな」
「…そう、かもしれないわね」
モニカは頷く。
ふたりは紅い光を浴びながら、神殿の中に戻る。そこには先ほどと同じように、男が床に座ったまま眠っている。アルバートがポケットからノートを取り出す。白紙のページを見つけ、びりびりと破く。彼は黒インクのペンを取り出すと、丁寧に文字を書く。
「僕たちは帰ります。おやすみなさい」
モニカも書く。
「無理やり起こしてしまってごめんなさい」
紙を男の前に置く。そしてふたりは振り返らずに、神殿を歩いて出ていく。がらんとした神殿の中に、ふたりの靴の音だけが寂しく響き、消えていく。
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