さらに奥へ

「アルバート!ああ、あんたまで行方不明になるなんて…!」

神殿から家に帰ると、二週間が経っていた。アンナは真っ青な顔で、紅い世界から帰還したアルバートのもとへ駆け寄る。アルバートは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「おばあちゃん…心配かけてごめんなさい」

「何言ってるんだい。あんたが無事ならそれでいいんだよ」

アンナは手を合わせて空を仰ぐ。

「ああ、ああ、神様、感謝します!」


アルバートは、モニカや神様としばしの時を過ごしたことを、アンナには秘密にする。きっと、もっともっと心配させてしまう。彼は自分の部屋にこもると、神殿に持っていったノートを机の上に開いて置く。そして本棚から新しく買った雑誌を取り出す。彼はふかふかの椅子に座ると、情報の整理をする。

「紅い花のことも神隠しのことも、結局わからずじまいだったけれど、収穫がゼロだったわけじゃない」

彼は雑誌を開き、『オメガの紛争』の特集を読む。


海の向こうの国で発見されたクリムゾン・タール、世界各国で相次いで発見される!


雑誌の見出しには、目立つ色の文字で、大きくそう書かれている。彼は人差し指で文字を指しながら、じっくりと読んでいく。


今、世界各国でクリムゾン・タールが相次いで発見されている。発見した国々は、その場所や入手ルートを公開していない。しかし、紅いアマリリスに似た花がキーになっているという情報を、本社は得た。

紅いアマリリスに似た花(正式名称不明)は、気候によらず、世界中に咲いている不思議な花。それがどうやら、クリムゾン・タールの原料になっているようだ。しかしこの花は、山の向こうや標高の高いところ、翼でもないと行けないような辺境などに自生している。そこで本社は、記者と、協力者であるツバサビトのクリムゾン・タール研究者を、紅いアマリリスの咲く場所へと派遣した。しかし残念ながら、入手できたほんの少しのクリムゾン・タールと思しき物質は、政府によって回収されてしまい、解析はできずに終わった。政府のコメントによると、「クリムゾン・タールは国家の存続に関わる重要な物質であるため、厳重な管理下に置く必要がある」とのこと。

本社はこれからも、クリムゾン・タールについて追求していく所存だ。


アルバートは丸めていた背中を伸ばし、雑誌から顔を上げる。クリムゾン・タール…彼は思い出す。あの男が発した言葉。ノートにメモしておいた男の言葉。紅い、血。

彼は仮説を立てる。


─仮説

・クリムゾン・タールとは、僕が出会った神様の血なのではないか?


アルバートはひとり苦笑する。何だか突拍子もないことだらけだ。しかし彼は、不思議な空間にいざなわれるという経験を、確かにしている。二度も。今さら、多少のことでは驚かない。彼はさらに情報を整理していく。


・神様の名前はおそらく「ウォークライ」。

・ウォークライさんはかつて人間だった。

・ウォークライさんは、人間の身勝手な祈りを聞きすぎて、疲れ果てているようだった。


─仮説

・彼は神様になった後に、何かしらの理由で、自身の血液を世界中にばら撒いたのではないか?

↑人間の祈りの内容が関係している?


アルバートは椅子の背もたれによりかかる。

「仮説を立てたはいいけれど…どうやってこれを確かめればいいんだろう?」

彼は腕を組み、眉を八の字にする。

「また神殿に行くわけにもいかないしなぁ…これ以上おばあちゃんに心配をかけたくないし、疲れて眠っているひとを質問攻めにするのも嫌だし…」

行き詰まる。彼はぎゅっと目をつむる。

「真実を知りたいけれど…どうすれば?」

その時、背後からドアをノックする音が聞こえてくる。

「アルバートや。お客さんだよ」


玄関には、ローズピンクのワンピースを着た、可愛らしいツバサビトの女の子が立っている。モニカだ。アルバートは足早に廊下を歩いて、玄関へと向かう。

「やぁ、神隠しのとき以来だね」

アルバートは声をかけるが、モニカは冴えない顔をする。彼女は言う。

「アルバート…聞いてほしいことがあるの」

その重い口調から、アルバートはただならぬ空気を感じ取る。彼は真顔でたずねる。

「ここで聞いても大丈夫な話?それとも、僕の部屋に来る?」

「そうね…上がらせてもらっても大丈夫なら」

「もちろん、大丈夫だよ。おいで」


「それで、いったいどうしたの?」

本棚が立ち並ぶ、アルバートのこぢんまりとした部屋。彼は、柔らかい椅子に座らせたモニカに、おずおずとたずねる。彼女はつぶやくように、静かに答える。

「私も…夢を見たの」

稲妻。彼は視界が一瞬、揺れるのを見る。

「…それって、どんな?」

「まるで、知らない誰かの記憶をスクリーンに映して見ているみたいだった…私が見たのは、女のひとの夢」

「女のひと?」

そして、その名が出る。

「ええ。“メビウス”って名乗っていたわ」

「メビウス…」

アルバートは顎に手を当てる。どこかで聞いたような…しかし、彼はどうしても思い出せない。モニカはうつむきながら、夢の内容を、ぽつりぽつりと話し始める。


何年も何年も昔の話。

メビウスは、神降ろしの儀式に。彼女は日照りで困り果てていたケモノビトの一族を、雨を降らせることで救った。

でも、神降ろしをおこなうには、生贄が必要。怪我をした村の小さな男の子が、生贄に選ばれた。そして彼の遺体を依り代に、メビウスは顕現し、神としての力をふるった。

…ひどい話だわ。生贄だなんて。

でも、話はこれで終わりじゃない。続きがあるの。

メビウスは、生贄になった男の子を神族に迎え入れた。勇敢な子って言っていたわ。男の子は神様になった。でも、その子は小さかったから、自分の神様としての力を制御できなくて…それで、自分の故郷に災いをもたらしてしまった。

その子…その子はね。イクサガミ。

その名の通り戦の神よ。でも、。その子はね、世界に戦争をもたらすの。

メビウスが言っていた。戦争をたくさん起こしていけば、おのずと勇敢な人間を見つけることができるって。神族に引き入れるべき、勇敢な人間を。

…もうわかるでしょう?私たちが出会った、あの男のひと。あの神様。彼はイクサガミ。かつてウォークライという人間だった、戦争をもたらす神。このことを考えれば、色々なことの辻褄が合うの。クリムゾン・タールのことも。彼は世界中で戦争を起こすために、クリムゾン・タールを生み出したのよ。そしてメビウスは戦争を眺めながら、勇敢な人間を血眼で探している。どうしてそんなに“勇敢さ”に執着しているのかはわからないけれど…でもきっと、私たちは真実へ近づいているんだわ。


モニカはアルバートを見る。青い顔。ふたりとも、黙りこくる。しかしやがてアルバートが首をぶんぶん振る。彼はノートを取り出すと、白紙のページに今まで得てきた情報をまとめる。

「僕の仮説と合わせると、つまり…」

彼はさらさらとペンを走らせる。

「クリムゾン・タールは、イクサガミの血液で…彼はハナから戦争が起きることをわかって、世界中にそれをばら撒いたんだ。戦争を起こして、勇敢な人間を見つけるために」

「でも、まだわからないこともあるわ。神隠しのことよ」

「そうだね。どうしてツバサビトばかりをさらったのか。紅い花に触れたツバサビトの子どもに、何か言いたいことでもあったのかな?」

「神殿にいた、あの血みどろのひとたちのことも、わからないわ。彼が起こした戦争で戦死したひとたちなのかとも思ったけれど…なぜ神殿に居座っているのかしら?」

「うぅむ…」

アルバートは、くちびるにペンの頭を当てて唸る。少しずつ、確かに真実には近づいている。しかし、依然としてわからないことも多い。すべてを知るには、まだまだ情報が足りない。ふたりは、本だらけの小さな部屋で、声もなく見つめ合う。

「…メビウスと、イクサガミ」

しばらくして、モニカがつぶやく。

「メビウスは、どこにいるのかしら?いったい彼女は、何の神様なのかしら?」

何の神様…?アルバートが反応する。

「それ、たしか夢で聞いた。えっと…“誉れ高きいのちの神”、だったような」

それを聞いて、モニカはひどくつらそうな顔をする。

「いのちの神様が、戦争を求めているなんて…」

「…」

アルバートもモニカも、悲しげにうつむく。ふたりは戦争を直接体験したことはない。しかし、それがどんなに悲惨なものかは、ニュースや新聞、本などで知っている。それらの伝える、生々しい戦争の現場の様子は、彼らの頭の中に強くこびりついている。

アルバートが言う。

「メビウスについて、調べてみよう」

モニカは顔を上げる。金色の髪のヴェールに包まれた、彼女の空色の瞳。

「ええ」

ふたりは頷き合うと、椅子から立ち上がる。

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