壊れた神
崩れた天井から、夕焼けを煮詰めたような光が射しこむ。その光は、火傷をした右手をさする少女と、目を覚ました神を、音も無く照らす。
アルバートは、立ち上がり、動き出した神に焦る。しかしモニカは動じない。
「…のぞ、み」
男が、さざ波のような声で問う。しかし彼女は突然、脈絡もなく語り始める。
「私には、お姉ちゃんがいた」
アルバートはモニカを見る。男も、感情の無い目で、彼女を見つめる。
「でも、お姉ちゃんは生まれてすぐに亡くなってしまった」
アルバートは首を傾げる。モニカは何の話をしているの?
「モニカって名前は、最初はお姉ちゃんにつけられるはずだった。でも、お姉ちゃんは死んじゃったから、私にその名が与えられた」
モニカはうつむく。今度はアルバートが置いていかれる番。彼は困り果てた顔で、モニカと男を交互に見つめる。彼女は胸の内に溜まった想いを吐き出すようにして、喋る。
「小さい女の子が亡くなること。それは私にとって、他人事じゃないの」
彼女はこぶしをぎゅっと握りしめる。
「お姉ちゃんが、もし生きていたら。死者が蘇らないことは知っているわ。でも、どうしても考えてしまうの」
今にも涙がこぼれ落ちそうな、潤んだ瞳。ひび割れたクリスタル。
「私はフィグの話を聞いて、お姉ちゃんを思い出した」
アルバートは、静かにモニカのそばに寄る。しかし彼は、適した言葉を見つけ出せない。言葉は流れ去る。すくい上げることは出来ない。彼はただ、下を向いて戸惑うばかり。
「ねぇ、神様。フィグのこと、思い出して」
男は彼女の話を聞いているのかいないのか、ただ虚ろな目でモニカを見ている。モニカはその穴ぼこのような目を見つめ返す。
「顔も知らない姉のことで、私はこんなにも胸が締めつけられる。フィグと仲の良かったあなたはきっと、もっともっとつらい思いをしたはず」
フィグ…その単語が発せられるたびに、男の瞳は大きく揺れる。まるで、何かを思い出そうとしているかのように。
「忘れないであげて」
言い終わる。誰も動かない。静寂。モニカはふう、と小さく息をつくと、濡れた目をごしごしとこすり、アルバートを見る。
「ごめんね。神様、無理やり起こしちゃった…」
アルバートは言葉を必死に探す。少しの沈黙ののち、彼はようやくかけるべき言葉を見つける。
「手の火傷、大丈夫?手当てしないと…」
「ありがとう。でも大丈夫。そんなにひどくないわ」
モニカは笑顔で、手をひらひらと振ってみせる。アルバートはなぜだか、泣きそうになる。
「さて、神様も起きてくれたし、真実を教えてもらいましょう」
「真実…」
「あら、忘れちゃったの?私たち、紅い花のことや神隠しのことを調べていたんでしょう?」
「うん、そうだね…」
「どうしたの?暗い顔して」
「え、あ、ううん、何でもないよ」
アルバートはぶんぶんと首を振ると、自分の両頬をぱん、と叩く。しっかりするんだ、神様が目の前にいるんだぞ。
モニカは男の正面にやってくると、しとやかにお辞儀する。
「さっきはごめんなさい。無理やり起こしてしまって。でも、どうしても伝えたかったの」
男は何も言わない。虚ろな目のまま、ただその場に、幽霊のように立っている。モニカは一歩、男に近づくと、その顔を見上げる。
「私の望みは、紅い花と神隠しの真実を知ることよ」
アルバートがモニカの横にやってくる。ふたりは並んで、男を見つめる。
「…」
男の疲れ切ったような顔。彼はひと言も発さない。ふたりはじっと待つ。沈黙。紅い光が、静かに三人を照らす。そして…
「みつ、ける…」
男がようやく、口を開く。
「見つける?いったい何を?」
「…」
「…」
「つば、さ…みつ、け、る…」
「つばさ?ツバサビトのことかしら?」
「…」
「…」
「…」
男はそれだけ言うと、黙りこくる。そしてくるりと身体の向きを変えると、神殿の出入り口の方へゆっくりと歩き出す。
「ま、待って!」
ふたりは慌てて後を追う。アルバートは紅い光に照らされる男の後ろ姿を見る。血をかぶったようなその光景。アルバートはごくりとつばを飲む。
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