異変
紅い花畑から戻って、数日が経つ。
アルバートもアンナも、あの紅い花の話や、あの紅い汁がクリムゾン・タールなのではないか、という話は決してしない。平穏な日々が、これからもそうであり続けるように、ふたりはなんてことのない話題しか口にしなくなった。
しかしアルバートは、濁った不安と迷路のような不可解さに苛まれる。あの紅い花はいったい何?あの紅い汁は本当にクリムゾン・タールなの?もしそうだったとして、なぜあんなところにそんな危険なものがあるの?誰かがあの花畑を見つけてしまったら、どうなるの?…疑問は尽きない。それらはアルバートの頭の中をぐるぐると巡り、しばらくすると霧のように消えていく。そうして、最後にはひとつの疑問だけが残る。紅い花と神隠しには、いったい何の関係があるの?
─
二日後。
アルバートは、街にチーズを買いに行く。彼はにぎやかな商店街の通りを、てくてくと歩いていく。質の良い肉を売る精肉店、新鮮な魚を売る魚屋、もりもりのカラフルな野菜を売る八百屋、よく熟れた果物を売る果物屋、そして、お気に入りのチーズ屋…彼は到着する。しかし、彼を待っていた景色は、いつもと少し違った。
「あれ、警察…?」
店の入口の前に、ツノの生えた、警官らしき男がふたり立っている。彼らはアルバートに気づくと、道をふさいでしまっていたことを詫び、彼をすんなりとチーズ屋のドアの前に通してくれた。警察の存在に緊張していたアルバートは、その気さくさに、肩を下ろしてほっとする。彼はふたりの警官に問う。
「あの、何かあったんですか…?」
ひとりが立派なツノを撫でながら答える。
「ああ、ぼうや。それがね、ここの向かいの店の店主さんの娘さんが、行方不明になってしまったんだ。今あちこちで、その娘さんを見なかったか聞きこみをしてるんだけれど…いやぁ参った、最近こういうのが多くてねぇ」
アルバートは首をひねる。
「行方不明になるひとが、多いんですか?」
「そうなんだよ。だからね、ぼうや、帰り道には気をつけるんだよ」
「わかりました」
アルバートはふたりに軽くお辞儀をすると、チーズ屋のドアを開けて、中に入ろうとする。その時、もうひとりの警官が、顎をさすりながら言葉を付け加える。
「ああそうだ!…ぼうや、紅い花をどこかで見なかったかい?」
「紅い花…?どうしてですか?」
鼓動を感じる。警官は答える。
「いやその、行方不明になったひとね、みんな君と同じツバサビトでね。しかも揃いも揃って、アマリリス…だっけ?それみたいな紅い花を家に飾っていたんだ。それで、これは何かあるんじゃないかと俺のカンが囁いたわけさ。ぼうやも、紅い花を見つけても、絶対に触るんじゃないよ」
冷や汗。大きな鼓動。からからに渇いていく口の中。彼はかすれた声を出す。
「は、はい…気をつけます…」
アルバートは逃げるようにチーズ屋に入る。何だかふらふらする。彼は一度、立ち止まって深呼吸をする。そしてカウンターで、いつものチーズを注文する。彼はこころの中で繰り返す。いつも通りにしていればいい。いつも通りにしていれば。
アルバートはそそくさと家路につく。そして家に到着した途端、彼はチーズをキッチンに放り出し、両親の眠る墓へと走る。彼は供えてあった紅い花をむんずと掴むと、ぐしゃりと握りつぶし、ゴミ箱に捨ててしまう。紅い汁が垂れ、手にべったりと付く。
「何なの、この花!?」
彼はもう、恐怖を隠せなくなる。彼は洗面所に駆けこむと、手を念入りすぎるほどに洗う。せっけんや水があたりに飛び散っても、彼は気にしない。洗わなきゃ、綺麗にしなきゃ…彼は一心不乱に、ただ手を洗う。
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