五 採用試験に来たはずが
葉月五日、試験当日を迎えた。
採用試験はどの程度の難易度なのか分からず、私は試験対策らしい試験対策はできていない。こんなので本当に大丈夫だろうか。試験を受けたものの採用されることはなく、結局は家族と一緒にプロイツェンに移住することになるかもしれない。
我が家を辞去する前の叔母たちに試験対策について聞いてみたものの、
「「あら」」、「いつものサラ子ちゃんで大丈夫よ」「そのままで行けばいいのよ」
全く参考にならなかったので、わずかな時間ながら女学校の教科書を読みこんだり、新聞を丁寧に読んだりする程度しかできなかった。
「ここが試験会場ね」
試験は、ここ十年くらいで増えてきた煉瓦造りのお国の庁舎内で行われる。
私は一呼吸してから試験会場に踏み入れた。
試験会場に入ると、私とほぼ同年代の女性たちが談笑していた。
彼女たちが私と同じ受験者かしら?人数はひい、ふう、みい………だいたい二十人くらいね。
それにしても、受験者の服装がなんと艶やかなことか。大半の女性が豪華な振袖の着物やドレスを纏っていた。
ドレスを着ている女性は腰のあたりを締め上げられて苦しくはないのかしら?
それに比べて私は女学校の制服(矢絣の着物に女袴)で来ている。右を見ても、左を見ても見目麗しいご令嬢ばかり。
はて?私は採用試験ではなく、お茶会に参加しに来たのかしら?
試験まで時間があるから、着替えてきた方がいいかしら。あら、そもそも私、そんな服持っていないわ。困ったわね。
そう錯覚を起こしそうになった。しかしながら、先ほど通った入口には採用試験と大きく看板が立てられていたので、ここが試験会場で間違いない。なぜ、彼女たちは職員採用試験を受けに来たのに、こんな格好なのだろうか。
それにこの会場の騒がしさは一体なんだろうか。一時間後に筆記試験を受けそうな雰囲気がしない。
受験者のほとんどが、これから試験を受けるというピンと張りつめた様子ではなく、他の受験者との語らいに力を注いでいるように見える。
語らいと言っても、交流を深める会話ではなく、相手を褒めるようなふりをして、貶めるような会話や自分の家の自慢があちらこちらから聞こえてくる。
これは、好敵手同士のお茶会の主導権争いの会話だ。私は、奇妙な主導権争いに巻き込まれないように指定された席にそっと移動することに決めた。
「あーーーーーら、あなたも試験を受けにきましたのね!」
私の背後から高らかな声が聞こえてきた。この声の主は私に嫌がらせを仕掛ける、稀小司公子様だ。
彼女はたくさんの宝石が縫い付けられた深紅のドレスを身にまとい、髪を幾重にも縦に巻き、顔の原型をとどめないくらいの化粧を施されていた。
明らかに他の受験者よりも目立っている!公子様の姿や声で他の受験者全員が振り返る。
「それにしても、あなた女学校の制服でよくこんなところに来られたものね。あなただって、加賀見の端くれなら友禅のお着物一つくらい着てこようだなんて思わなかったの?可哀想にあなた明らかに浮いていますわよ!」
公子様が何か私を小馬鹿にしているようだが、いつものことなので気にはならない。公子様、お顔は整っているのに、どうしてこんなに濃い化粧をしてしまったのだろう。
公子様の侍女たちは今日、何時に起きてこの準備をさせられたのだろうか、公子様の話を右から左に流しながら、公子様の侍女たちの労働環境に思いを馳せてしまった。
「あら、あなた何を呆けた顔をしていらっしゃるの?とにかく、選ばれるのはこの私!混じり物なんかお呼びでないわ!今からでも辞退しなさい!」
「公子様が働きたいとは意外でした」
受験資格から、ある程度恵まれた家の女性が受験するとは思っていたけれど、まさか華族の中でも格式の高い稀小司家のご令嬢が受験するような試験だったとは知らなかった。おそらく、他の令嬢も華族階級の子なのだろう。
「はぁ?何を言っているの?あなた何も知らないのね…」
公子様は私に冷たい視線を浴びせた。
――何も知らない方が都合がいいわ、うん、そうね――
公子様がぶつくさと呟くが、私にはよく聞こえなかった。
「まぁいいわ。あなたはどうせ落ちるもの。今すぐ家に帰ってもいいのよ。あら、あなた来月に家がなくなるんでしたっけ?」
公子様は自分の言いたいことだけを言って、自分の席に移動していった。公子様、私の家の事情をご存じだとは。噂が出回るのは早いわね。
筆記試験は、案内に書いてあった通り本当に女学校入学程度の内容で、分からないという問題はなかった。小さなミスをしないようになるべく丁寧に解くように心がけた。なぜなら、満点回答が何人も出そうだから。
しかし、他の受験者の何人かはすぐに鉛筆が止まっていたようだった。なぜ、こんな簡単な問題を解こうとしないのかしら。
論文問題は良妻賢母として取るべき行動について書かせたいという出題者の意図が見えていた。出題者の意図に乗りつつ、山都ノ國の将来について、他の国の情勢などを踏まえていくつか指摘することにした。答案を回収された様子をちらりと見ると、論文とは思えない、短文のような答案もいくつかあった。
昼を挟んで行われた口述試験は、それぞれが事前に選択した言語で行われるようだった。私の試験官は政府に雇われたプロイツェン人、いわゆるお抱え外国人だった。
ごくありふれた日常会話から始まり、山都ノ國の社会問題、経済問題、国際問題と多岐に渡る内容を聞かれた。
え、いや、どうしよう。何て答えよう。知ったかぶりはかえって失礼だわ。知らないことは知らないと答えよう。ただ、知らないと突き放すのではく、山都ノ國の一臣民として勉強する姿勢を示すことにしよう。
時間にして一時間はなかったと思うけれど、口述試験が終わるころには胃がキリキリと痛くなってしまった。
この試験、山都言葉で答えてもよいと言われたとしても、普通の女子が答えられるものでは到底なかったと思う。何とか会話を途切れることなく続けることはできた。受け答えの内容はよくできたものではなかったとは到底思えなかったが、口述試験で沈黙の時間が流れるという最悪の事態を避けることはできた。
試験中、目の端に宮様が見えたような気がするが、本当に宮様だったのか、そんなものを確認する余裕などなかった。
今は、宮様よりも就職!である。宮様に憧れる女性たちには大変失礼極まりないかもしれないけれど。
「これで今日の試験は終わりです。どうぞお帰りください」
内廷局の職員さんに案内されて私は試験会場を出た。
さて、他の受験者はどうだったのだろうか。
お腹をさすりながら、あたりを見回すと迎えの馬車を待つ受験者を何人か見掛けた。どの受験者も非常に顔が暗かった。少なくともお昼の時点ではケラケラと笑っている姿を見ていたので、口述試験で何かあったのかもしれない。
公子様ともすれ違ったけれど、公子様の顔から精気が抜け落ちていたように見えた。あれだけ手間を掛けた髪型も崩れて見るも無残な姿になっていた。彼女の身に何が起きていたのか、知りたいような知りたくないような…。
公子様にも他の受験者にも声を掛ける気は起きなかったので、私はさっさと帰路に向かうことにした。
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