四 サラ 決意する

 私たちの出国予定は四週間後と決まった。いつでも出国できるように準備をしていたが、思ったより遅い出国になってしまった。大使館の人が出国と移住の手続きや向こうでの学校の手配など色々としてくれるらしい。

 しばらくは必要最低限の生活用品を荷物から出して生活するしかない。とは言え、立ち退きまでには何とか間に合ったので良しとしよう。


「随分と殺風景な部屋になったものね」


 家を見回しながら独り言ちてみる。


「さっぷうけーいい、さっぷうけーいい!」


 四男のハンスは私の言葉をまねるのが最近のお気に入りらしい。

 ハンスを適当にあやしながら、行李や風呂敷を開けて、私は必要なものをいくつか取り出した。


「「ごめんくださいな~」」


 玄関から元気のいい声が聞こえてきた。二人分の声だが、どちらも全く同じ声だ。


「この声は叔母様たちね」


 この人たちは加賀見家で唯一(唯二?)、交流のある親族だ。父のすぐ下の妹で、二人は双子の姉妹だ。なので、声が全く同じで見分けがつかないどころか、声が重なっていることが多い。当然のことながら外見も全く同じ。叔母様達は上質な絹の訪問着を着ており、いかにも上流階級の婦人然とした風貌だ。双子であることを楽しんでいるのか、今日も同じ柄の色違いにしている。


「「マチルダさ~ん!お久しぶりです!!」」


 そんな上品なたたずまいの二人だが、やかましいくらい元気がいい。若干ご近所迷惑になりそうなくらい。こんなにも底抜けに明るい二人が伝統を重んじる加賀見家出身で、有力華族に嫁いだ人なのか疑問に思うくらいだ。

 藤子とうこ叔母様は巴衛ともえ家に、楓子ふうこ叔母様は一辻ひとつじ家に嫁いでおり、(私をよく苛めている)公子様の出身である稀小路家と同格か、それ以上の家格の華族だ。


「「サラ子ちゃん、」」「私たち、いいお話を持ってきたの!」

「悪い話じゃないと思うわ!」


 二人は私の姿を見掛けると玄関で草履を脱ぐことなく、一つの紙を差し出した。


【募集】内廷局女子職員 一名


(受験資格)

 年齢:満十六歳カラ満二十二歳マデ 

 未婚、女学校入学程度ノ教養ガアル事 

 外國語ヲ最低一カ國語話セル事

 武道ノ心得ガアルト猶良シ

(受験内容)

「一次試験」

 筆記試験 子女トシテノ一般教養ヲ問フ択一式又ハ短文式試験

 論文試験 思考力、文章ノ構成力及ビ表現力ヲ図ル筆記試験

 口述試験 面接官ト外国語ノ会話ヲシテ会話能力ヲ図ル試験

 「二次試験」

 面接試験 人柄、思考ニツイテ個別面接等


(試験日程)

 一次試験 葉月五日 

 二次試験 葉月十二日


(合格発表)

 葉月十九日


(申込期間)

 水無月一日カラ長月十五日


「試験日、葉月五日って、来週ですよね?それに、受付期間をとっくに過ぎているじゃないですか」


 一体、叔母たちは何のつもりで持ってきたのだろうか?受けられない募集案内なんて意味がない。


「それがね、内廷局の予定よりも応募がなかったみたいで~」


「そうなの、そうなの~。だから、親類縁者の中で条件に合う女子を連れてきてくれって」


 叔母たちは眉をハの字にしながら、私に懇願するような顔を向ける。

 内廷局は、皇上家や宮家の事務を行う国の部署で、昨今では外国の王族、大使、公使への接受をする事務が増えてきているため、外国語ができる職員を募集する必要に迫られているのでしょう。宮様が国際交流に力を入れていることもあって、その動きは加速しそう。


「確かに、私なら条件に合いますけど。そもそも、募集要件が厳しいのと、受験するのが女学生くらいの方だとすると、結婚しないで働きたい人はそんなにいないんじゃ」


 そうなのだ。女学生は在学中に結婚して、女学校を退学して家庭に入るというのが規定路線だ。だから、働きたい女性は少ない。仮に働きたいと思う女性がいたとしても、外国語をこの年齢で習得しているというのはあまりいないと思う。女学校で習うにしても、そこまで高度な内容ではないし。

 ただ、外国人を相手に商売をしている家ならば外国語を習得している可能性はある。しかし、求められている知識が女学校入学する程度となると、ある程度裕福な商家の子が対象になるだろう。

 そういった家だと、未成年の女子が表に出てくることはなく、外国語を習得する必要がないと考えるのが普通だ。結婚後は家庭内を取り仕切ればよいとなるはずだ。

 外国語の習得よりも不可解なのが、武道の心得のある人間も求めていることだ。これはできればということであるが、条件がかなり厳しい。

 女学校で武道なんて習うことはない。私は両親からそれぞれ武道を習っているので、心得があるがこれは完全に例外といっても過言ではない。

 父は私に危ないことはしてほしくないと思っていたが、母から『サラが危険な男に乱暴されたときのために護身術を覚えておくべきデス!』と説得されたという事情がある。

 両親から受け継がれた血のせいか、両親からの手ほどきや近くの道場に通っているうちにその辺の男より私の方がよっぽど強くなってしまった。

 私が十歳を迎えるころには


「サラ子がこれ以上強くなったら嫁の貰い手が」


 と父が心配したが、


「サラには才能がアリマス!行けるところまで行きまショウ」

 

 母の軍人魂に火がついてしまい、道場通いは今も続いている。母自身は軍人でも何でもないけど、体に流れる軍人家系の血が騒いでしまったのだろう、多分。

 悲しいことに、私の目立つ外見に引き付けられる変な男というのは時々いて、助けを求められそうにないときは粛々と撃退させていただいています。

 おかげ様で最寄りの交番勤務のお巡りさんとはすっかり顔なじみになってしまいました。


「「サラ子ちゃん、」」「叔母さんたちの顔を立てると思って」「受けてくれないかしら」」

「あの、叔母様…私たちは、一か月もしないうちにここを…」


 私は即座に断ろうと口を開いた。だけど…考えが急に変わった。


「分かりました。受けるだけ受けてみますね」

「チョット!サラ!何を言っているのデスか」


 私の言葉を聞いた母は声を荒げた。明らかに母の方が正しい、それは私も分かっている。


「申し訳ありません。お母様。私、ここでお父様の帰りを待ちたいんです」

「……サラ…」


 母が唇を噛み締める。


「お母様、私、思うんです。この国から家族全員がいなくなって、お父様がもし戻ってきたら悲しむんじゃないかと。だから、私、一人くらい残ってあげたいなって」


 この前からずっと心の奥底でモヤモヤしていたものが、何かが分かった。

 この国で父の帰還を待ってあげたいという気持ちだ。それに、私の将来を考えるとこの話は悪くないと思う。たった一名の募集なので私が採用されるか分からないけれど、叔母様たちの言葉を信じるなら応募が少ないということは可能性が低いということはないだろう。

 それに、だ。先ほどまで、試験の部分しか目に入っていなかったが、かなり良い待遇が保障されている。


(給与・手当等)

 給与 月三十円 交通費別途支給 希望者ニハ宿舎貸与アリ


 もし採用されれば住まいは確保できそうだし、若い女性にこの高額な給与とは破格の条件だ。新人の女性教師の初任給はこの半額くらいだと、新聞で見たことがある。

 これなら父の帰還を待ちながら、働くことができる。


「採用されなければ予定通りお祖父様のお国に行きますから、とりあえず受けるだけ受けようかと思いますが、どうでしょう?母様?」

「ウーーン、家族がバラバラになってしまうのはチョット…」


 それでも、母の反応はよろしくない。


「マチルダさん!お耳を貸してくださる?」


 叔母たちが、母を交えて小声で話し始める。


「…分かりマシタ。私も考えていなかったわけではありまセン。ここは、親として娘を送り出しまショウ!」


 え、何、この変わりようは…?


「サラ、受けるからには全力で頑張りなサイ!」

「「サラ子ちゃん、頑張って!!」」


 叔母様たち、母に何を吹き込んだの?ちょっと笑っていないで教えてください!

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