三 加賀見一家、家を失う?

 季節は廻り、父が失踪してから半年が経った。父が失踪した冬から季節が廻り、すっかり夏になってしまった。外では蝉がうるさく鳴いている。

 そんなある日、大学側から父を休職扱いにはできないし、私たち一家の住まいである大学の宿舎を1か月以内に出て行ってほしいとの通知文書を手渡された。

 当然、母も私も大学側に抗議したが、


「半年も行方知れずで住まいを保障しただけありがたいと思ってください。こちらとしては今すぐ出て行ってもらいたいんですよ。一か月猶予を与えたんですから、感謝してください」


 なんとも偉そうなことを言われた。ここでいきなり方針転換されていますぐ立ち退きを求められたら、たまったものではない。

 一か月の猶予があると言ったが女性、しかも外国出身者の母に住まいを貸してくれるところはない。借りるにあたって保証人を立てる必要があるが、そのつてもない。それに、大学の宿舎の家賃はびっくりするくらい安い。ここと同じような物件なんて絶対に借りられない。


「母様、どうしましょう?」

「何とか考えマスからサラは学校に行きなサイ」


 そう言われても、家を追い出されるのに学校に行っている場合ではない。


「いいから行きなサイ!」

 

 私は無理やり母に押し出されて学校に行かされた。



「ねぇ、昨日発売された『山都少女ノ友』をご覧になりまして」

「私も買いましたわ!宮様特集なんですもの!」

「登喜子様が宮様のお妃候補に挙がっているなんて書いてありますわ!」

「あら、私なんてそんな」


 女学校に着くと、今日も宮様の話で持ち切りになっている。一に宮様、二に宮様、三、四、五、六も宮様と言った勢いだ。

 本当に皆様、宮様のことが大好きね。会ったこともない人に夢中になる気が起きないわ。

 家を追われる身としてはそんな話はどうでもいい。幸いなことに誰一人私に声を掛ける人がいないから、ただの雑音か何かだと思えばいい。

 私は女学校に真面目に通っているけれど、女学校は正直なところ、あまり楽しい場所ではない。

 女学校は女性だけの閉ざされた社会のせいか、異物を極端に嫌う性質があるようだ。

 山都ノ國とプロイツェンの混血である私は他の女学生と外見が違うため、ほかの女学生たちは、私について陰口を叩いたり、私の所作の一つ一つを注目してあら捜しをしたり、仲間外れにしたりと色々だった。

 頭から水を浴びせたり、階段から私を突き落としたりしてもらえれば、明らかないじめ行為として学校に不服を言えるのだが、そこまでの勇気のある女学生はいなかったらしい。

 私への小さないじめを主導しているのは、名門華族の稀小路まれのこうじ家の公子きみこ様だった。女学校の一年下の後輩で、彼女が入学してからさらに陰湿になった。公子様に喜んでもらおうと取り巻き連中が躍起になっている。

 そのような事情から、混じり者の私は校内に友人はいない。

 昨日は宿題の用紙を私だけ配られなかった。後で職員室に行ってもらいに行ったから支障はないが。

 先生たちも私に対する仕打ちについて問題視しているようだが、いじめを主導している公子様やその取り巻きの女学生の実家が怖くて対処できないようだ。

 学生の本分は勉強だ。授業だけ真面目に受けていればそれで問題ない。

 今日も休み時間を適当にやり過ごしながら、授業を終えて私は帰ってきた。


「只今戻りました」

「学校はいかがでしたか」

「普通です。ところで、母様、お住まいについてはいかがいたしましょう?」

「やはり、お祖父様のところに行くしかないと思いマス」


 母が言うお祖父様とは母の父であるアインハード・フォン・ラインフェルガー侯爵のことである。父の失踪は早い段階でプロイツェン帝国に伝わったらしく、母方の祖父母は私たちを心配して プロイツェンへ移住を再三勧めてくれていた。加賀見家とは違い、両親の結婚に反対していない。そもそも両親の結婚を後押ししたのは、他でもないお祖父様だ。

『プロイツェン軍人貴族たる者、ねだるな!勝ち取れ!』と母を焚きつけたのだ。

 同じ国内にいる加賀見の祖父とはほとんど会ったことはないが、遠方にいるはずのラインフェルガーのお祖父様には何度も会っている。

 母方のお祖父様は、一昨年軍務大臣に就任した。また、十年前のプロイツェン・山都ノ國間の同盟締結にもかかわっており、山都ノ國を訪れる機会は多く、多忙な公務の合間を縫って私たちに会いに来てくれている。

 しかも、幸いなことに、お祖父様は国際会議に出席するために昨日から山都ノ國に来ている。


「既に電報は打ってありマスから、じきに来てくれるでショウ」

「お祖父様に会いたいな」


 私が呟くと、玄関が勢いよく開け放たれる音が聞こえた。

 ガラガッシャン!!

 うん、今、玄関の引き戸が外れたわね…。


「マチルダ!久しぶりダネ!大丈夫カイ?」


 玄関の外には巨人…いや、お祖父様が立っていた。というか、背が高すぎて上半分の顔が見えない。

 お祖父様は齢六十を迎えているにも関わらず、いつ見ても筋骨隆々の巨人だ。

 お祖父様はプロイツェン語を覚えていない下の弟たちに配慮して山都言葉で話してくれる。ちなみに、お祖父様は山都言葉を私の父から習ったらしい。


「お父様!また扉を壊しましたネ!」

「オーー、申し訳ナイ」


 済まなそうに身体を小さくしようとしているが、全然小さくなっていない。

 この扉の修理どうしよう、後で大学の事務局会計課の人に連絡しなくては。あの会計の人、すっごく怖いからあんまり会いたくないのよね。融通の利かない四角四面野郎だし。

 あー、やめやめ!せっかく久しぶりに祖父母に会えたのだから、今は考えないようにしよう。


「分かりましたカラ、早く入って下サイ」


 そう母に促されるとお祖父様は慣れた様子で、頭をぶつけないように玄関を大きく潜りながら入ってきた。お祖父様に隠れていて見えなかったが、祖母もいたようで、彼女も少し頭を下げながら入ってくる。祖母は細身ではあるけれど長身で、私より少し背が高い。ギリギリ頭を打たないかもしれないけど、ちょっと不安を感じるのも無理はない。

 小柄な人が多い山都ノ國基準で作られた小さな玄関にそびえる塔と巨…ではなく優しい祖父母。縦もそうだけど、横も狭いので祖父母が横に並んで立てない。


「お父様、お母様、狭いので中へドウゾ」


 と母が二人を応接間に通す。本来なら母もお祖父様たちと再会の抱擁を交わしたいだろうけど、狭くてそれは絶対にできない。


「それで、トシについて新たな知らせはないのカイ?」


 応接間の二人掛けソファに一人で座っているお祖父様が口を開いた。


「全く情報が集まらなくテ…それに、そろそろココを出ないといけないと言われテ」


 母は俯きながら、大学からの通知文書を要約して説明した。


「そうカ。それなら、ココを引き払ってやはりプロイツェンの屋敷で過ごした方がいいダロウ」

「そうですネ。できることなら、ここでトシが帰ってくるのを待ちたかったのデスガ」

 涙を浮かべそうになる母を祖母が優しく包み込む。プロイツェン語で『無理しなくていいのよ』、『よく頑張ったわね』と祖母が囁いていた。


「プロイツェン大使館と山都ノ國の役所にはワシから言おウ。サァ、ジージとこれから暮らそうナ!」


 お祖父様は私たち孫にニコニコと笑いかけてくれた。四人の弟たちの反応はそれぞれバラバラだった。

 すぐ下の弟レオ(父からの呼び名はレオ太郎)はちょっと微妙なお年頃のせいか、軽く頷く程度。

 その次の弟ペーター(同じくペタ次郎)は両手を挙げて喜んだ。

 三番目の弟ハンス(同じくハン三郎)は母の後ろに隠れた。

 一番下の弟トマス(同じくトマ四郎)はまだ一歳を過ぎたばかりで初めて会う巨人に驚き、大泣きした。


「オォォ、ジージは怖くないヨ~、怖くないヨ~」


 下二人の弟に声を掛けるが、逆効果だったみたいでハンスも泣き始め、トマスの泣き声がさらに大きくなった。


「お父様、お兄様たちのお子たちも同じような反応なのですから諦めてクダサイ」


 母はぴしゃりと言い放った。


「小さいころから泣かなかったのはサラだけだヨ~」


 なぜか私は昔からお祖父様を見ても泣かなかったらしい。それどころか、ケラケラ笑う子だったらしい。


「あ、あのお祖父様?もう私は子供では…」


 お祖父様は軽々と私を持ち上げた。私はプロイツェン人の血が流れているから普通の女学生より明らかに背が高いわけで、体重もそれなりにある。


「ジージの中ではまだまだ小さい子供だヨ!」


 お祖父様は屈託のない笑顔を見せた。

 最近、ずっと父のことで張りつめていたから、家族のふれあいというのも久しぶりな気がする。



「デハ、手筈が整ったら連絡シヨウ」

 

 祖父母は、狭い我が家を出て道路に留めてある大使館の馬車に乗り込んだ。


「ありがとうお父様。私たちはいつでも出られるようにしマスネ」

「また会オウ!」


 祖父母を乗せた馬車が颯爽と駆け抜けていった。

 こうして、私たちは山都ノ國を出る準備を始めることになった。


「母様、こちらはいかがいたしますか?」


 私はボロボロになった布きれを見せる。


「これは…持っていきまショウ」

「ほぼ、ゴミですよ」

「何を言っているのデスカ!これはトシが私にくれたスカーフデスヨ」


 母様、それはスカーフではなく手ぬぐいだった布きれです。山都ノ國の人ではないから、そのあたりの微妙な違いは分からないのは仕方ないけど、父様から聞いた話と違う…。

 父様が留学中に使い古した手ぬぐいで顔を拭いていたら、母様が「それよりもこちらをお使いください」と言って新品のタオルを押し付けて手ぬぐいを奪い去ったとか何とか。

 両者の認識の違いはともかく、ほぼゴミと思われるものも父との思い出がひとかけらでもあると全て持っていく荷物に認定されてしまうのであった。

 どうしよう、こっそり捨てようかな。そんなことをしたら母様に泣かれそうだし。


「姉様の中でゴミだと思う荷物を集めたらどう?お祖父様のお使いの人が荷物を減らせと言ったら真っ先にそれを捨てようよ」


 レオは母に聞こえないようにこっそり私に言った。普段は難しいお年頃で機嫌が悪い弟だけど、頭の回転は速く、色々と気も回る。私も母様に見えないようにレオの提案に賛成と目で合図する。

 というわけで、①プロイツェンに必ず持っていくもの、②できれば持っていきたいもの、③ほぼゴミ(母にとっては思い出の品)、④処分する予定のものという4分類で荷物を仕分けることになった。


「これは要らない、これは持っていく。女学校の教科書は…出国直前にブリトニカ語の教科書と辞書を残して他は処分かな」


 私は未練もなにもない学校関連の持ち物をどんどん処分していった。


「ふぅ…」

「姉様、疲れたんなら休んだら?」

「大丈夫、まだ動けるわ」


 荷物を整理していくと思い出が失われていくようでどこか寂しい気持ちになっていく。それに…何だろう、胸の奥底がモヤモヤする。

 生まれ育った国を離れるのが辛いのかな?辛くないとは言わないけど何度かプロイツェンに行ったことがあるからそこまででもないような。本当に何だろう、この気持ち。

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