それだけのことを、小太郎はほんの一瞬のうちに考えていた。

 声があたりを満たした。

 いや、満ちていた声を、ようやく意識することができた。

 前方に群れる敵は恐怖と怒りに満ちた声を、背後に控える味方は称賛と歓喜の声をあげている。

 小太郎は敵を前にして棒立ちになっていることに気づき、急いで崖の陰へ隠れた。

 崖に手をかけ、片膝を地面につく。

 胸が鳴っていた。疲れているのではない。あの程度の岩を投げることは、小太郎にとっては雑作ぞうさもないことだ。だから胸が鳴っている理由は別にある。

 人をあやめてしまったことに感じる罪深さと、そして興奮と快感。そして罪深さと裏腹に快感を感じることへの嫌悪感。それらがぜとなった怪物のような感覚。それが胸を高鳴らせる原因となっていた。

 高鳴りは胸から胴体へ、胴体から頭へ、さらに手足の指先にまで及んだ。

 全身がどくどくと脈打つ。

「やったじゃないか小太郎」

 興奮気味の声が近づいてきた。

 弥二郎だった。

 小太郎は立ち上がり、無理やり頬を持ち上げて笑みをつくった。

「まあな」

「これなら本当に天下を獲れそうだな」

 はっはっはと弥二郎は高らかに笑う。小太郎も合わせて、無理やりながら笑ってみせた。

「さあ戦いに戻るぞ小太郎。敵はまだ残っている」

「そうだな」

 見れば邑人たちは勢いづいていた。

 はじめは防戦に徹していたのに、槍を持った何人かが崖の裂け目から飛び出してくのが見えた。後方で石や丸太などの武器を集めたり湯を沸かしたりしている女や子供や老人たちがいっそう活気づく姿も見られた。威勢の良い掛け声とともに各々おのおのの作業に当たっている。湯や丸太や石ころが、手際よく前線で戦う者の手に行き渡る。

 丸太を伐り出す作業にあたっていた雛若が小太郎を見ていた。

 目が合う。

 雛若が、笑みを浮かべて片目を閉じた。

 胸がどきりと鳴った。罪悪感とは異なる感情が湧いた。

 なぜか、許された気がした。

 二人の敵を殺めたことを、むしろ褒められたような気さえした。

 いや、褒められて当然なのだろうと、小太郎はあらためて思う。敵だし、向こうもこっちを殺しに来ているのだから殺して当然だという思いが湧いてくる。

「どうした小太郎」

 平邑の防戦を掻い潜って突入してきた敵の首を鎌で切り裂いてから、喜三郎が声をかけてきた。

「さすがは小太郎だよ。おまえの怪力に敵は算を乱して逃げまどうばかりだ。今が攻めどきだ。もう一発岩を頼むぜ」

 すべてが肯定された。そう小太郎は思った。

「任せろ」

 小太郎は意気込み、また近場にあった大岩に近寄った。

 今度はさっきの二倍はあろうかという巨岩だ。

 両手で頭上に持ち上げた。

 見ていた邑人から声があがる。

 やってやれと弥二郎が叫んだ。

 邑人たちの真ん中を、小太郎は岩を掲げて突っ切った。

 崖の裂け目に達した。

 敵がこちらを見上げていた。攻めに転じていた味方も小太郎を見ていた。

 敵の顔が恐怖に、味方の顔が歓喜に満ちる。

「喰らえッ」

 膝を曲げる。腰もかがめる。体も曲げる。

 投げる準備を整えてから、一度、斜面を見た。

 手前には味方が何人かいる。それを巻き添えにするわけにはいかない。

 遠くを見た。

 敵しかいない。

 そこを狙った。

 小太郎は、全身を一気に伸ばした。全身の力で岩を投げた。

 岩が跳んだ。

 折り重なる枝をへし折り、木をぎ倒し、岩は空を切って森の中を進んでいく。

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