影はまたも少年だった。痩せていて背も低い。丸顔で、頬が赤い。

 少年は武器を持っていなかった。しかも構えていない。武芸を知らないのだろうと別水彦は見抜いた。少年の姿勢からは、別水彦の知るどんな技も繰り出すことができないからだ。

 別水彦はそこに漬け込んだ。

 武器を持たず、武芸の心得もない少年を別水彦は人質にとった。

 素早く少年の背後に回り込み、左腕を首に巻き付け、右手に持った鉈をその細い首に突きつける。

「動くな。動いたらこいつの首が胴から離れるぞ」

 動こうとする者はいなかった。雛若はきざはしに座ったまま、弥二郎は指に釘を挟んだまま、喜三郎は鎌を握ったまま静止している。

 別水彦はじりじりと後退あとじさった。

「おっさん」

 人質に取っている少年が口を開いた。

「なんだ」

 想像に反して強気な物言ものいいに、思わず足を止めた。

「この腕、邪魔だな」

 少年の首に巻き付けている別水彦の左腕を、少年が片手で掴んだ。

「ええい、余計な動きをするでないわ」

 別水彦は左腕に力を込めた。首を締め上げるつもりだった。

 できなかった。

 鍛え上げてきた腕が、少年の小さな手で引きがされたのだ。

「なに」

 何かの間違いだ、と別水彦は思った。

 腕にいっそう力を込める。

 ひじを曲げることさえできなかった。

 ならばと振り払おうと思ったが、それもできなかった。

 今や立場は逆転していた。別水彦が少年を捕まえているのではなく、別水彦が少年に捕まえられている。

 別水彦は慌てふためき、今度は鉈を見せておどした。

「う、動くな」

 しかし脅しも通用しなかった。

「その鉈も邪魔だな」

 少年は、もう片方の手で鉈の刃をつまんだ。人差し指と親指で、まるで汚いものでも持ち上げるかのようにはさむ。

 鉈が動かなくなった。

 振ろうが引こうが、鉈は少年の指に挟まれたまま微動だにしない。

 腕に、全身の力を込める。

 それでも少年の指を振り払うことはできかった。

 別水彦はなおも踏ん張った。

 体が熱くなり、息が切れた。

 てのひらに汗がにじむ。

 その汗で、手がすべった。別水彦の手から鉈が抜けた。

 抜けた鉈は、少年の指の間に残っていた。

 少年は、鉈を遠くに放り投げた。

「鉈は木を切るためのもんだ。それを人に向けるなんて物騒ぶっそうなおっさんだぜ」

 少年が別水彦の左腕に両手をかける。

「そういう奴は、こうしてやらァ」

 少年が上半身を前傾させた。

 別水彦は体から重みが消えるのを感じた。

 途端に景色が回転した。正面に地面が見え、次に、鳥居が見えた。鳥居は上下が逆転していた。

 投げられた――瞬時に別水彦はそれを理解した。

 頭の芯がくらむ。

 眩みつつも、別水彦は瞬時に次の展開を読んだ。投げられたのなら、背中から地面に叩きつけられる。受け身を取るべきだったが、間に合いそうになかった。

 なすすべがない。別水彦は目を瞑って、きたる衝撃に備えた。

 背中に激痛が走った。

 しばらく耐えた。

 全身がしびれている。だが怪我はないようだった。

 わずかに痛みが引いた。

 目を開けた。

 真正面に、晴れ渡った秋空が見えた。青天は、境内を囲む木々の枝によって細かく切り分けられていた。

 少年の、力のみによる応戦だった。そこに技はない。少年に武芸の心得がないという別水彦の読みは、その意味では当たっていた。

「おいらがだからって甘く見たんだろ。でも、それが失敗だったな」

 少年はほこりでも払うように両手を打ち合わせ、へんッと鼻を鳴らした。

「真逆だぜ。おいらはこの平邑たいらむらで一番の力持ち――」

 少年はその場で四股しこを踏み、


泉小太郎いずみこたろうだ」


 大声でそう名乗りをあげた。両手を腰に当てる。

 その後ろに弥二郎と喜三郎が集まった。釘と鎌をそれぞれ構える。それから三人で声をそろえた。


「俺たち、仲良し泉三兄弟」


「まだやるかい、おっさん」

 ざくり。

 仰向けに倒れている別水彦の頭の横の砂利を、小太郎が踏んだ。腰を折り曲げて別水彦の顔を見下ろしてくる。

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