第1章4話【休暇だよ、休暇と言ったら休暇なんだよ】

『ロンデニオス帝国陸軍 緊急展開軍 第1大隊付属第1中隊各位へ……』


 クソ長い部隊名の先に、受け取った紙にはこう書かれている。


『20日間の休暇を給する』


 休暇。ああ、なんと素晴らしい響き。この時をどれほど待ち望んだ事か。

 家のベッドに仰向けになりながら、何度も目を通している文言に、オレは未だ心を奪われている。

こんな高揚感は、夏休みと冬休みが始まる時以来だ。こんなにうれしい事はない。

 何しようかな、何しようかな〜。幸いにしてここは帝国首都ベルニウム、東の外れとはいえ、娯楽は比較的ある方なのだ。

 やっぱり異世界と言えば酒場だろ。久々に行くか。ベルニウム名物、ダークブラウンエールを鯨飲するのも悪くない。

 おやっさんの店に顔出すのも良いよな。あ、やっぱりやめとこ、手伝えって言われちまうかも知れないし。

 扉を3度ノックする音で、オレの楽しい妄想は中断された。誰だよまったく。


「ウェスター、居るか。私だ、ルイズだ」


「中尉、じゃなかった、ルイズ。なんでオレの家を知ってるんだよ」


 安普請の長屋は、中から叫ぶだけでも声は伝わる。

 異世界で美少女が部屋を訪ねて来るってのは、かなりのワクワクイベントのハズなんだが、あくまでも上官だからな。わざわざ訪ねて来るからには、何かしらの用向きがあると見て良い。

 何事もないよう祈りつつ、扉を開けた。


「不躾だな。私はキミの上官だぞ。中隊全員の名簿を管理しているのは私なのだからな」


「それもそうか。まあ、立ち話もなんだ。良かったら入れよ。茶ぐらいなら出せるぞ」


「済まない」


 オレは、ルイズをダイニングに案内すると、質素な木の椅子に案内する。そして、暖炉に薪を焚べ、着火剤を火打ち石で擦り、水瓶から水を汲んだ。

 近年実用化された水道設備は、まだここには届いていない。早く来ねぇかな。転生前の文明の利器が懐かしいぜ。


「そう言えばルイズ、ここはベルニウムでも屈指の治安が悪い所だぞ。女、それもお貴族様のお前が、たった1人で来るなんて、しかも護衛もなしかよ」


「護衛をつければ、むしろここには来られないだろう。それに、私がこの街の悪漢どもに遅れをとると思うか?」


 アルトール戦の時はビビり散らかしてたけどな。


「その、アルトール殿の時はだな。あれは例外なのだ」


 オレの内心を見透かしてか、ルイズが思い出したように顔を赤らめ俯き、拗ねるように弁解した。あらやだ、ちょっと可愛い。


「それはそうとだ」


 気恥ずかしさを誤魔化すように続けた。


「正式に通達が出るだろうが、10日後に戦勝記念パレードが催される。それに合わせて、我々第1中隊に勲章の授与が行なわれる。中隊、と言っても、もう3人だけだがな」


 ルイズは寂しそうに言った。まあ、責任感の強そうなやつだしな。心を痛めるのも無理はないか。

 慰めの言葉をかけようと思ったが、ルイズたんの口から、今しがた飛び出した不穏な言葉が気になった。


「おい、ちょ待てよ。戦勝パレードに勲章授与? まさか、オレも出るのか?」


「無論、そうだが。それがどうかしたのか」


「てことは休みが何日か潰れるのか?」


「当然だろう。それがどうしたというのだ」


 いやいやいやいや、あっけらかんと仰いますけどね。それってつまりは休日出勤って事?


「ちなみに、手当ての方は」


「お前は先ほどから何を言ってるのだ。そのようなもの、ある訳がないだろう。そもそも、皇帝陛下直々に勲章を賜るのだぞ。手当などより、よほど栄誉な事ではないか」


 手当てもなし。マジかよウソだろ冗談だろふざけんなよ。勲章なんざどうでも良いよ。休みを返せ、でなければ手当を払えよチクショウメー。


「それとだ、こちらの方が本題なのだが」


「なんだよ、勿体ぶらずに言ってくれ」


 オレは苛立ちを隠す事なく湯気の立つ茶をテーブルに置いた。


「その前に、詫びをさせてくれ。済まない。キミのエルゴ橋での戦いの様子が、友人の錬金術師の耳に入ってしまったのだ」


「エルゴ橋って、オレ達が降下した、あのデカい石橋か……って、おい、おいおいおいおい、ちょまてよ」


「どうやら、アルトール殿の口から軍上層部に伝わり、巡り巡って彼女の耳に入ってしまったようなのだ」


 テーブルの上で手を組み、その甲を額に押しつけながら悩ましげに言うルイズ。


「あのクソ魔導士が」


 やりやがったな、あの野郎。オレが実験材料になる事を見越しての嫌がらせだろう。

 まったく、今すぐアイツの胸ぐら引っ掴んで張り倒してやりたい気分だ。

 いや、それだけじゃ済まさない。磔にしてから120ミリ滑空砲をお見舞いしてやる。徹甲弾でな。      

 まあ、言ってもこの国の最大車載火砲、護衛戦車の75ミリクラスなんですけどね。しかも短砲身。クソが。


「本当に申し訳ない」


「いや、お前に謝られてもな」


「それでだ。急で申し訳ないのだが、その錬金術師に会って貰わねばならなくなったのだ」


「なんでだよ」


「彼女は軍直轄の魔導研究所の所長なのだ。出頭命令には逆らえない」


「嘘だろおい」


「イリーナは聞き分けの良いやつだ。友人である私の頼みなら聞いてくれるはずだ」


 5日後、オレはルイズに首都ベルニウムの官庁街まで連れられてやって来た。

 研究所と聞いていたから病院みたいな施設を連想していたが、金縁で彩られた白亜の豪邸といった構えだ。先方からの呼び出しという事で、厳重な警備の割には、簡単な手続きを経て中に入った。


 喫茶室で待たされしばらくすると、白衣を羽織ったおっとり美人が入って来た。


「はじめまして、私はイリーナ・エル・リヴェット。イリーナで良いわよ。あなたがルイズちゃんの言ってたウェスターさんね。よろしく」


 手を伸ばして握手を求めて来た。断る理由はないので応じる。こっちの世界に来て、初めて女の手を握った気がする。なんかすげえ柔けぇ。

 しかし、所長と言うからにはここのトップなんだろうが、ゆるふわ系という言葉がしっくり来る。とても偉い人には見えないんだが。


「さっそくで悪いんだけど、あなたに聞きたい事があるの。まずは掛けてちょうだい」


 いきなり来たか。上手くかわさないと怪しい実験室行きになりかねない。


「さて、大魔導士グラン・アルトールの証言では、あなたには魔法が通じなかったと言う話だけど、これは本当なの?」


「そんな訳はありません。ちゃんと痛かったですよ」


 嘘はついてない。事実痛かったからな。死ぬほどじゃないが。


「特級の雷撃魔法と新開発の傀儡魔法も効果がなかったという話よ」


「だとしたら、あのク……大魔導士がミスを犯したのでしょう。当たりどころを外したのかと。私には特別な能力も何もありませんよ」


「でも、彼はフレメシア共和国の首領の1人なのよ。そんな人がミスを犯すかしら」


「彼は、たった1人で突っ込んで捕縛されるような愚か者です。教本にも、功名心の強い好戦的な自信家とありました。ああいう手合いは、軽薄なお調子者と相場は決まっています。魔法も、扱う人物の質に左右される事もあるのでは?」


 とにかく徹頭徹尾クソ魔導士自身の問題に仕立て上げてやる。


「う〜ん。確かにそういう事もあるかも知れないわね〜。でも、やっぱり、本当の所は、あなた自身を調べないと分からないのよ」


 くそっ、やっぱり思い通りにはいかないか。


「イリーナ、彼は私の友であり、頼もしい部下なのだ。もし、無謀な実験に付き合わせると言うなら承服出来ないぞ」


「大丈夫。サンプルを、具体的には髪の毛と血液を少しだけ採取させて欲しいだけなのよ」


「本当だな。ウェスター、キミはどう思う?」


 どう思うって、オレ注射とか嫌いなんだけど、と思った所で今は注射針ごときでは痛みを感じない事を思い出す。


「まあ、それで手打ちに出来るのであれば」


「ならばイリーナ、サンプルの採取は、私の見ている眼の前、今この場で行ってもらいたい」


「良いわよ。ふふっ、ルイズちゃんは、ウェスターくんの事が大好きなのね」


「はあ!?」


 ルイズが素っ頓狂な声を上げる。いきなり何を言い出すんだよ、このゆるふわ。


「な、な、な、何を言うんだイリーナ」


 すごい動揺してる。耳まで真っ赤じゃん。なんだか、こっちまで恥ずかしくなって来たぞ。


「う、ウェスターは、あくまで部下であり、友であって、べ、べ、別にそういう関係ではないのだ」


 うわ、もう凄い早口。とりあえず落ち着いてくれルイズたん。


「はいはい、そういう事にしておきましょうねぇ」


 席を立つと、準備の為と言いながら、ゆるふわ錬金術師イリーナは部屋を出て行った。

 中にはオレとルイズの2人きりが残された。

 なんか、もうすげぇ気まずい。ルイズも、さっきからずっと俯いて黙ってるし、話変えるか。


「それにしてもルイズ」


 今はゆるふわ所長の前じゃないから、タメ口で良いよな。


「な、なんだ」


「ここって、魔導研究所だろ? 見張りも付けずに客だけ残すなんて不用心じゃないか」


「あ、ああ、それはだな。人工魔導士達が交代で監視をしているのだ。私達がこの部屋から勝手に出れば、直ぐに思念伝達を受けた衛兵が飛んで来る」


「そういやぁ、ここは人工魔導士の拠点みたいなものだったな。リリアみたいなのが、他にも居るのは道理か」


「イリーナの話では、リリアは人工魔導士の中でも最高傑作らしい」


「へぇ〜、でもよ。なんで、そんな貴重な戦力を中隊に付けてるんだ。それほど優秀なら、大隊か連隊本部付きが妥当だろうに」


「それは恐らく、私がイリーナの友人だからだろう。彼女もああ見えて貴族だからな。キミも知ってるだろうが、帝国貴族というのは、思いの他融通が効くものなのだ」


 嘘だろおい、ゆるふわも貴族なのかよ。

 そう言えばルイズの友達だもんな。オレとルイズの関係が特殊なだけで、ロンデニオス帝国の厳格な身分制度の元で、平民が貴族とお近づきになるとか、本来は有り得ないんだよな。


「そう言う事は、早く言ってくれ。ボロが出たらどうするんだよ」


「大丈夫だ。彼女はそんな事を気にする性格ではない」


 なら良いんだけどな。将来この国で商売をやってくんだから、貴族を敵に回したくないんだよ。

 オレの目的は、あくまでスローライフ。店出して、店長と店員雇って悠々自適な生活を満喫するんだ。

 その為にも情報収集は欠かせない。今のうちにルイズから聞き出しておこう。


「なあ、そう言えば、人工魔導士の生成とか調整って、どうやるんだ?」


「いきなりなんだ」


「いや、だって気になるだろ。人工、って銘打ってるくらいだから、手術する事くらい簡単に想像つくけど、本人達の同意の有無や、対象者の供給方法とか、色々疑問に思うのは自然な話だろ」


 ルイズの表情が若干曇る。やはり、人工魔導士は帝国にとっての暗部のようだ。だからこそ、知らなくてはいけない。

 今後、ゆるふわ錬金術師イリーナが、オレを実験材料として狙って来る可能性が消えた訳ではないのだ。


「それはその、私の口からは言えない」


「言えない、って事は知ってるって事だな」


「むぅ……」


 正直な子だ。そう言う所、嫌いじゃないぜ。


「済まないウェスター、これは軍事機密に関わる事なのだ、私の口からは話せない」


 口振りから察するに、相当非人道的な事をしているに違いない。なんとしても口を割らせないと。

 幸いな事に、ルイズはオレに気があるとみて間違いない。

 それは、ルイズの今までの態度を見ても明らかだろう。オレは無自覚系主人公じゃないんだ。

 ヘタレで馬鹿正直で世間知らずなお嬢様なら、色仕掛けで落とせるか。

 いや、最悪の場合、不埒者、と投げ飛ばされる可能性もある。それだけで済めば良いが、今後、隊内での扱いが悪くなる可能性がある。

 ルイズの性格から言って、そんな陰湿な事はしなさそうだが、人間なんてものは分からないからな。

さて、どうするか?


「ルイズ、真剣な話なんだ」


 オレは席を立つとルイズの後ろに回り肩に手をそっと置く。彼女の体が小さく跳ねる。


「きっ、急になんだ。ウェスター」


 振り向きオレをみつめるその眼は微かに潤み、耳朶まで赤く染まっている。ルイズが手を振り払わない事をオレは見逃さなかった。


「今後、イリーナ所長が強引にオレを実験材料とする可能性がない訳じゃない。その場合、どんな事をされるのか聞いて置きたいんだ」


「ウェスター、あまり私を困らせないでくれ」


 顔を背けて俯く。オレも妙な気になって来るが、ここはぐっと我慢だ。オレの目的は断固としてスローライフ。

 ルイズは帝国貴族、恋仲になれば、他の貴族に睨まれる事になる。面倒事はごめんだ。

 オレは、そっと手を離す。塩梅は見極めないと。


「ルイズ、少しだけで良いんだ。どこにも話さないよ。ここで聞いた事を周りに話しても、オレに特はないだろ」


「そ、それはそうだが」


「オレには、君の助けが必要なんだ。頼むよ」


 責任感の強い子だ、困っている部下を見捨てるような事は絶対にしないだろう。


「お取り込み中の所悪いのだけど、入るわね〜」


 扉を開けながら、ゆるふわが入って来る。こら、ノックくらいしなさい。


「な、何も取り込んでなどいない!」


 ルイズが立ち上がり声を上ずらせて叫ぶ。くそっ、もう少しの所で聞き出せそうだったのに。


「あら、そう。ルイズちゃんのトキメキが急上昇したって、思念伝達で報告があったのだけど」


「ぬん!」


 素早い動きで立ち上がると右腕を唸らせ、オレの顔面に拳を繰り出すルイズ。取り敢えず食らっておこう、ケジメとしては充分だろ。


「あらあら、ダメよルイズちゃん。これからサンプル取るのに乱暴しちゃあ」


「採取するのは血と髪の毛だろう。顔なら問題あるまい」


 それでこそルイズたん。


「まあ、それもそうね。それじゃあ気を取り直して、始めるわよ〜」


 まるで楽しいクッキングの時間だと言わんばかりに注射器具をカートから取り出し、準備を始める。なにが、それもそうよね、だ。このゆるふわサイコパスめ。


「その前にひとつ確認させて下さい」


「何かしら」


「その注射針、新品なんですよね?」


「もちろんよ。データを取るのに混ぜものがあってはいけないもの。でも、それがどうかしたの?」


「いえ、なら良いんです。針が原因で感染症になるという話を、本で見た記憶がありましたから」


 元居た世界の常識だが、適当に話をでっち上げる。

 こっちに来てから、丈夫な体のお陰で風邪一つひいた事はないが、念の為だ。


「ちなみに、士官学校であなたが受けた検査でも、清潔な針が使われてるのよ」


「それは良かったです。あの時は聞けるような雰囲気ではなかったので、冷や冷やしてたんですよ」


 そうなると、この国の産業革命もなかなか進展が早いな。少なくとも、清潔な注射針を量産出来るくらいの技術的土壌はある訳だ、オレの家には、未だに水道設備も届かないクセにな。ほんと歪だよ、この世界は。

 サンプルの採取が終わると、扉が叩かれた。


「失礼します。お茶が入りました」


 聞き馴染みがある声が扉越しに飛び込んで来る。


「ありがとうリリアちゃん。入っていいわよ〜」


 ゆるふわサイコ所長の声に応じるように開かれた扉の奥から、小洒落た配膳代を押しながらリリアが入って来た。清楚なゴシックメイド姿だ。めちゃくちゃ似合うな。でも、なんでリリアが給仕なんてやってるんだ?


「おい、イリーナ。またリリアに給仕などやらせているのか」


 ルイズがオレの疑問をそのまま口にする。


「だって、リリアちゃんは私のお気に入りなんだもの。作戦中以外は、一緒に居たいじゃない」


「まったく、人工魔導士をなんだと思っている」


「あら、人工魔導士の日常のモニタリングも、立派な研究の一環なのよ」


「どうだか」


 2人のやりとりを無視するかのように粛々とお茶と焼き菓子の用意をすすめるリリア。オレの前にも茶を注いだカップを置いてくれる。いい香りだ。


「リリア、久しぶりじゃないか。元気にしてたかよ」


 リリアは怪訝そうな顔をした。そっか、今は私服だからな。軍服来てないから一瞬戸惑ったんだろう。作戦中は鉄帽も被ってるから、誰か分からなくても無理はない。


「オレだよ。第1小隊の小隊長、ウェスター・ロラントだ」


 ここまで言っても、思い出せないと言った感じだ。どういう事だ。どうも様子がおかしい。


「あの、すみません。ロラントさんでしたか。失礼ですが、あなたと私は、本日初めてお会いしたと思うのですが」


 背筋に冷たいものが降りてきた。


「なん……だと」


 初めて会った、だと。何を言ってるんだ。


「ウェスターくん、怒らないでね。リリアちゃんは、調整の過程で、記憶を消去せざるを得ないのよ」


「は?」


 このゆるふわ、今、なんと言った?


「どういう事ですか」


 相手が相手だけに、極力丁寧に喋ってやるが、本当なら叫びたい気分だ。

 記憶を操作だと? 前世の俺よりもっと扱いが酷いじゃないか。やっぱり人工魔導士は、非人道的な実験の産物だったのか。


「仕方がないのよ。あまり詳しくは言えないけれど、そうしないとリリアちゃん達は、魔法が使えなくなってしまうの」


「リリアを無理やり実験台にしてるという事ですか?」


 オレの質問に、ゆるふわサイコ所長は答えなかった。


「済まないウェスター。リリアの事は、機密の為に言えないのだ。だが、これだけは信じて欲しい。これは、リリア自身の為でもあるのだ」


 ルイズが口を挟んで来た。誤魔化そうとする意図が透けて見える。


「よく本人の前でそんな事が言えますね」


「うっ……」


 ばつの悪そうに俯くルイズ。こういう時に敬語を使うと、随分と嫌味に聞こえるもんだな。

 ルイズは決して悪い人間ではない。むしろ、ダントツで良心的な部類に入る。こんな人間は、前世はもちろん、この世界でも今までお目にかかった事がなかった。

 ヘタレなところは御愛嬌、根本としてノブレス・オブリージュが服を着て歩いているような女だ。

 そんなヤツが、俺を物以下の存在として扱った連中と同じ思考をしている。しかも、当人はその自覚がないと来ている。それが堪らなく悔しい。

 確かにオレは他人よりも自分を優先すべく生きてきた。もう前世の二の舞いを演じるのはゴメンだという一心からだ。

 先の戦いでは、敵はもちろん、操られた味方すら殺し、クソ魔導士ことグラン・アルトールを倒す為に、リリアとルイズに流れ弾が当たる事すら厭わなかった。

 だが、リリアが置かれている現状を知って、死ぬ間際の悔しさや虚しさが込み上げて来た。こういうのは理屈じゃない。感情の問題だ。


「さっきから聞いてれば、リリアをまるで物扱いじゃないですか。リリア、お前はそれで良いのかよ」


「そう言われましても、私には昔の記憶が無いんです。ですから、あまり実感が沸かないんですよね」


「調整は本人に苦痛を与えるものではないわ。だからウェスターくん、どうか落ち着いてちょうだい」


 苦痛を与えないから何だというんだ。ゆるふわサイコ女がオレの質問に答えなかったという事は、最初は無理やり実験材料として使ったという証左じゃないか。


「ロラントさん、神経伝達が異常な興奮を示しています。まずは、お茶をお召あがりになって、どうかお怒りをお沈めになって下さい」


 なんだよリリア、お前の為に怒ってるんじゃないか。いや、違うか、結局はオレのトラウマを周囲に押し付けてるだけなんだ。


「はぁ」


 ため息が漏れちまう。くそっ、馬鹿馬鹿しいな。

オレはカップを手に取るとショットグラスを開ける勢いで茶を口に流し込む。もう礼儀作法など知った事か。


「……美味い」


 家で使っている茶葉とは段違いだ。爽やかな渋みが心地よく、芳醇な香りが鼻腔に抜ける。


「お気に召して頂けて良かったです」


 リリアが朗らかに微笑む。ここで行われているであろう実験や調整など微塵も感じない。それが余計に痛々しかった。


「なあリリア、お前は今、幸せなのか?」


 結局は、そこが一番重要な所だ。記憶を無くすという事は、裏を返せば、嫌な事も忘れるという事だ。

 過去のトラウマを引き摺っているオレからすれば、羨ましくもあるし、オレがリリアの境遇をどう思おうと、それは今のリリア自身にはまったく関係ない話だ。


「そうですね。所長は優しいですし、職員さん達も良くしてくれていますから、幸せと言って差し支えないと思います」


「そうか……イリーナ所長、これで検査は終わりでしょうか?」


 慇懃な態度を、ゆるふわサイコ所長に投げてやる。


「そうね。サンプルの採取は終わったし。帰ってもらって問題ないわ。ルイズちゃんは、もう少し残ってもらえる? 久しぶりに会えたのだし、もう少しお話したいのだけど」


「私は構わないが」


 と、言いながらオレの方を見るルイズ。


「久しぶりに会った友人です。ゆっくりお話しなされては如何でしょうか、中尉殿」


 実験の内容や対象者の選定方法など、肝心な所は聞けず仕舞いだが、これ以上、情報を得られないのであれば、こんな所はさっさとおさらばするに限る。


「ウェスター、その……」


「どうかされましたか、中尉殿」


「今日は色々と済まなかった」


「何も、申し訳なく思う必要はありませんよ。こちらこそ、ご無礼を致しました。では、失礼致します」


 まったく、お互い何に対して謝ってるんだか。

 さて、腹いせに今日は飲み明かしてやるぞ。軍事パレードだの勲章授与式だの、諸々のクソイベントまでには、まだ日があるんだ。せっかく街の中心街に来てるんだ。東の外れでは味わえない、ちょっといい店にでも寄ってみるか。

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