第16話 「タオの店」を目指して
※病気の表現があります。苦手な方は飛ばしてお読みください。
ペーンとハーンは湖のほとりの宿屋を再開した。
息子と嫁を見送った後、双子の為にも働かなければならなかった。あの黒い雨の日から双子が産まれるまでの約半年の間に治療費はかさみ、蓄えは底をついて、借金を重ねていた。
双子には乳がいる。たった三日の戦争で未亡人と遺児になった山羊獣人の親子に、宿の一室と食事の提供を対価に乳母になってもらう事ができた。乳母の乳は良く出て、双子はスクスクと大きくなった。
戦後の公共事業で湖の周りには沢山の労働者が来ていて、宿屋も景気が良かった。目まぐるしく日々は過ぎていく。
タオは二~三ヶ月に一度、商売の途中だと言って荘園の菓子や違う土地の果物や酒を持ってふらっと顔を見せにくる。キックとノーイに反り返って嫌がられ泣かれながらも必ず頬にキスをして帰っていく。
ある日、ペーンは何も無い所で転んだ。ハーンは、しっかり食器を持ったと思ったのに落としてしまった。初めはお互い働き過ぎだと笑っていた。しかし段々と手足に力が入らなくなってきた。運べる皿の数が減り、酒の入ったジョッキが重く感じた。
いくら薬草茶やポーションを飲んでも改善しない。マッサージに通って「夫婦共に全身がガチガチで石のようだ。仕事のしすぎ」と言われた。ふと自分達も黒い雨に濡れた事を思い出した。
神殿に行き、石化の影響で起こった筋力低下だと診断された。黒い雨に濡れた量が極少量だったので発症はしていたが気付かず、ゆっくりと進行していったようだ。また、この神官では現在夫妻にできることは無く、荘園の高位神官でも進行を少し遅らせる程度だそうだ。
ペーンとハーンは、タオに手紙を送った。後悔をしている暇はない。今はこれからを考える時間しかない。双子達は一歳になったばかりなのだから。タオはすぐに宿屋に飛んできた。夫妻は自分達が一年以内には亡くなる事、孫達を成人するまで育ててほしい事を伝えた。
「ペーンとハーンはどうするんじゃ」
「俺たちはどうにかなるさ。キックとノーイが生きていけるなら、後は野となれ花となれさ」
「ワシがペーンとハーンを置いていくと思っているのじゃな?バカにしおって!」
「私達は後は朽ちていくだけなのよ。タオにこれ以上迷惑はかけられないわ」
「それなら、なおさらじゃ。キックとノーイに祖父母を置き去りにした男と思われる事の方が迷惑じゃ。お前達も荘園の『タオの店』に一緒に行くのじゃぞ。お前達は最期の一日までキックとノーイの側で、ちゃんと生きるのじゃ。お前達の立派な息子と嫁の様にな。キックとノーイを頼むならこれは決定じゃ。さぁ、今すぐ引っ越しの準備をするのじゃ。店の事も後悔の無いようにな。ワシは町に必要なものを買いにいってくるのでな」
タオは自分の店までの道程を考える。
ナ・シングワンチャーの荘園は広大だ。バンジュートの中でも一番大きい。
大人の男性でも本来のナ・シングワンチャーの荘園をぐるりと歩いて周るのには約八日かかる程だ。
湖の宿屋からタオの店まではタオだけなら少し危険な森をショートカットして、徒歩で約十時間程度で着く距離だ。休憩などは取らないし、食事も携帯食など簡素な物だ。
今回は幼児二人とまだ動けると言っても病人二人を連れての移動だ。安全第一で、街道に沿って移動し休憩を挟みつつ、宿に泊まる必要があるだろう。余裕を持って四日位か。いっそ馬かロバに荷車を付けて夫妻と双子は乗せて移動させよう。これで三日に短縮できるか。タオはロバを二頭と、四人が座れる荷車を購入した。荷物は最小限にしなければならない。
湖の宿屋に戻ると、夫妻と乳母と山羊獣人らしき労働者が話し合っていた。乳母と労働者は幼馴染で、宿屋で再会したらしい。乳母に宿屋を畳む事を伝えたようだ。石化が進んで仕事がこなせなくなってきた時に働き者の乳母に大分助けられた様に聞いていた。
「ペーンさん、ハーンさん、戦争で未亡人となった私と子どもに、家と仕事と日々の食事を与えていただき、ありがとうございました。家もなく子どもを抱えた私にとって、ここは無くなってしまった実家の様に温かでした」
そう言いながら隣の幼馴染を見た。幼馴染が優しげに乳母の背中に手を添える。
「ご存知と思いますが、彼は幼馴染で、この一年程の
「こいつの子どもは二歳になったばかりだし、俺は料理はできんので、宿屋だけを続ける事になると思う」
ペーンとハーンの財産はこの宿屋だけだ。戦後の好景気で借金だけは返す目処はついている。タオは考えた。乳母が言うように、この宿屋をいつかキックとノーイに渡してあげたいと。双子の父と母が眠る湖が見渡せる丘にある墓地にも近い。タオはペーンとハーンの墓もそこにしようと考えていた。
「ワシに良い考えがある。お前達は今どれ位の金が有るのじゃ」
「今準備できるのは金貨一枚です。少ないのですが……」
庶民が金貨一枚を貯めるのは大変だ。ましてや実家を出て、子育てをしながら金貨を見ることなどほとんど無いだろう。この若いカップルの誠実さを表しているようだ。
「よし。ワシがここの宿を買い上げて家主になるとしよう。そしてその金貨一枚で無期限にお前達に貸し出してやるのじゃ。その代わりに、この宿屋の管理を任せる。売り上げは全部お前達の取り分じゃ。税金もじゃがの。好景気じゃから、宿屋だけでも半年で金貨二枚位は貯まるじゃろう」
「「「「そんな!」」」」
破格の提案に四人が声を揃える。
ペーンが慌てた様子でタオに訴える。
「タオ。俺たちはこの宿屋以外は財産は無い。お前にこれ以上迷惑はかけられん」
「無理はしないで。タオは独り身だし、これからも長いのよ。私達の為に苦労はかけたくないの」
「俺たちに良すぎる条件で大丈夫なのか? 宿屋は大切に管理する事を約束する」
「ワシが名の売れた冒険者だったのは、二人も知っとるじゃろう。金はある。心配せずとも良いのじゃ。住み慣れた土地を離れるのは不安じゃろう。じゃが、荘園の方が良い治療師もマッサージ師もおるじゃろう。キックとノーイをワシに預けるのじゃ。人質を取ってるのじゃからワシの言う事は絶対じゃ」
ペーンとハーンは涙ぐみながら旧友の優しさを噛み締めた。その日は夜遅くまで、タオ達は酒を飲み語り合った。
次の日朝早く、小さな箱を四つと、夫妻と双子達を乗せたロバの荷車はタオに引かれながら「タオの店」を目指して出発した。
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