第9話 葉月のお値段

 中年の狐獣人の奴隷商の名はグロンだった。おりという意味だそうだ。なんとも奴隷商人にピッタリな名前だ。だが良識ある親だったら絶対につけない名前のチョイスでもある。


「ハヅキ。こちらにどうぞ」


 葉月は奴隷のはずだが、応接室らしき部屋で椅子に座る様に促される。グロンは控えていた女性にお茶を持ってくる様に指示した。


 お城で、とても奴隷らしく扱われた身としては、この待遇は奴隷では無くなった可能性が出てきたのではないだろうか。


 テーブルにお茶と茶菓子が準備された。グロンが自ら茶を飲み、勧められたので一口飲んでみる。ややぬるめで飲みやすい。匂いはどくだみ茶の様なクセがあるが、苦味も無く香ばしいお茶だった。喉が渇いていたので一気に飲んでしまう。お腹も空いていたので、遠慮なく焼き菓子も食べる。松の実が入っていて、ほんのり甘みを感じた。見た目は小さな月餅だが甘みが圧倒的に少ない。異世界あるあるで、砂糖は高級品なのだろうか。


 思えば異世界に来て5時間位経つが、これが初めての飲食だった。


「ハヅキ。一息つけましたか? 騎士団の方から聞いていますよ。大変でしたね?

 ウチは他の奴隷商とはちょっと違っていてね、老舗でもあり高級店でもあるのですよ。私はね、この『アンポーン(隠された幸運)の店』を誇りに思っています。

 だから君にはこの店に誓って素晴らしい主人を見つけてあげますよ!! 」


 やはり葉月は奴隷だった。


「奴隷商を蔑む奴もいますが、私たちがいなければ死んでいた人はゴマンといるでしょう。

 生きていくには食べなければいけません。食べていくには働かなければなりません。上手く働き口があれば良いのですが、無ければ飢えて死んでしまいます。国王様も領主様も助けてはくれません。たった数回の炊き出しでは解決はしません。そんな時は自分で自分を売るしか無いのです。

 奴隷商人は死神ではなくて、救いの神なのです!

 奴隷だって扱き使われるだけではありませんよ。若くて美しければ、愛人や正式な妻や夫になって自由民になり、奴隷を使う側にもなれます。能力や頑張り次第で金を稼ぎ、自分で自由民になる人もいます。自由民になれば好いた方と結婚もできます。有名な医者や学者、音楽家や芸術家や舞踏家、裁判官になった方もおります。

 まぁ、ウチは老舗の高級店『アンポーンの店』ですので、最初から客層が違うのです。それだけ良い方に買い上げてもらう確率は上がるので心配は要りませんよ」


 グロンは愉快そうに微笑み、自身の麦藁色の髪を撫でつける。痩身でつり目の三白眼なのに神経質そうに見えないのは、好奇心に溢れたクルクル変わる表情だからだろうか。


 沢山質問したい事がある。とりあえずグロンになんと呼びかけて良いのか分からない。


「あの……ご主人様? 」


 グロンは、はははと声を出して笑った。


「私はハヅキの正式な所有者では無いから、グロンと呼べば良いですよ」


「では、グロン」


 部屋の隅の机で書類仕事をしていた女性が顔を上げ目を丸くして見つめている。


「ニホンジンは距離の取り方が独特ですね。とりあえず、グロン様と呼ぶのが適切ですよ」


 グロンは苦笑しながら訂正する。


「あっ。すみません。私、言葉通りに受け取っちゃって……」


 常々、京都に産まれなくて良かったと思っていた。言葉に裏があるなんて、真意なんてわからない。そんな葉月に、わざわざ褒め言葉にのせて意地悪を言う事は女子に多かった。「頭の良い人が考えることは違うわぁ」とか。時々思い出して心がチクチクするが、今なら奴隷になった現実で、そんな些細な事は全部消す事ができそうだ。


「あの、グロン様。私、どんな所に売られるんでしょうか? 日本ではちゃんとしたお仕事した事が無くて不安なんです」


「あ、領主様から魔力が少なくて追い出されましたからね。でもね、転移者は算術に長けていたり、様々な技術者がおりますから。実際、ナ・シングワンチャーの荘園しょうえんは転移者により治水事業や下水事業が行われ大きく変わりました」


 思ったより転移者は多いのかも知れない。 


「その転移者さんはどちらに? 会いたいです! 」


「残念ですが、昨年60歳で大往生を迎えられました。ローマジンで学者だったそうです。ハヅキも領主様からいただいた鑑定書を見ながら、貴女に合うお仕事を探してみましょう」


 先程兵士から貰い受けた巻物を開いているグロンを見て、葉月は御屋敷での流れを思い出していた。


「あっ。あのっ。グロン様! きっとそれを見たら、すごくがっかりすると思いますよ。私、価値が無いんです……」


「またまたそんな。領主様には金貨50枚御寄付しましたからね。金貨100枚からオークションに出てもらいますよ。それに、特殊ニッチな性癖の方もいらっしゃいますからね」


 葉月はあえて最後の方は聞かった事にした。


「私、きっと金貨50枚の価値はありませんよ? その、大丈夫ですか? 」


「今日連れてきてくれた兵士様の給金は1年で金貨50枚位ですよ。ご実家が裕福だったら買えない事も無いと思いますが」


「普通の人はどれ位稼ぎますか? 」


「そうですね。一般的な4人家庭は金貨2枚あれば1月は余裕ある暮らしができるでしょう。貧乏人は住み込みで働いて衣食住みてもらって月の給金は銀貨1枚程度でしょうか」


 なんとなくだが、金貨1枚は約10万円。銀貨1枚は約1万円位だろうか。葉月が後50年働いても金貨50枚も貯まらない気がする。


「気前のいい主人なら、何年かで自由民にしてくれるでしょう。そうですね、冒険者や戦争の功労者はとんでもない金持ちもいるから、気に入ってもらえればいいですね」


 グロンが巻物を広げ、食い入る様に読み込んでいる。


 だんだん顔色が赤くなり、そして色を無くしていった。


「ハヅキ、私は自信が無くなりました。貴女を金貨50枚以上の価値があると、良く調べもせず飛び付いた私の不始末です。領主様に御寄付させていただいた事は後悔はありません。しかし、自分が勘を外してしまった事がショックで……。ハヅキ、すみません。あまりにも安い奴隷はウチの店では取り扱う事ができないので、他店に移ってもらう事になります……」


 こうなるとは思っていたが、一応聞いてみる。


「あの……私の価値はおいくらでしょうか? 」


「とても言い難いのですが、経費を差し引いたらマイナスです」


えっ。まさかのマイナス査定?!

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