第2話
「えぇか、JRはええけどな、堺筋線だけは寝たらアカン。そう、ぜったい、アカン」
少し顔が赤くなった岸原がお猪口を片手に力説している。
七条烏丸。立呑屋だが椅子もある店。元々は東京のフランチャイズらしいが、安いし味が良い。酒も肴も進む。
「堺筋線だけですか?」
私もそれなりに酔っていた。どんな会話のつながりで、こんな話になったのか。記憶が定かではない。ただ、私も続きを聞きたいと思っていたような気はする。
「いや、阪急も要注意やな」
岸原がお猪口に残ったお酒を飲み干し、続ける。
「ワシかて初めは信じられへんかった。そやけど、あの都市伝説はほんまもん。ほんまにヤバい」
自分のことを“ワシ”と言い出したら、かなり酔っている。そろそろお開きにしたほうがよいだろう。そうは思うが、こちらも酔っている。
「どんな都市伝説なんです?」
興味本位で話を促してしまう。
「堺筋線にはな、幻の駅がある」
「幻の駅?」
私はおうむ返しに聞いた。
「そう。松坂屋大阪店の地下や」
「松坂屋大阪店? あぁ、今の高島屋東別館」
以前、仕事で難波周辺に行った際に見かけた。素敵な建物だ。
「ワシが生まれる前には移転してるけど、元々は松坂屋大阪店やってん」
「そうでしたなぁ」
「その地下に堺筋線の駅を作る計画があった」
「へぇ、実現したら便利そうやな」
「せやろ。利便性抜群、客もお金もガッポガッポや」
「言い方やらしいな」
「ところが、これが実現せんかった。詳しいことはワシも知らんけど、今でも地下鉄の駅になる予定やった地下空間が残されている。改札、天下茶屋方面のホーム、駅から店に続くエスカレーターも残ってる。ついでに地下にあった食堂跡地も、まんま残ってる」
「へぇ! それは凄い! 見れますのん?」
建築物には多少、興味がある。詳しくはないが見学するのが好きだ。
「たまぁにイベントで現地に行けるらしい。ただ」
岸原の口調が変わる。トーンがさがる。
「イベントとは関係なく、ホームに辿り着いて帰ってこれなくなるヤツがいるらしい」
岸原が視線を落とした。酔いが回った顔ではあるが、目付きは冷静。
「どうゆうことですの?」
都市伝説の核心だろうか。
「堺筋線に乗った鉄オタ仲間がふたり、寝過ごして行方知れずや」
岸原が酒を飲もうとお猪口を口にあて、中身が入ってないと気がつき、カウンターの店員に日本酒を追加オーダーする。酔っているから止めるべきだろうが、続きが聞きたい。
「行方知らず? いなくなった?」
「あぁ」
岸原が新しいお銚子を受け取りながら頷いた。
「“堺筋線で寝過ごすと神隠しにあう”。近畿の鉄オタ界隈では有名な都市伝説や」
岸原がお猪口にお酒を注ぐ自身の手元を見つめる。
「それと幻の駅、どう関係が……」
私が言いかけたところで、お酒を注ぎ終わった岸原が目をつぶり小さく頷く。
「堺筋線で寝過ごすと、幻の駅まで連れてかれる」
岸原が目を開け、私を見た。
「連れてかれる?」
私は思わず眉間にシワを寄せた。当然だ。あまりにも現実離れしている。
「ワシも最初に聞いたとき、おんなじような反応したわ」
岸原が力なく、ニヤリと笑う。
「けどな。実際に2人もいなくなってみぃ」
「2人?」
「鉄オタ仲間がふたり。ひとりは鉄道イベント帰り、堺筋線に乗るから気ぃ付けるとか言っときながら連絡が取れなくなった。もうひとりは“そんな都市伝説はデタラメや”言うて、わざと寝て、消えた」
「まさか。何かの偶然かなんかと違います?」
「ひとり目の時は、ワシもそう考えた。けど、ふたり目はワシらでGPS使うて、そいつのスマホをリアタイで追いかけた。3往復目まではGPSが作動してた。四往復目は阪急に乗り入れて河原町まできて、また堺筋線に戻って、恵美須町付近で消えた」
「地下鉄だから、とか……」
「それも考えて、仲間内で実証した」
「結果は?」
「途切れへん」
岸原が小さく首を振る。
「何度やっても途切れへん。偶然、ヤツのGPSが途切れただけなのかもしれへんけど、いずれにしても、今もってどこにいるかわからへん」
「そんな……」
私は言葉が続かなかった。自分でも口が半開きになっているのがわかる。
「この手の都市伝説は全国にある。関東やったら“京成で寝過ごしたら行方不明になる”。どうやら、廃駅になった博物館動物園駅に連れてかれるらしい」
「……上野にあった駅やったか」
私はうっすら覚えていた知識を口にした。
「せや。まぁ、アレはどこまでホンマなんか、ワシはわからん。実際にいなくなった人、知らんからな。けど、堺筋線は実際にいなくなった。幻の駅に連れていかれているかどうかまでは確認できてへんけど、神隠しに合う危険性はある。これは間違いない」
岸原がお酒を飲み干した。
「そやかて、何で幻の駅とか廃駅に連れていかれるんです?」
私は気になった疑問を訪ねた。
「それはわからへん」
岸原が首を振る。
「消えた人間が帰らへんから、正直、どこに連れてかれてるか、どこに行ったか、本当のところはわからへん。ただ、幻の駅とか廃駅には使われなかった、使われなくなった無念さがある。その強い思いが鉄オタを引き込んでる、なんて話が出回ってる。なかには“仕事や生活が嫌(ヤ)になって逃げたくなった鉄オタを連れてってる”とか“あの世とこの世を結ぶ駅になってて寝過ごしたらあの世行き”とか“死んだ鉄オタと鉄道関係者をあの世に送り届ける列車の始発駅”とか、まぁぁぁ子供じみたこと言うてるヤツもおるけど、どれもこれも真偽のほどはわからへん。確かめようがない。わかってるのは……」
岸原がお猪口にお酒を注ぐ。
「堺筋線で寝過ごして消えた仲間がふたりおる。堺筋線の都市伝説はホンモノ、ちゅうことやな」
岸原がお猪口を手にした。
「……もしかして」
私はもうひとつ、気が付いたことを質問。
「阪急を避けてはるんは、友だちがいなくなったから?」
「その通り」
岸原がお猪口をカウンターに置き、笑みを浮かべて答えた。
「万が一、堺筋線に乗り入れてる電車で乗り過ごしたら適わへん。そやから念のため、なるべく乗らない。お前も気ぃつけや」
※※※※※
「そんな話を信じろというのか?」
小山が呆れ顔で聞いてきた。
「私も信じているわけではないですけど……」
思わず、弱い笑みを浮かべてしまう。
「だったらなんで、そんな話を」
小山がうんざりしている。グラスのビールを飲み干した。
「思い出したもので……」
私もビールをひとくち。
「思い出話も結構だが、もっと現実的な情報はないのか」
小山が少し苛立った声音。
「すみません、岸原との最後の会話だったもので」
「え?」
私の言葉に小山の表情がやや変わった。
「最後の会話、とは?」
「岸原がいなくなったのは連休明けの火曜日でしたよね?」
「そうだ」
小山が頷く。
「正確には、いなくなったと判明したのが、今週の火曜日だ」
「私と岸原が最後に飲んだのが、その4日前。先週の金曜日でした」
「本当か?! 」
小山がやや気色ばむ。
「失踪直前に岸原と会ってたのか?」
「そ、そうなりますねぇ」
私は少し気圧されつつ返答した。
「なぜもっと早く言わない! 確かに最後の飲みの席とは言っていたが……いや、そんなことより、いなくなる直前に話しているなら、もっと何か情報はないのか?」
小山が前のめりで聞いてくる。
「そうですねぇ……」
私は先週の金曜日のことを改めて思い返す。
私も岸原も、きっかり1時間残業して連休明けに必要な書類を仕上げた。ノートパソコンから顔を上げると岸原も終わった様子だったので、仕事の情報共有も兼ねて飲みに行こうという流れになった。
だいたい2時間くらいでお開きになったはずだか、最初の1時間程度は仕事の話、とくに週明けの会議について互いの内容を伝えていた。
「その書類を作るのに、私も岸原も残ってましたから」
「つまり、その時点で岸原は職場放棄しようとか、仕事から逃げたいといったそぶりはなかったんだな?」
「はい、まったく」
「そうか。それで、その後は?」
「そろそろお酒も回り始めて、電車の話や世間話になりました」
「それで、さっきの堺筋線の話か」
「だったと思いますが……あ、そうだ」
ふと、思い出した。
「なんだ?」
小山が、さらにこちらに近づく。
「堺筋線の話になったきっかけなんですが」
「いや、それはいいから」
小山があからさまに面倒くさそうな顔つきと口振り。それでも私は構わず続けた。
「日曜日、堺筋線に乗って出かけると言ってたんです」
「……ん?」
新たな情報。小山の顔つきが変わる。
「どこに行くと行ってたんだ?」
「鉄道関連のイベントで天下茶屋まで。南海でも行けるけど、利便性を考えて堺筋線に乗ると」
岸原のマンションはJRなら環状線の天満駅、堺筋線なら扇町駅の近くにある。天下茶屋までなら堺筋線で乗り換えなし。楽ではあるが、間違っても寝てはならない。岸原がそんなことを言い出したから、なぜなのか、聞いてみた。会話の発端。
「それなら警察に天下茶屋駅周辺の防犯カメラをしらみ潰しにあたってもらおう」
新たな活路を見いだし、小山の言葉に力が宿る。
「そうですね。鉄道好きのお仲間さんにも当日の足取りを確認してみてはどうでしょう」
その日の岸原の行動を確認するのも大事だろう。
「そうだな。そうしよう。明後日にでも岸原の部屋に行って、知り合いの連絡先がわかるものがないか、探してみよう。プライバシーに関わるが、岸原の身のためだ。明日、管理会社にかけあってみる。日曜日に申し訳ないが、君も一緒に来てくれ」
「了解しました」
私は小山の指示に頷いた。
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