電車で眠ってはいけない理由 ―幻の駅―
小若菜隆
第1話
電車に乗った際。
なぜかぽっかりと空いている席が、なんて時がある。
他はすべて埋まっていて、立っている人もそれなりにいるのに、空いている。
自分だけに見えていて他の乗客には見えてないのか、などと思ったりして。
無論、気がついて座ろうと近づいた途端、別の客に先を越されることも多い。
「まぁ、そんなもんやろなぁ」と思う。
ただ、誰にも座られず、すんなり座れてしまうこともある。
乗車時間が長い時などは、ありがたいことではある。
だが、こんな時は、少し気を付けた方がいい。
ましてや、居眠りなどはしないほうがいい。
※※※※※
鉄道マニアの同僚がいた。
同期入社ということもあり、たまに飲みに行くこともあった。お酒が入り、仕事の話も一段落したところで、阪急に乗り換えない理由を聞いたところ「新快速は新大阪と高槻しか止まらへん。あのスピード感と程よい揺れ方がええんや」と答えてきた。「JRはロングレールで、揺れがあるようでないようで、そこがよろしい」。
ロングレール。一般的には耳馴染みのない単語。聞けば、以前と比べ1本のレールを長く作製できるようになり、繋ぎ目とでもいうのか、レールとレールの接続部分が少なくなった。他にも技術的なことを説明してくれたが、私にはよくわからない。
ただ、電車がガタンと揺れる回数が減り、揺れ方も緩やかになった。音も少し押さえられている。「近江鉄道みたいな昔ながらのガタンゴトンもえぇけど、ロングレールの落ち着いた感じが好きやな」。
コテコテの大阪人。普段からおしゃべりの部類だったが、鉄道のことになるといつにもまして饒舌。詳しくない私は「ふーん」とか「ほー」とか、相づちを打つくらいしかできなかった。「反応うっすいなぁ! これやから京都の人は」とわけのわからないことを言われたが、知らないジャンルのこと、まともな返答ができるわけもない。
ただ、言われてみれば。
私も仕事やプライベートで京都から大阪へ行くとき、以前より騒音や振動が少ないと感じたことがある。思わず寝てしまっていることもある。あれがロングレールの特徴なのだろうか。
そんな言葉を返すと「わかっとるやないか」と白い歯を見せた。「揺れが抑えられてるけど、ないわけではない。走行音も騒音ではないけど、小さくもない。一定でもないし、心地よい。もはや完璧なBGMやな」。
感じ方には個人差があるだろうとは思ったが、私自身、大阪へ向かう途中、高槻の手前あたりで眠気を抑えきれないことが何度かあった。なるほどなぁと思いつつ、やはり適当に返答したように覚えている。
そんなやりとりをしていた岸原が行方不明になったのは、コロナ禍の前年。5年ほど前だった。
※※※※※
2019年7月16日。三連休明けの火曜日。
岸原は会社を無断で休んだ。
入社して20年。その年の春から課長に昇進したばかり。意欲も強かったし、何より今まで無断欠勤をしたことがなかった。どないしたのか? と心配にはなったが、何か事情があって出勤できなかっただけで明日には“いやぁ、まいったわぁ。かんにんかんにん”とか言いながら出てくるだろうと思っていた。
しかし翌日も、その翌日も姿を現さなかった。
さすがに不審に思った部長の小山が、大阪にある岸原のマンションへ赴き、管理会社に事情を説明して合鍵を使い入ったが、誰もいなかった。
電話やメール、会社連絡用のLINE、私や他の同僚が知っていたプライベートのSNSなどにも連絡したが、反応なし。未婚で両親も既に亡くし、親戚らしい親戚もいない。公私ともに人づきあいは多かったようだが、取引先など会社から連絡できる相手にそれとなく探りを入れても収穫はなし。もはや打つ手がなく、19日の金曜日、会社から警察に捜索願を出した。
※※※※※
「心当たりはないか?」
小山に呼び出されたのは、捜索願を出した日の夕方。あと10分で今週の業務も終わろうかという時間だった。
「君は同期だし、よく飲みに行っていたと聞いている。なにか思い当たる節はないか?」
終業後。京都駅に近く、会社からも徒歩5分の個室居酒屋に連れてこられた私は「そうですねぇ」と曖昧に答えつつ、2口目のビールを口にした。
「たまに飲んでましたけど、そこまで込み入った話は……」
電車が好き。いわゆる“鉄オタ”。なかでも“車両鉄”と“乗り鉄”の部類。車両が好きで、休日には様々な車両に乗るため日本全国を巡っている。
未婚で、親が遺したマンションに一人住まい。誰に気兼ねすることなく旅を続けられる。岸原の私生活で知っているのは、その程度。
「趣味は鉄道の旅。家族はおらず悠々自適。うちの給料なら、それなりの生活水準が保てる、か……」
私の説明に小山が標準語で呟き、小さく唸る。
「そうですねぇ」
私も岸原と同じタイミングで課長になっていた。小山の言う通り、一人暮らしで養う家族がなく、家賃の必要もなければ、固定資産税などを差し引いたとしても、自由に使えるお金はかなりあっただろう。
「私は嫁さんに財布預けてますけど、岸原は余裕あったと思います」
「そうだろうな……なにか他にないか。岸原に関して」
小山が再び聞いてきた。
「そう言われましても……」
思い返せば、飲みに行っても仕事の話が5割くらい。あとの3割が電車について、残り2割は他愛もない世間的なこと。最後の飲みの席でも「ホルムズ海峡でタンカーが攻撃されたが、うちには影響なさそやな」とか「阪神なんば線が10周年やて。ゲームボーイ発売30周年より驚くわ」とか。珍しく私が「ゲームボーイのほうが驚きですやん!?」とツッコミを入れたのが忘れられない。
「部長は何か掴んではるんですか?」
今度は私が質問。
一瞬の間。
「ここだけの話なんだがね」
小山が声のトーンを下げる。個室だが周囲を気にしているのか。
「去年実施した社内アンケートを見返してみた」
春に行う人事異動の参考にするため、前年の秋に全社員対象のアンケートをとっている。その評価もあってか、私は京都・滋賀担当の営業一課、岸原は大阪・兵庫担当の営業二課の課長に昇格した。
「君は多くの社員から良い評価を得ていたが、岸原は人によって異なる。好印象を抱いている者もいるが、人柄が気にくわないと思っている者も少なくない」。
そうやろうなぁ、と私は思った。私は京都生まれの京都育ちだが、大学で大阪出身の学友がいたから、さほど気にならなかった。ただ、京都の人間と大阪の人とは感覚的に合わないことがままある。話し方、ものの考え方、生活スタイル。個人差はあるが、同じ近畿でも結構、違ったりする。
それに、うちは京都本社の会社だが全国的に名が売れている。近畿以外、とくに関東から入社してくる人も少なくない。岸原は、そういった関東組との相性が宜しくない。
「やや癖のある大阪人だ。私のように岸原の性格に慣れてしまえば大して気にならないが、慣れる前に嫌悪感を抱いてしまうと、なかなか難しいだろうな」。
小山は横浜出身。私と同じことを考えたらしい。
「だが、それでもだ」
小山が続ける。
「仕事については、進め方に強引さはあれど問題になるほどではなく、大阪を中心に人脈もある」。
確かに、仕事はできる。とくに大阪における営業数字は社内でも群を抜いている。兵庫でも尼崎と姫路で得意先が多い。だからこそ、一課より利益を上げている二課の課長に抜擢された。
「課のトップになっても、自分の得意先を部下に引き継がせ育成も疎かにしない」。
岸原が単独で動いたほうが良いだろうと思われる案件でも、若手や中堅社員が主導的に携わらせ、自分はバックアップに回る。問題が生じそうになれば根回しをし、結果として任された新人・中堅の経験値をあげつつ数字も残させる。課長になって3ヶ月程度だが、早くも上層部から人材育成で高い評価を得ていると聞く。人柄で毛嫌いしている者も、ついていかざるを得ない。認めざるを得ない。
「多少難ある人柄だが、仕事はできる。素行も悪くない。ギャンブルに手を出すわけでもなく、女性問題もない。だからこそ……」
「いなくなった理由がわからない、ですか?」
言ってから、私はグラスのビールを飲み干した。
「あぁ」
小山もコップを手に取る。若干、苦々しい表情。
「電車に乗ってフラッとどっか行って帰りたなくなった、くらいのことだったら、まだいいんだがなぁ」
言ってから、小山が煽るようにビールを飲み干した。
「……そういえば」
小山の言葉で思い出した。
「どうした? 何か思いあたることでもあるのか?」
小山がコップを置き、私を見る。
「最後に飲んだ夜、ゲームボーイが30周年で阪神なんば線が10周年、とかって話をしていたんです」
「……ん?」
小山が“なんのことだ?”と言いたげな顔をしているが、構わず続ける。
「堺筋線も50周年だそうで」
「……大阪の地下鉄か?」
小山が釈然としない顔のまま答える。
「そうです。大阪メトロの堺筋線。阪急が乗り入れてます」
「それがどうかしたのか?」
意味がわからないためか、小山がやや憮然とした表情になっている。
「あの路線だけは寝たらアカンって、言うてはったんですよ」
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