6 同人誌即売会
Vシンガーさんのスイートな歌声を聞きながら、無事に会場の結婚式場にたどり着いた。見事な痛車がずらりと並び、近隣からは中高生が自転車をキコキコしてやってきているようだった。
「なかなか勇気がいるな」
「大丈夫だよ。中学の友達とサークル参加したことあるもん。もっとちっちゃいイベントだけど」
というわけで、頒布物を抱えて会場に入る。サークル参加のチケットを受付のコスプレのヒト(僕はなんのキャラクターか知らないが、小鳥はいきなりテンション爆上げであった)に渡し、カタログ冊子をもらい、配置された場所に「霧谷呉服店」の倉庫から出してきた未仕立ての銘仙をテーブルクロスがわりに広げる。
右隣のサークルさんはロリータファッション向けのアクセサリーを作って販売していて、左隣のサークルさんはドール服だ。さっそく小鳥は左隣のヒトたちと仲良くなって、僕にはよく分からない話をしている。
「あの、この布って銘仙ですか?」
右隣のサークルの、ロリータファッションに身を包んだお姉さんにそう尋ねられた。
「ええ、まあ。実家が昔呉服店だったもので」
「そうなんですかあ……銘仙ってかわいいですよね。私、着物も好きなんですよ。ブーツコーデとかコルセットコーデとか。呉服屋さんはそういう着かた、怒りますか?」
「いえいえ、それは素敵ですね! じゃんじゃん着てください! 呉服屋だった祖父もあの世でスタオベしてると思います」
いろいろしゃべりながら、自動猫じゃらし機やらトラジマコーサクのアクスタやら缶バッヂ、僕の書いた「トラジマコーサク日記」などを並べる。僕らのスペースだけカオスそのものだ。
小鳥はなにやら持ち込んでいたヴァイオリンケースを開けて、ドールさんとやらを取り出した。思わずひっ、となる。いつ見てもアニメからそのまま抜け出た見た目で、そのうえけっこうでっかくてちょっと怖い。小鳥はそのドールさんをドール展示スペースに連れて行き、これにて準備完了だ。
時計が朝10時を指した。一般入場が始まり、あっという間にたくさんのオタクのみなさんがゾロゾロ入ってくる。
スペース決定の手紙が届いてから、定期的にボヤイターで宣伝をしていたので、僕ら目当てに来てくれるヒトも少なからずいた。なんと関東から自動猫じゃらし機を買いに来たというヒトまでいた。感激する。
小鳥がスマホを取り出す。おじさんからメッセージが来ていた。写真が添付されている。
「おかーさん完全にコーサクくんにメロメロ」
写真を見せてもらうと、おばさんがトラジマコーサクを膝に乗せている写真だった。トラジマコーサクは猫嫌いの人が怖くないのか気持ちよさそうに寝ている。おばさんも陥落するのが早すぎるのではないだろうか。
その後も1時間おきにおじさんから連絡が来た。おばさんがとろけている写真ばかり送られてくる。昼にスペース内でカロリーメイトをモグモグしながら、よかったよかった、と笑顔になる。
午後になると自動猫じゃらし機も完売し、僕の書いた謎の日記が1部売れ残った。僕が店番してるからサークル回ってきたら、と小鳥に声をかけると、さっそくドール服を買ったりドール撮影スペースのレアな限定ドールとやらの写真を撮ったり、きょう車の中で聴いていたVシンガーのコスプレの人の写真を撮りまくったりしていた。楽しそうだ。
楽しそうな小鳥を見ていると、パワハラで心を病んで弱っていたころの小鳥とはぜんぜん違うな、と思う。
僕も、いつまでも亡霊みたいにしていないで、頑張らなきゃ。
顔を上げると、コスプレをした中学生くらいの女の子が弊社のサークルスペースを見ていた。このキャラクターは知っているぞ。ボーカロイドとかいうやつだ。
「もうトラジマコーサクくんの缶バッヂとかアクスタとか、売れちゃったんですか?」
「ごめんなさい、売れちゃったんです」
「終わったあとに通販ってないんですか?」
なぬ?
ちょうど戻ってきた小鳥の表情を見ると、小鳥は力強く頷いていた。
「後日またグッズを用意して、『うたうとり商会』の公式サイトで販売しますよ」
そういうことを軽々しく決めていいのか。まあ小鳥だからなんとかするのだろう。
「ウチ、去年捨て猫拾ったんですけど、戻してこいって言われて。それでボヤイター見てたらトラジマコーサクくんがその捨て猫にソックリで、だからフォローしてずっと見てたんです。……その本一冊ください」
なんと日記がぜんぶ売れた。これで頒布するものは完売だ。
撤収の時間より少し前だったが、トラジマコーサクが心配だったので早めに引き揚げることにした。小鳥のドールさんは高価なので忘れずにヴァイオリンケースに入れる。
小鳥は隣のドール服ディーラーさん(あとで小鳥から教わったのだが、ドール服などを制作している人たちはサークルでなくディーラーというらしい)の名刺とペーパーをもらってホクホクの顔をしている。僕らも「うたうとり商会」のカードを両隣に渡し、会場を出た。
会場を出ると建物の前で同人誌の回し読みが行われていたり、痛車のボンネットにドールさんを乗っけて写真を撮っているひともいた。
それからあとはひたすらトラジマコーサクに会いたかった。
1時間かけて帰ってきて、海中家のドアを小鳥が開ける。
「ただいま!!!! ねえ、トラジマコーサクは!?!?」
小鳥が声を上げると、おじさんは口の前に指を立てた。テレビでは日曜夕方の定番、演芸番組を映していて、その前でおばさんが遅い昼寝をしており、その足首にトラジマコーサクが頭を乗せてスヤ……と寝ていた。
「お母さんは夕飯をこしらえすぎて疲れたんだよ。コーサクくんは満腹で遊び疲れて寝ちゃった。そっとしといてあげて。起きたらみんなで食べよう」
なにやら台所に、ご馳走の山に蝿帳がかかって置かれているのが見えた。僕と小鳥に気付いたトラジマコーサクはヒョコっと顔をあげて、「ニャーンッ」と怒ったように鳴いた。
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