第6話 無責任で失礼

 この世界に来て初めて熱にうなされた。以前なら朝露の降りる場所で夜を明かすだけで風邪をひいて寝込んだだろうに、地母神様のくれた体は病気ひとつしないし肉体的に疲れもしなかった。それが今は体中に熱を帯び、昨日の夜から思考もまとまらなかった。


 起きるとヘイゼルが背中に包帯を巻いてくれていた。いや、包帯じゃない。彼女の服だろう。彼女に申し訳ないと礼を言うと、にこりとして、――本当に変わられましたね――そう言った。


 俺は昨日書いた手紙を彼女に渡す。生きて帰ったら、大賢者様か『陽光の泉』のアリアに渡して欲しいと告げる。ただしリーダーの男の手には絶対に渡らないようにと。



 これからどうするか。追っ手が二人だけなら森の奥へ入れば何とかなるかもしれない。ただ、食料の問題がある。ギルドの依頼をやっていた時でさえ携帯食なしで森へ入ったことは無い。アリアに教えられ、準備なしでは森には決して入らなかったのが、今は水さえ持っていない。しかもこの辺りの地理も、生態も知らないことばかりだった。


 街道に出るのはどうか?――奴らに遭遇せず、上手く行商人などに遭遇できれば何とかなるだろう。ただ、馬車はもう一台あった。あれに誰が乗っていたのか。偶然あそこに停まっていた訳ではないだろう。とすると、協力者の可能性が極めて高い。



 ◇◇◇◇◇



「街道へ出ましょう」

「奴らと出会ったらお仕舞だぞ」


「それでもこのままではエイリュース様のお体がもちません」

「……わかった。だが慎重に行こう」


 雨は止んでいた。俺たちは元来た道を引き返すことにした。ただ、正確な方角がわからない。だ。おそらく引き返せている。これまでが鑑定に頼り過ぎた。もう少し森歩きに慣れた方がいい。今更思った。



 ヘイゼルが足を止め、こちらに止まれの合図を出す。

 彼女の指示でそのまま下がった俺たちは、元のルートを引き返した。


「装備を整えた者が少なくとも二人は居ました。森の中を探っている様子でした」

「もう一台の馬車のやつらか。この辺りの地理に詳しいのが居たら厳しいな。迂闊に食料も探せない」


 チート級の鑑定が使えないのは痛い。あれさえあれば、その辺でも食べられるものを探せたのに。


 植生が異なるのか、もっと南の低地の森で見かけたような植物は見当たらなかった。水が少ない場所だからか羽衣葉メリスのように水分の多い植物も見当たらない。雨の後だからキノコの類だけはたくさん生えてきたが、どれが食べられるのかわからない。


「――あとは大きく迂回して街道に戻るかだが、正直、迷う自信しかないわ」


 素人が森の中を歩いたって迷う未来しか見えない。遠くまで逃げたつもりがその辺をくるくる回って戻ってくるだけという可能性もある。そもそも魔法の道具的なものを持っていたらアウトだ。俺はアオや貴族連中と違ってああいった物に詳しくないし。


 ヘイゼルは俺を気遣ったり、度々休ませながら、追っ手や先の道を確認しつつ、森を先導していた。窪地などでは必ず俺を待たせて先までの安全を確認するほどだった。俺は彼女の通った安全な道を辿る。



 ◇◇◇◇◇



「かなり歩いたが……見慣れない森はどこも似たような地形に見えるな」


 水が少なくて気候が冷涼なためだろうか。下草は少なかったが、それでも人の手の入った森ではない。


「ある程度はまっすぐ進めていると思います。起伏があるので確実ではありませんが、そろそろ一度向きを変えましょう」


「森は詳しいのか?」

「そういうわけではありませんが」


 ヘイゼルは歩いてきた道の後ろを指さすと、二本の太い木のに不自然に葉の付いた枝が留められていた。


 なるほど、追っ手を確認していたのかもしれないが、細工をしていたんだな。そして俺を気遣って振り向いていたのではなく、木の位置を確認していたんだ。俺を時々立ち止まらせていたのは、目印の代わりだったわけだ。女の子に優しくされてちょっとだけ嬉しかったのが恥ずかしい。もちろんヘイゼルは十二分に俺を気遣ってくれているが。


「ヘイゼルは賢いな」

「方角が正確ではないので……当てにはならないです」


「同じ場所をぐるぐるするよりはいい」


 日が暮れてきたため、近くで夜露をしのげる場所を探し、身を寄せ合って寝た。



 ◇◇◇◇◇



 体調は悪化していた。今まで生きてきて、これ程までに食事をとらなかったことは一度も無かった。中学や高校の頃はなんだかんだ食事を抜いても、一日以内に十分すぎる食事をとっていたし、熱を出して食べられなくなっても、水分や栄養を補える飲み物や食べ物が豊富にあった。


 今は朝露と雨後の水を含んだ苔だけが食事だった。サバイバル術なんかを学んでおけば異世界でも役に立っただろうか――なんて思いながら食べられそうなものは口にした。


「俺が倒れたらヘイゼルだけでも生き残れよ」

「馬鹿なことを言わないでください」


「俺は足手まといだ。君一人の方がまだ助かる」

「わかりました。でも、エイリュース様がいらっしゃらないと真っすぐ進む目標が無くなりますので」


「……そうか」


 俺は笑った。彼女がここまでしてきたのは何のためだったか。もっと楽な道もあったはずなのに。もちろん、それはまっすぐ進むための目印でもあるのだろう。でも、俺は嬉しくて笑った。



 ◇◇◇◇◇



 一日歩いたが街道には辿り着けなかった。追っ手にも追いつかれていないのは幸運だったが、これは街道から大きく外れた可能性が高いな。幸い、大型の怪物とは出会っていない。遭遇してもヘイゼルがなんとかできる悪戯妖精ボギーだったが、森の深いところに行くとそうはいくまい。そして俺よりも彼女に疲れが見えてきた。華奢な体なのに行ったり来たり、行く先を探ったりと、歩く距離は俺よりもずっと長いのだ。



 ◇◇◇◇◇



 さらに一日を進むが、そこでヘイゼルは限界を迎えた。


「申し訳ありません。わたくしがしっかりしないといけないのに」


 夜露を凌げる場所に彼女を横たえる。なんだかんだ言って騎士団長の体はデカいなりに丈夫だった。背中の傷は痛むし体中が熱っぽいが、動けないわけではない。


「食べていないんだ。仕方がない。何よりヘイゼルは働き過ぎだ」





「――その、こんな時になんだが、抱かせてはくれないかな?」


 俺は沈黙の後に、彼女へのを口にした。かつての騎士団長なら何の気なしにできる行動だろう、女を抱くなんてこと。こんな状況で致すかはともかく。そして俺は思い至る――


 ――かみさまよ、どうあっても俺をもてあそぶ気なんだな。


 確かに以前の俺だったら、恋人を裏切るくらいなら誇りある死を選んだ方がいい――そう考えたことだろう。だけど死にたくない。死ぬにしても、せめてもう一度会ってから死にたい――そんな気持ちでいっぱいだった。俺には心残りだらけなんだ。


「いいですよ。でも、諦めるつもりなら許しません」


 ヘイゼルは嫌な顔どころか、意外な顔さえ見せずに俺の提案を飲んだ。

 どうしてこう、罪悪感を無理矢理にでも飲み込まなくちゃいけないような女の子ばかり地母神様は巡り合わせてくれるのか。


「諦めないよ。あと、髪の毛を一本貰えるかな」


 ヘイゼルの髪の毛を一本貰うと、森の中で摘んだ草の実――確か毒は無いはず――と共に、呪いまじないをかけた。淡く輝く草の実を、彼女に飲むよう促す。俺は上着でベッドを作ってやり彼女を横たえる。こういう時はキルト地の鎧下は便利だよななんて思いながら。


「もうひとつ。生き残れたら以外の男と幸せになって欲しい」


 彼女は俺の言葉に顔をしかめる。まあ当然だろう。とはもちろん俺、エイリュースのことだ。ときどきそう呼ぶので彼女もわかっているはず。


「今から抱こうという女性に対して失礼です。それに無責任とは思いませんか」


「無責任で失礼だね――」


 俺はそう言って微笑む。他に声の掛けようがなかった。


「――でも、こいつだけはダメだ」


 彼女は何とも言えない顔をしていた。疑いなのか何なのかは俺には読めないが、自分でもおかしなことを言っている自覚はあるので苦笑いを返すしかなかった。





 十六夜いざよいの月の光が明るく森を照らしている。


 俺は魔女の祝詞のりとを唱え、ヘイゼルを抱いた。


 ルシャとは違う。背中の傷に触れる――痛々しい。


 祝福の順番が違う――まずは『不屈』だ。







--

 地母神様のわからせは続きます。


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