第5話 鈍っておられます

 ああ、もういっそ手放してしまおう――俺をこの世界に繋ぎ止めるものがたくさんできた。けれどもう、しがみついていられるだけの力がない。


 こんなにつらいのには耐えられない――悲しい。苦しい。周りは敵だらけだ。誰も味方が居ない。アリアにも、ルシャにも、皆もう会えない。


 手紙にさえ真実を記せない――このまま俺は別人として誰にも知られることなく消えていくのか。



 ――せめて最後にと、取り留めない内容の遺書をしたためながら、それでも生きたいと言う気持ちが冷たい雨を避けていた――。







 ◇◆◇◆◇



「どうした、何かあったのか?」


 馬車が止まった。御者に問うものの返事はなかった。

 俺は立ち上がってドアを開く。どうやら雨の中、馬車がもう一台止まっているようだった。柿渋色の馬車の周りには人影はなく、立ち往生しているにしては様子がおかしかった。


 事故にでもあったのか?――と外のステップに一歩、足を――


 ドウ!――と、踏み出そうとすると同時に背中に激しい痛みが走った!


 反射的に背中を仰け反らせてしまった俺は、入り口で後頭部を打ち、バランスを失って濡れた地面の上へと転がり落ちてしまった。


 ――背中が熱い!


 痛みに耐えながら半身を起こし、馬車を見上げると、あの騎士の男が笑っていた。


「な、なにを……」


 俺は座ったまま、泥の中を後退った。地面は冷たいのに背中は熱く焼けるようだ。


「団長ともあろう方がみっともない」


 続いてあの女騎士――アイネスが顔を出した。その顔には冷たい笑みが。


 ――マズい。こいつら――。


 俺は立ち上がって更に後退るが、二人は馬車から降りてゆっくりと歩を進める。


「この間までの威勢はどうしたんです? もっと警戒してたんだけどなあ」


「どういうつもりだこれは……」


 分かり切ったことをアイネスに聞いてみるが、への恨みなんていくらでもありそうだな。俺にだってあるもんな。


「あんたの腰巾着を務めてりゃ、うまい汁を吸えると思ったのにこのザマだよオレは」

「団長? 最後はイイ男らしく、もっとカッコよく逝きなよ。その方ががいいよ」


「お前ら、私怨だけでこんなことをするのか? 誰かの差し金か?」


「ちょっといろいろ約束していただけちゃいまして」

「あなたにもっと甲斐性があればよかったのよ!!」


「このまま逃がしてもらうわけには……行かないよな」


「生きてられるのは困るんですよ」

「情けないこと言うな! 剣を抜け!」


 男の方はともかく、アイネスはヤバいな。あのキレようでは逃げられそうにない。俺の剣の腕は、もともと圧倒的な身体能力で扱ってたから何とかモノになっていたが、今は違う。加えてこいつらは勇者に同行してた精鋭のはずだ。近接戦のできる祝福持ちとは実力の差が大きすぎる。しかも背中が引き攣るように痛い……。そこへ――


「お、お待ちください!」


 ヘイゼルが二人に続いて馬車を降りてきた。


「邪魔はさせんぞ。命が惜しいならそこで――」

「いえ、わたくしにお任せください」


 いつの間にかヘイゼルは服をはだけさせていた。彼女は連中に背中の傷を見せる。


「ひでぇなこりゃ。――アイネス、この女、信用できるのか?」

「慰み者にされていたなら、そりゃあ恨みもあるでしょ」


 ヘイゼルは頷き、前へ出るとこちらを見据え、長剣を抜いた。

 その剣を右手でくるりと一度回し、近づいてくる。


 三対一は無理だわ。鑑定なしで森で生き延びられるかわからないが、ここで戦うよりはマシか。


「ああっ、逃げた。嘘だろ!」

「あはははっ、何アレ。慰み者にしてた従者に怯えて騎士団長が逃げてる。傑作だわ!」


「あれじゃ王国一を謳う美形剣士も形無しだな!」

「みっともない。そのままケツでも掘ってやりな!」


「ちょっと待て! どこまで逃げやがんだ」

「クソッ、追うわよ!」



 ◇◇◇◇◇



 笑い声が聞こえる。確かにこの大柄な男が、背はそれなりにあるとは言えヘイゼルのような女の子に追い回されるのは滑稽だろう。酷いやつらだと思うが、ともかく逃げなければ。ヘイゼルが本気かはわからないが、最悪、ヘイゼル一人が相手なら何とか……なるのかこれ?



 ◇◇◇◇◇



 あの二人からはたぶん離れられた。だがすぐ後ろをヘイゼルが追ってきている。騎士団長、体力だけはあるようだから思ったより走れるが、森の中は走りづらい。迂闊に踏み込むと窪地があったり、下手をすると逃げ場を失う。その上この雨だ。どこまで走ればいいんだ……。



 ◇◇◇◇◇



 ――クソッ! いい加減疲れた!


 以前の自分の身体のように、無限に走れるわけじゃない。

 俺はヘイゼルと対峙することに決めた。剣を抜きながら振り向き…………その振り返る俺の目には『加速』するヘイゼルが!


 ――ヤバい、これアリアと同じタイプだ!


 『剣士』の力で能力が跳ね上がったヘイゼルは瞬く間に距離を詰め、俺の剣を払うと、俺が戻そうとする右腕を絡めとるように自分の剣をなぞらせ、そのまま右腕を俺の身体に固定ピンした。加えてその切っ先は俺の喉へと向いていた。


「エイリュース様、腕が鈍っておられます」

「鈍ってるわけじゃないんだよな、これ」


「おかしいです。剣技も忘れてしまわれたのですか?」

「いや、むしろ最初から知らない。俺は魔女だから」


 そう言うとヘイゼルは眉を寄せた。

 魔女なんて言われても理解に苦しむよな。


「んん? まあ、いいでしょう。逃げるなら早く逃げましょう」

「うん、そうか。そうだと思ったよ」


「お見通しでしたか?」

「ヘイゼルになら裏切られてもいいかなって」


「…………確かにおかしいです」


 ヘイゼルは呆れたようにそう言った。もちろん、彼女になら裏切られても悔いはないというのは本当だ。ただ、何をやらせても卒なくこなす彼女が、手にした剣を一回転させる――なんてパフォーマンスを、これから恨みを晴らそうという時にやるとは思えなかった。



 ◇◇◇◇◇



 振り切れたかはわからない。雨も降っている。森の中でもある。だが、そんなことよりも、もう体力が持たない。絶望的だが体が動かない。雨をしのげる場所を探して腰を下ろす。自然の洞穴だから高さが無いが、下草がうまく洞穴の入り口の闇を隠してくれていた。


「体力がありませんね」

「かなり走ったからな」


「エイリュース様のことを言ったのです。鍛錬不足ですか」

「言うようになったね。いいよ、その方が。――そうだな、きっと祝福に頼り過ぎていたんだろう」


 噛み合っているのかよくわからない二人の会話。

 事実、この騎士団長は恵まれた体格をしていたが、アリアのような張り詰めた緊張感が遠征を通して見てとれなかった。


「思ったのですが」

「なに?」


「あの日から中身が変わってしまわれたかのようです」

「そ……うぐ……ぐぇ」


 ダメだ。入れ替わったことについて話そうとするとこれだ。ヘイゼルが心配して背中をさする。


「『陽光の泉』のリーダーが居ただろう」

「はい?」


「そういうことだ」

「あの」


「『陽光の泉』のリーダーのことを覚えていてくれ」

「あの………………わかりました」


 要領を得ない俺の言葉にヘイゼルは訝し気に頷くだけだった。



 ◇◇◇◇◇



 食料は無かった。探しに行く余裕もなかったし、今、外へ出るのはマズい。何かなかっただろうか……キルティングされた上着やブレーを漁っても何も出てこない。ポケットなんてほとんどなくて、あってもハンカチしか入ってなかった。女子か!


 普段なら薬草の包みや包帯を小さく折りたたんでベルトポーチに差し込んであったり、ルシャを餌付けしていた頃の癖で飴をポケットに忍ばせたりしていたが、常に死と隣り合わせに生きている冒険者と違って、持ち歩いている物が極端に少ない。使えないな貴族は。


 ヘイゼルに何か持っていないかと聞くと、俺がいつでも手紙を書けるよう、便箋とペンなら持ち歩いているという。大賢者様に手紙を書いてたからな。


「ヘイゼルはよく気が付く子だ」


 この世界のペンはインクで書くもの以外にも、魔力を使って紙の表面に焼き色を付けるものがあった。だから木の板にも書けるし少し焦げ臭い。野外で使うペンもそれだ。俺は懐かしい彼女たちへの最後の言葉をしたためた。







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 第一部第一話でユーキが使っていたペンです。魔石を使って作った魔法の道具は、使用者の魔力で起動します。


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