第3話 ハル!

 俺は騎士団長エイリュースになってしまった。

 最近まで近くに居た男だ。悪役令息に転生してるわけじゃない。


 なら俺の体は今、どうなっている? 俺の体とエイリュースの魂が消えて今の俺が残った? そうは考えづらい。俺の体にはエイリュースの魂が入っていると考えるのが妥当だろう。魂と肉体なんて話、オカルトもいい所だけれど、獣の魂を自身の体に招き入れる『召喚士』の祝福を得たリーメを見ていれば、現実にありうることを実感してしまう。


 そうなると、問題は俺の体の居場所だ。普通に暮らしているならアリアたちと居る。


 アリアが危険だ。ルシャも。もし中身があいつなら、ルシャがまず襲われる。昨日の時点で忠告しておけばよかった! クソッ!


 夜も明ける前から目が覚めてしまった俺は、考えばかりが頭の中を渦巻いて行動できないことに苛立ちを覚えていた。服はもう着替えてしまったが、外には衛士が居る。外出? 無理な気がする。城をうろつくにも時間が早すぎる。使える力が『魔女』の祝福だけではどうしようもなかった。



 ◇◇◇◇◇



 ヘイゼルが起き出してきている。夜明けはまだだ。扉を開けると、彼女は起こして申し訳ないと謝ってくる。


「朝から掃除をしてるの?」

「はい、清潔な場所で過ごしていただきたくて」


 なんて健気なんだ、こんな扱いを受けているのに。その後、彼女は基礎体力の訓練に出るという。


「朝食を先に準備いたしましょうか?」

「いや、いいよ。あとで。大変でしょ」


「いえ、男装をしなくて良いので、とても楽ですよ」


 彼女のためにも少し落ち着くか……。

 あまり無茶をして彼女の立場まで奪ってしまってはいけない。彼女のことは、誰かまともな人を探して後見人になって貰わないと。



 ◇◇◇◇◇



 朝食を終えた俺は庭へ出る。衛士には、ここも見納めだから――と散歩を願い出た。衛士たちは顔を見合わせて驚いた様子だったが、許可は出してくれた。俺たちの後を付いてくるが問題はないだろう。


 できればルシャに会いたかったが、朝は彼女も孤児院へ行くから、こんな時間から城には居ないだろう。ただ、もしかすると今のこの時間もがルシャの傍に居る………………ダメだ、そのことを考えると頭がおかしくなりそうだった。落ち着かないと。



 この辺りの庭は少し前に城で寝泊まりした際、ハルに案内されてアリアたちとよく散歩していた。花を眺めたり東屋で一息ついたり。そのことを思い出しながら歩いていると、衛士たちはおかしなものでも見るかのように俺の様子を訝しんでいた。反対に、ヘイゼルは楽しそうにしていた。最初は黙ってついてきていたが、少しずつ、恥ずかしがりながらも話しかけてくるようになった。


「あの……花がお好きだとは存じませんでした」

「そう言う訳ではないんだけどね。ただ、親しい人たちと眺めていたのを思い出して」


 俺は最初の頃のルシャを相手にするようにできるだけ優しく返した。


「ユネ様……ですか?」

「いや、その人じゃなくてね。――ああ、でも、のんびり花を眺めるのは好きだよ。何の花かはわからないけれど」


 今までは鑑定ですぐにわかった。何という名の花か――ではなく、どんな使い道があるかにしか興味が無かったけれど。


「その花はリンネですね。初夏に咲く花ですが、大輪をつけるので遅い時期にも咲くように改良されたものだと聞きます」

「品種改良なんてあるんだ。まあ、そりゃあるか。――派手な花だよね」


「そうですね。貴族の皆さんはそういったものを好まれます。――わたくしはユオラのような、どこにでも咲く可愛らしい花が好きです」


 彼女が指差したのは花壇の隅や、飛び石に寄り添うように咲く小さな花だった。


「そうだね。俺もこういう何でもない幸せのような花が好きだ」



 ◇◇◇◇◇



 結構な時間を庭で過ごし、そろそろ昼食をと思ったら、貴族たちと連れ立って通りを行くハルを見かけた。これを待っていた俺はチャンスとばかりに近づく。あいつはとにかく人当たりがいい。だが、今の俺の見た目は騎士団長だ。慎重に笑顔で行こう。


「やあハル!」


 片手を挙げて朗らかに挨拶をしたが――


 ――え、いや、何でそんな顔するの!


 ハルは眉をひそめてこっちを見るが足を止めない。周りの貴族たちも俺を訝しむ。


「ちょ、ちょっと! ハル! 話を聞いてもらえないか?」


「これ以上、話すことは無いと思いますよ」


「いや、まだ何も話してないだろ」


「それに何か馴れ馴れしいですよ」


「いいから聞いてくれ。アリアたちと一緒に居る……うぐぅ」


 しまった。ユーキに注意しろでは通らない。傍に居る貴族たちは――彼は左遷されたのです。恨みを買っているかもしれません。相手をせず行きましょう――などと囁いていた。


「……ルシャが! ルシャが危ないんだ! お願いだ、傍に居てやってくれ!」


 そう嘆願すると、立ち止まったハルは振り返って俺をねめつけた。


傍に居るから大丈夫だと思いますよ」


 ――いや、わかるよ。その気持ち、すごくわかる。だけどダメだ、伝わらない。何か方法が……。


「それだけならもう行きますよ」


 ハルが踵を返そうとする。ダメだ。せっかくのチャンスが。


「そ、そう! クラスの田中とかが居たらルシャとかちょろいから危ないよな! この世界に召喚されなくてよかったよな!」


 と言うのは女好きで有名なクラスメイトだった。大人しそうな女の子ばかり次々口説くし、チャラい見た目なのに何故か彼女たちは心を許してしまう、処女厨だった当時の俺の天敵のような存在だった。アオと仲が悪かったからハルも知っているはずだったが――


 ハルがものすごく睨んでくる。


 ――えっ、なんか怖いけどいいよ。怒って殴ってくれたらもうちょっと話せそう。


 俺は目を瞑ったが、ハルは殴ってこなかった。貴族たちに促されて行ってしまう。俺も追いかけようとするが、俺に付いてきていた衛士たちに止められる。


「勇者殿にはあまり近づかないようにと」


 そう告げられ、俺も無理はできなかった。

 傍に居たヘイゼルが心配そうに見てくる。


「無茶はしないよ。昼食にしよう。疲れたでしょ」


 ヘイゼルは頭を振って答える。


「いえ…………とても楽しいひと時でした」



 ◇◇◇◇◇



 食事の後、――すまないが――と、ヘイゼルに大賢者様から返答が無いか伺ってきてもらいたいと告げると、すぐに行ってくれた。


 助けを求めようにもエイリュースの古い記憶が無いため、他に頼れる者が居なかった。俺の知り合いは皆、騎士団長を目の敵にしていたからこちらも頼るのが難しかった。


 ――時間が、時間が欲しい。


 ヘイゼルは戻ってきたが、あまり優れない表情を浮かべていた。無理だったようだ。


 夕方にも一度、ヘイゼルを使いに出したが結果は変わらなかった。明日は辺境へ向けての出発だ。何とか道中で逃げ出して王都へ戻れないだろうか。



 ◇◇◇◇◇



 ヘイゼルはその日の夜も『控えさせていただきます』と部屋へやってきたが、昨日と同じように追い返そうとした。


「わたくしはもう不要でしょうか」

「そうじゃない。ヘイゼルにはもっと普通に暮らしてもらいたいんだ」


「エイリュース様の元で暮らしたいです」

「ダメだよ。君は暴力でこいつ――俺に依存させられているんだ。居ないと生きていけないように思わされているんだ」


「そうではありません。確かに痛いのは嫌ですが、先日からのエイリュース様はとてもお優しく在られますので」

「それもよくないって。暴力男が優しくしてくれたからって許すのはもっとダメなことだ」


 とにかく、誰か頼れる相手に彼女を頼むしかないが……。

 今日もまた、昨日のように彼女を宥め、自室へ戻ってもらった。







--

 リンネはダリアのことです。ユオラはスミレですね。

 騎士団の居館は兵舎と言うよりは、貴族向けの集合住宅のようになっています。地階は調理や洗濯を行う下男下女の働く場所。一階は広めの間取りの主に貴族出身の騎士向けの部屋で、従者の部屋を含めてトイレ付きで3-4部屋くらいでしょうか。二階から上が出自の身分が低い騎士たちの部屋で、従者の部屋を含まず1-2部屋といったところでしょう。


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