第11話

 教会のドアを開けようとしてから、そういえば昨日にドアノブが外れてしまったことを思い出した。

 仕方なく、庭の方に回り、裏口から教会に入った。

 そしてアイラはいつも通りの帰宅の言葉を口にしようとして、口を噤んだ。


 中に進んでいくうちに、ふとアイラは気づく。シオンが教会の中に入ってこない。庭のはざまで、突っ立ったままだった。


「どうしたのですか?」

「お前はまだ俺のことを自称吸血鬼だと呼ぶか?」


 シオンはやけに神妙な、読めない表情を浮かべていた。


「俺が、怖くなかったか」


 血を武器にしたり、それで子ども攫いたちを痛めつけていたときのことを言っているのだろうと思った。

 アイラは少し考えて、答えた。


「この教会の庭で出会ったとき。あなたは、私に血を分けてほしいと言いましたね。あれから、あなたはそのようなことを口にしなくなりましたが……今でも、思っていますか」


 きょとんとしたシオンは、視線をわずかに彷徨わせ、伏せた。


「あのときは弱っていたから、つい、口が滑っただけだ。俺はお前を傷つけたいとは思わない」

「あなたがそれほど私を特別に思ってくれているのは、昔に会ったことがあるからですか」


 シオンの赤い瞳がまあるく見開かれる。


「思い出したのか」

「あの床が抜け落ちて、あなたの驚いた顔を見たときに」

「それはまた、ずいぶんな場面で思い出す」

「私があなたに祝福を送ったときも、あなたは同じ顔をしていました。そして、私があなたに捧げた祝福は——幸運」


 あの床が抜け落ちたときに加え、先に町長に対してシオンがい言った言葉で、アイラは完全にあの頃の記憶を取り戻した。

 アイラはあまりにも不運な子どもを見ていて、とても心配になった。

 この子はまた目を離したすきに行き倒れてしまうかもしれない。傷だらけになってしまうかもしれない。弟のようにかわいがっているその子が、つらい目に会うのは、嫌だった。


 だからアイラはあるとき、男の子に祝福をささげた。どうかあなたが少しでも幸運になりますように、と。

 男の子は驚いた顔をしていた。それから、大きな赤い瞳からぽろりと雫を落とした。溢れて止まない涙をぬぐいながら、誰かかから幸せを祈ってもらったのははじめてだと言った。ありがとうと、何度も言ってくれた。


「そうだ。お前が不運になったのは、俺のせいだ」

「シオンのせいではないですよ。貴方に幸福になってほしいと思い、祝福をささげたのは私の意思です。それにね、シオン。私は、実はそこまで不運ではなかったみたいです」


 首を傾げたシオンのもとにアイラは歩み寄る。


「あなたと再会できたから。どうしてか、私はよくあなたとの思い出を忘れてしまっていました。あんなに親しくしていたのに。けれど、あなたとまた出会えて、そのすべてを思い出すことができました。そしてその思い出を、私はあなたと共有することができる。この世でただ一人、あなただけと」


 それからアイラはシオンに抱き着いた。


「生きててくれてありがとう。また、会ってくれてありがとう」

「アイラ……」

「私は聖女として、あなたが吸血鬼ならば、交流を持ってはいけないと思っていた。でもね、あなたは私の力になってくれた。子どもたちを助けてくれた。私の、そばにいてくれた。あなたは私の大切な人。私はあなたを邪の道の存在だとは、思えない。思いたくない。私は……」


 少しの気恥ずかしさがあった。けれど、伝えたいと思い、アイラは唇を動かした。


「あなたが望むのなら、あなたがそれで少しでも元気になってくれるのなら、血を分けたい、と思う」


 短く息を呑むととともに、シオンはアイラと距離をとった。てっきり拒まれたのかと一瞬ショックを受けたが、しかし——シオンの顔はみたことがない朱色に染まっている。


「そんなの、気安く言う物じゃない」

「あなたにしか言わない」


 シオンは柳眉をくっと苦しげに顰めてから、顔を手で覆った。


「……俺は、お前の血を吸いたくない。お前を傷つけたくないから。だが、お前の血しか吸いたくないとも思っている。吸血鬼にもよるが、少なくとも俺は、特別な相手の者しか、吸いたいと思わないから」


 それからシオンは蚊の鳴くような小さな声で「少し、考えさせてくれ」と呟いた。アイラは頷いた。


「それから、もうひとつ、相談があるの」

「なんだ」

「村長との話が終わったら、私はこの町を離れようと思っている」


 シオンの瞳が昏く光ったのを見て、アイラは慌てて両手を振った。


「違うの、この町が嫌になったってわけじゃない。いや、まぁ、このままいけばいずれ追い出されることにはなっていたかとは思うけれど。でも、そうじゃなくて……やりたいことができたの」

「やりたいこと」


 アイラはこくりと頷く。


「あの子ども攫い、これまでにもたくさん子どもを攫って売ってきたような話をしていたでしょう。この世には傷つけられて、傷ついて、困っている人がいる。そのすべてを救うことは私なんかにはできないけれど。それでも、少しでも、そういう人たちの力になりたいと思った。そのために、この世界を巡りたい」


 アイラは祖国でもアネモの町に来てからも、その土地専属の聖女としてひとところに居を構え暮らしてきた。

 だが、姉に守ってもらったこの命の使うべき道は、果たして、教会でただただ客人を待ったり、祈りを捧げ続けることなのか。否。アイラには足があり、望めば、頑張れば、様々な場所に行けるはずだ。そして少しは、色んな人の力になれるかもしれない。

 アネモの町の人々に歩み寄ることができなかった受動的だった自分への後悔が、子ども攫いに間近で接触して味わった恐怖が、アイラにその思いを抱かせ、勇気を齎してくれた。


「それで、その……」


 何よりも誰よりも勇気を与えてくれた存在を、アイラは躊躇いがちに見た。


「シオンとの、ずっとそばにいるっていう約束は、いつまで有効?」

「もちろん、未来永劫だ」


 即答してくれたシオンに、アイラはひとまずほっと息を吐き、それからもう一度、わずかに緊張をもって手を差し出した。


「じゃあ、私の旅に、ついてきてくれたりする?」


 答えは想像がついていた。それでも、ドキドキとしながら待つアイラの手に、不健康なほど色白で、けれどぬくもりを持った手が重なる。


「もちろん、どこまででもついていく。俺はこの命が朽ちるまで、お前の側にいつづけると誓おう」

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疫病聖女、(自称)吸血鬼を拾う。 爼海真下 @oishii_pantabetai

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