第10話

 アネモの町にも、自警団はいる。町の入り口で、遭遇した夜警の男は、驚いた顔をした。そういえば、シルヴァはアイラよりも先に自警団にルボルのことを相談していたのだった。

 どれだけ洒落ていても田舎町のしかも早朝、男が驚いた声を上げたりアイラが事情を説明していると、あたりの家々に漏れ聞こえてしまったのだろう、町民たちがなんだなんだと姿を見せだした。

 その中にはシルヴァの姿もあり、はっと目を丸めた彼女はルボルに駆け寄った。


「ルボル、あなた、無事だったのね」


 シルヴァの瞳にたっぷりと浮かび上がった涙がぽろぽろと落ちる。他の町民たちもルボルの行方不明は知っていたのか、口々に「見つかってよかった」などと言っていたが、少しして、彼らの視線はアイラの方に向いた。

 町民たちの表情は一気に気まずげになる。そしてその中から、ふっと、小さな囁き合いが聞こえた。


「なんで聖女様がいるの?」

「ルボルを連れて帰ってきたのが、聖女さまなんですって」

「疫病聖女様の不運に巻き込まれたんじゃなくって?」


 それは最初は遠くに聞こえていた。だが、伝播するように囁き合いのこえがふえていく。


「聖女様が来てから、町でトラブルが増えたけど。人攫いまで起きるとは」

「そりゃあ街に聖女がいたら誇り高いことだけれどねぇ……」

「ああ、前の聖女様が蘇ってくれればいいのに」

「っていうか、あの男誰? 余所者?」

「聖女様と親しげだが……」


 アイラの胸は、体は冷たく凍てていた。何かを言わなければと思うのに、ひんやりとした頭では言葉をうまく編み出すことはできず、唇も情けなく震えてうまく動かない。

 ここまで露骨に嫌悪の言葉を向けられることはあまりなかった。悲しかった。

 ふいにアイラの左手が掴まれる。振り向けば、シオンが赤い瞳を昏く光らせていた。怒っている、と思った。


「どうして、みんな、そんなこと言うの」


 幼気ながらしっかりとした声が、その囁き合いを割った。ルボルの声だった。


「この人たちは、悪い人やっつけて僕のこと、助けてくれたのに」


 ルボルを抱きしめていたシルヴァは、しばし呆然とした顔を浮かべていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「そう、です。聖女様は、自警団に相談しても取り合ってくれなかった弟探しを、叶えてくれたんです」


 自警団の男たちが気まずそうな表情を浮かべ「だって」「なぁ」と顔を見合わせる。


「そりゃあ、ルボルが攫われているって知っていたら助けに行ったけれどよ」

「聖女様は、私たちが避けていることを知っているだろうけれど。攫われてるって知らなかったけれど。それでも、手を差し伸べてくれました。私、本当に申し訳なくて。ごめんなさい。聖女様。ありがとうございます、聖女様」


 昨日教会でそうしていたように、シルヴァは涙を流しながら何度も謝罪と感謝の言葉を繰り返す。ルボルは姉を抱きしめ、彼女の背をやさしく撫でる。

 すっかり凍り付いていたアイラの胸は、やわらかに溶けていく。まだ言葉はうまく出てこないけれど、その代わりに、大丈夫だと伝えるようにシオンの手をそっと握り返した。


 町民たちは姉弟の主張に対する反論が浮かばなかったのか、誰も何も言わなくなくなった。鳥の鳴き声だけが空から降ってくる。

 夜が明けたばかりで、町はまだ動く時間じゃない。そのうち町民たちは、複雑な表情を浮かべたまま、ちらちらとアイラを見ながら、ぽつぽつと自宅へと戻っていった。

 残ったのは、アイラとシオン、ルボルとシルヴァの姉弟と、それから町長だけだった。

 年嵩の町長は杖を突きながらアイラとシオンの方に近づいてくると、ただでさえ丸まった腰をさらに丸めて、頭をさげた。


「聖女様。我が町民たちが失礼いたしました。そして、ルボルが世話になりました」


 アイラは深呼吸をし、町長の言葉に応える。


「……いえ。皆さんの不安ももっともだと思います。私が、聖女なのにひどく不運なのは事実ですから」

「事実だが、それはお前の慈愛の結果だ」


 そう言ったシオンの方に、町長の目が向く。そこには、明らかな怪訝が宿っていた。


「そちらの男性は?」

「彼は……たまに協会に礼拝に来ている者です」

「我が町のものではないですよね。風貌もずいぶんと奇特だ」

「聖女は、教会は……それが邪の道の者でなければ。何人も拒むことはありません」


 しばしアイラとシオンを見ていた町長は、彼が顎にたくわえている髭と似た灰色の瞳を細めた。


「寛大な聖女様はそうかもしれませんが、教会はその土地土地によります。少なくとも、我が町の教会は我が町民のためのもの。ルボルについての詳しい話と、その件について、後日説明いただきたく思います」


 丁寧な物言いではあったが、あまりいい感情を持たれていないのは明白だった。町長は一礼すると、シルヴァとルボルに帰宅を促してから、家路を進んだ。

 シルヴァは立ち上がると、ルボルの手を引いて、アイラの方に近づいてきた。


「聖女様。この度は本当に、ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 姉弟がそろって頭を下げる。

 それからほんのりと頬を紅潮させたシルヴァは言った。


「私、このご恩はきっと生涯忘れません。毎日礼拝しにいきます。聖女様のすばらしさを、皆に伝えます」


 ぱちりと瞬いたアイラは、小さく笑った。


「そんなことしなくても大丈夫ですよ。それに、私よりも彼の方がずっと頑張ってくれましたから」


 シオンの方に視線を向けるが、彼は興味なさそうにそっぽを向いていた。アイラはまた小さく笑い、シルヴァたちに向き直った。


「私こそ、頼ってもらえて……皆さんの前でああ言ってもらえて、嬉しかったです。ありがとうございました」


 それからアイラは、シオンとつないでいた手を離し、祈りの姿勢をとる。


「この町の皆様に素晴らしき幸があらんことを」


 シルヴァは胸に手を当てお辞儀をする。ルボルはそれを真似たようにお辞儀をした。それから、彼らも帰路へ就いた。


「聖女様、またね!」


 大きく手を振るルボルに、アイラは手を振り返す。

 彼らの背が遠くなったところで、アイラは町に背を向け、シオンと連れたって教会へ向かった。

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