第9話

 突然天井が抜け、攫った子どものひとりが落ちてきた衝撃に、ベッドにひとり、藁にふたり寝ていた男たちは当然の如く飛び起きた。

 床に落ちていた身に呻くアイラのまわりを囲んだ彼らはすぐさま気づく。


「おい、こいつ、猿轡も縄もなくなってるぞ!」


 男のひとりがすぐさまアイラの首を床に押さえつける。大きな手に圧迫され、アイラは苦しさに喘ぐ。


「 お前、緩く結んだんじゃないだろうな!」

「金のなる木にそんなことする意味ないだろ! むしろいつもより固く結んださ!」

「ならあれかぁ? 聖女の幸運ってやつか?」

「じゃなきゃ、ガキ数人分しかのっていない天井が天井が抜けたりしねぇだろ」

「もういっそこっちにつないでおいて方がいいんじゃないのか? こいつ逃がすわけにはいかねぇしさ」


 打ち付けた体が痛い。首が痛い。息が苦しい。男たちの言いあう声も相まって、頭がひどくぐらぐらとする。

 だからって、無抵抗でいるわけにはいかない。

 子ども攫いに攫われてみる、そうしてルボルを助けると提案したのはアイラなのに、シオンにおんぶにだっこの足手まといでいるわけにはいかない。ちゃんと、行動を起こさないと。頑張らないと。

 アイラは神に謝罪をしてから、必死に足を振り上げた——。


「いっ!」


 急所を思いきり蹴られたアイラの首をおさえていた男は、のけぞりながらその手を離し、涙目を浮かべた。

 アイラは体に鞭打って立ち上がる。


「くそ、このガキ……!」

「おい、落ち着け! きずもんにすると高く売れなくなるだろうが!」

「っ、なら、他のガキだ! 他のガキで憂さを晴らしてやる!」


 とんでもないことを言い出し階段の方に向かった男の腰めがけて、アイラは飛びついた。


「やめてください!」

「あ? もとはといえばお前が舐めた真似をしたのが悪いんだろ。あーあ、聖女サマのせいで尊い命がひとつ費えるなぁ!」


 男はいともたやすく自身の腰からアイラを離すと、投げ飛ばした。

 アイラはまた訪れるだろう痛みに備えてぐっと目を瞑った。だが、いつまで経っても痛みは訪れない。代わりに、あたたかくやわらかなものに抱きとめられる感覚があった。

 目を開けて顔を上げればそこには、大人の姿に戻ったシオンがいた——戻っただけではない、彼の頭には、黒い角が生えていた。


「遅くなってすまない、アイラ。理性を取り戻すのに、少し、時間がかかった」


 低く掠れた声が言う。


「衝動に任せてしまえば、お前を悲しませてしまうことを、しそうだったから」

「なんだこいつは!」


 男たちが怪訝にシオンを睨む。会談の方に向かおうとしていた男も、腰に下げていた短剣を手に掴み、苔のような髭の生えた頬ほをにったりと持ち上げた。


「よく分からねぇが、ちょうどいいカモじゃねぇか。ガキ殴るより骨がありそうだ」


 たっと駆けだした男が剣を振り上げる。

 シオンが危ない、とアイラは彼の胸を押しかけたが、当然びくともしない。


「大丈夫だ」


 やさしい囁きが降ってきてすぐ、赤く鋭いものがアイラの視界をしゅっと横切った。大きな矢のようなそれは男の肩めがけて飛んでいき、ざっくりと突き刺さる。


「ぎぁあああッ」


 悲鳴をあげた男は地面に倒れ転げ、悶え苦しむ。


「本来、この人を傷つけた輩は地獄の底に叩きつけなければ気が済まない……が、彼女にそんなものを見せるわけにはいかないからな。彼女を攫ったことを呪い、感謝することだ」


 シオンはアイラを軽々と片腕で抱きあげながら、残りの男ふたりの方にも振り向いた。そしてまた、赤い矢を放つ。男たちは呻きを上げて崩れ落ちる。


「シオン、これは」

「俺の血を凝結させて作ったものだ」


 シオンはとんと自身の首元を差す。そこには今まで気づかなかったのが不思議なくらい大きな切り傷があり、血がとっぷりと滴っていた。


「手当てしないと」


 慌ててアイラが止血の為に自身の袖をちぎろうとすると、シオンはそれを制止するように手のひらをかざした。


「お前の貴重な衣服を無駄にすることはない。放っておけば治る」


 そうやわらかに微笑んだシオンだったが、再び男たちに視線を戻すと、その瞳はすぐさま冷徹な赤い光を帯びた。


「俺の血は、大抵の人間にとっては毒となる。正に蠍にも勝る毒性もあるが、それだけじゃない。経口摂取でも、凝結したものが刺さるでも、一度それが体内に入り込めば」


 シオンが開いているこぶしをぎゅっと握ると、男たちは聞いているこちらまで喉が引きつりそうになるような喘ぎ声を上げながら、釣り上げられたばかりの魚のようにのたうち回りだした。


「俺は俺の血を操作することができる。つまり、生殺与奪を俺に握らせることになるということだ」


 ふっと笑ってシオンが手を解くと、男たちはのたうち回るのを止めた。


「化け物……」


 男のひとりが言う。


「同種族を売りさばくお前らだって十分化け物だと思うが?」


 シオンはもう一度手をぐっと握り、離す。

 男たちは気絶したらしく、たまにぴくりと痙攣する程度で、ぐったりと動かなくなった。

 それからシオンとアイラは二階に戻った。いつの間にか、シオンの角は失せていた。

 ふたりで子どもたちの布と縄を解いてやり、寝ている子は抱え、起きている子は歩いてもらい、街の方へと導いた。


 自警団の制服を纏った男の姿を見つけたところで、アイラはようやくひと息吐けた。

 先の小屋の場所とそこに子ども攫いをしていた犯人がいることを伝えた。そしてアイラとシオンはルボルを連れて、アネモの町への路を辿った。

 空はすっかり、白んでいた。

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