第8話
男に導かれたアイラとシオンがついたのは、三角屋根の二階建ての木造の家屋だった。屋根も壁も穴こそは開いていないものの、風化の痕跡や泥土の汚れが見受けられる。
栄えている町中から離れ、公園にいたときよりも潮のにおいが濃くなったのをみるに、海に近いところに位置しているらしい。
「あの、この家で見かけたんですか」
さすがに怪訝を隠せずに問えば、笑顔を浮かべた男は何も言わずに家のドアを開け、アイラとシオンの腕をひとまとめに掴むとその中へ投げるように入れた。アイラもシオンも前方に倒れ込む。
「いいのを仕入れてきたぞ」
胸が圧迫されるような痛みを堪えながら顔をあげたら、そこには数人の子どもと、二人の男がいた。アイラとシオンは彼らに顎を掴まれ、「暴れるなよ」と笑いを含んだ声で言われてすぐ、口に布を咥えさせられる。それから、手際よく麻縄で手足も縛られた。
「それで、いいのって? たしかにどっちも顔はいいが」
「特に男の方はそっちの客に高値で売れそうだな……お?」
アイラを見ていた男の視線が首元に向く。
「これ、聖女の証じゃねぇか!」
「マジかよ。富豪どころか国に売り込めるじゃねぇか」
男たちはアイラの方に集ってけらけらと笑い声をあげる。アイラは心地の悪さと息苦しさを覚えながらも、子どもたちの姿を確認した。
ここにいる子どもは全部で六人。眠っているのか意識のない子もいれば、怯えて切った顔をしている子もいる。その中に、シルヴァの面影を持った子どもも見つけた。
「ならいつもの奴隷市場に出すより、どこぞの国にまとめていい値段を吹っかけた方が儲かるんじゃねぇか?」
「この男だけはいつものルートだろ」
「いや、これも上手くいけばもっと値を上げられるだろ。今までのガキの中では随一に将来有望だ」
「たしかに。こんな顔が合ったら女遊びし放題だったろうになぁ、かわいそうに」
「明日の船はいったん流すか?」
「いや、船内でルートの相談をし直せばいいだろ」
「だな。今日の仕入れはこれで終わりか?」
「ああ。最近子ども攫いの噂も大きくなってるからな。あまり派手に動くと目を付けられる」
男たちはアイラとシオンを含めた子どもたちを担いでは階段をのぼり、二階に投げ込んだ。電灯も家具も何もない暗くて空っぽの部屋だった。窓があったらしき場所には板が張られかたく釘を打たれている。
「あー、眠ぃ。今日はベッド俺に使わせろよ。藁だと寝心地が悪ぃんだ」
「お前、一昨日使っただろ」
「そろそろ人数分のベッドくらい買っていいだろ」
「馬鹿いえ。ガキ用の倉庫にベッドを買って何になる。もう少し稼いだら他所にとんずらすんだ。そこで買えばいいだろ」
三人の男たちは他愛もない言い合いをしながら階段を下りていった。
子どもだけになった空間は、暗く、静かだった。シオンも、ルボルと思しき男の子も、どこにいるのかちっとも分らない。
アイラの聖女の証は子ども攫いの男たちにとって価値あるものだったらしいが、時間稼ぎなどはできなかった。行動を起こすなら彼らが寝て起きるまでの間しかなさそうだ。
しかし、口を塞がれ両手足も拘束された状態でどう行動すればいいだろうか。床にひたすら足をこすりつけていたら、縄が擦れてほどけたりしてくれないだろうか……。
だが、ここは二階で、古びた木の床は少し身じろぐだけできいと音を立てる。
下手に暴れたら、階下にいる男たちに怪しまれてしまうかしれない。
「この状況で、もしお前ひとりだったらどうしていた?」
降ってきた囁き声にアイラは一瞬どきりとしたが、間もなくして、それがシオンのものだと気づく。
彼も口に布を咥えさせられていたのに、どうして。
不思議に思っているうちに、シオンはアイラの手足の縄を解き、口の布も外してくれた。
それから間もなくして、ほんわりと明かりが灯る。見れば、壁にかかっていたランタンに小さな炎が点いていた。
なんとなく、察する。シオンだけが布や縄を容易く外せたのも、火をともせたのも、彼の力によるものだと思った。
「……あなたがいなければ、役立たずでした」
不甲斐なさに項垂れると、シオンはアイラの口元に人差し指を当てた。
「でした、じゃないだろ。姉さん」
ぱちりと瞬くアイラに、シオンは赤い瞳をやわらかく細める。
「まぁ、これに懲りたらもう二度と、俺を置いて無茶をしようと考えるなよ」
「もっとも、できることなら無茶そのものをしてほしくないがな」とシオンは呆れたように囁いてから、あたりを見回し、それから茶髪の男の子に近づいていった。この古びた床の上を歩くなんて、とアイラは危ぶんだが、しかし、シオンの足元から音はしなかった。
その子は起きていて、顔をゆがめることなく、他の子よりもずいぶんと落ち着いている様子に見えた。
「お前、ルボルか」
シオンからの問いかけに、男の子は頷いた。
「じゃあ、あの男たちさえどうにかすれば、一件落着ってことだな——さて」
今度は、シオンは階段の方へと歩みを進めた。
「ま、まさか」
「直接殴り込みに行く。その方が早いだろ」
「でも、相手は三人もいるんですよ」
「心配はいらない。すぐに片付く」
階段の方へ歩いていこうとするシオンを引き留めようと立ち上がったとき——床が、大きく軋んだ音を立てた。
「へ」
アイラの不運というのは、とんでもない偶然を引き起こす。
いくら古びていても軋んでいていても、修繕した痕跡が一度もなさそうな床だって、突然壊れたりするのだ。
足元が抜けたアイラは宙に放り出される。
「アイラ!」
最後に見たのは、さすがの突然の展開に驚いたらしい、目を見開いたシオンの姿だった。彼が驚いているところなんて初めて見たのに、どこか懐かしくて——アイラは思った。あの子に似ている、と。
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