第7話

 ウェルはアネモを南に進んだところに位置している港町だ。

 町の作り自体はアネモの町と似ているが、海に面し毎日多くの船が行き来している貿易地というのもあり、商店はアネモの倍以上あるらしい。

 アイラはアネモの町の聖女で、諦め半分ではあってももしかしたら誰かが教会に礼拝に来るかもしれないという思いから基本的にここまでの遠出することはなかった。はじめて見る光景につい左右を見渡していると、アイラの左手を握るシオンがふっと笑う。


「アイラはいかにもこの町に初めて訪れた子どもの演技がうまいな」


 見た目こそアイラよりも少し小さく幼いが、口調も言葉の選択も日頃のシオンと変わりない。


「……アイラではなく姉さんとお呼びください。あなたからの提案でしょう」


 アネモからお使いに来た姉弟という設定で振る舞いこの町に潜んでいるかもしれない子ども攫いを釣ろう、というのはシオンの提案だった。だからかつて自分の姉がそうしてくれたようにアイラは今、弟が迷子にならないよう手を繋いで歩いている。


「ああ、そうだったな、だが姉さんも、弟相手に「お呼びください」という言葉遣いはふさわしくないと思うが」

(た、たしかに)


 逡巡し、咳ばらいをひとつしてから、アイラは口を開く。


「シオン。私のことは姉さんと呼ばないとだめよ」


 その口調は、やっぱり、ぎこちなくなる。

 アイラは聖女として覚醒して以来、街の牧師等に人々を導く存在として丁寧な言葉遣いをするよう躾けられてきた。砕けた口調を使っていたのは、姉とふたりきりのみ——いや、そういえば。教会の庭で出会ったあの子と話すときも使っていた。教会にも街にも出ないあの子と顔を合わせるのは、姉と住んでいる自宅でのみだったから。


 あの子のことを思い出してから、アイラは妙な引っ掛かりを覚えていた。

 数週間の短い間ではあったけれど、アイラはあの子と親しくしていた。そしてアイラはあの子に祝福も捧げた。

 聖女として覚醒してからのアイラは街の人に乞われて多くの祝福を授けてきたが、自ら進んで祝福をささげたのはあの子がはじめてだった。

 それだけ印象深いかかわりがあったのに、アイラはよくあの子とのかかわりを忘れてしまう。

 あの子にどんな祝福をささげたかどころか、あの子の顔はどんなだったか、声はどんなだったかのかすらはっきりと思い出せない。傷だらけだったことと、あの街では見たことがない少し変わった容姿だったのはぼんやりと覚えているのだけれど。


(私の記憶力が悪いのかなぁ……)


 祖国の聖典も、この国の聖典もすべて覚え諳んじることができるから、まともだと思いたい。

 さっきから度々あの子の思い出について考えたり、それからあの子が今どうしているかを考える。元気に生きているだろうか——。


「姉さん」


 そっと手を引かれ呼ばれ、アイラははっとする。


「さっきから心ここにあらずって感じだけど。どうしたの、姉さん」

「あ、いえ……ううん、なんでもないの」

「そう。ねぇ、姉さん。この依頼が終わった後も、俺にはその口調で話してほしいな」

「いやです」

「姉さん」

「……いやよ。慣れないもの」

「たくさん話せばいいだけだ。そうしたら、慣れるだろ?」


 にこりと微笑むシオンは幼気で、その提案を無下にすることはとても悪いことのように思えた。


「……考えておきます」

「ありがとう、姉さん」


 普段の見た目のシオンになら抵抗できるのに。なんとも調子が狂う。

 ため息ひとつ、それから意気込みの呼吸をひとつしてから、とりあえず今は目的である人攫いを探すのに専念することにした。

 アイラとシオンは手をつなぎながらゆっくりと町中をぐるりと回った。


 ルボルや子ども攫いについて聞き込みをしてみたりもしたが、二、三日にひとり子どもが行方不明になっている、昨日もある家の子がいなくなった、ということぐらいしか役立つ情報は得られなかった。


 こども攫いに狙ってもらえるようにぼうっと日陰に佇むふりや八百屋で買った果物をかじりながら公園で過ごしたりもしてみたが、怪しい人影はちっとも現れなかった。

 成果を得られないまま、日はみるみるうちに傾く。やがて空は濃紺に染まり、白い星が点々と瞬く。

 こども攫いは夜に現れる可能性もある。アイラとシオンは引き続きウェルの町の、人気のなさそうな、誘拐に適していそうな場所を探しては巡り、滞在してみた。


「今日はスカかもな。二、三日にひとり子どもが行方不明になっていて、昨日も発生した。もしかしたら、向こうは予定を決めて子ども攫いをしているのかもしれない」


 公園のベンチで足を組んだシオンが空を仰ぎながら言う。


「予定って?」

「さぁな。子どもの売れに合わせてとかかもな」

「かも、だもんね」

「かも、だな」


 子どものふりをしてウェルの町を練り歩いていれば攫ってもらえると期待していたが、そう簡単な話ではなさそうだ。だが、聞き込みもろくに振るっていない現状で、他の手はすぐに思いつかない。

 アイラは心もとなさに、隣に座るシオンを見た。

 夜の下で見るシオンの顔色はいつもよりも青白かった。不健康で不安になる色。彼はちゃんと……食事を摂っているのだろうか。でも彼の食事が、人の血だとしたら、それを容認するわけにはいかないのだけれど……。だが、先に抱きしめられたときのシオンの体温はたしかにあたたかくて、手の甲に触れた唇も——。


(な、なにを思い出してるの、私!)


 アイラはぱっとベンチから立ち上がる。


「どうした?」

「の、喉乾いたから! なんか、飲み物買ってくる」


 アイラの体は今とてつもなく熱いけれど。

 真っ赤な顔を見られないために、アイラはすぐさまシオンに背を向けて走り出す。「一人でどっかに行こうとするな」と彼が引き留める声が聞こえたが「すぐ戻ってくるから」とアイラは振り返ることも足を止めることもしなかった。

 そして、公園を出てすぐ。


「お嬢さん、こんな時間に出歩いて、どうしたんだい?」


 と声を掛けられた。顔を上がれば、人の好さそうな男がいた。親切な町民だろう。


「えっと、友達を探していて」

「友達?」

「そうなんです。アネモの町の子で、私より少し背の低い男の子で、茶色の髪をしていて」


 シルヴァから聞いていたルボルの特徴を口にすると、男は少し思案したそぶりをしてから、あ、と口を開いた。


「今日、似たような容姿の子に見かけたかもしれないな」

「本当ですか!」

「ああ。君たちは、アネモの町から来たってことかな。だとしたら、少しわかりづらい場所かもしれない。よかったらその場所まで案内しようか?」


 まさか行き詰って困っていたところに、こんな幸運と出会えるとは——いや、おかしい。

 アイラはすぐさま浸っていた喜びから足を引き上げる。悲しいかな、アイラはこれまでの人生で棚から角砂糖が降ってくるような幸運にでくわしたことがない。

 男の顔はいかにも人がよさげではある、明確な根拠はなく、あくまで経験則。それでももしかしての可能性が浮かんでしまったアイラの背には冷たい汗が滴る。


(……ついていけば分かることじゃない)


 彼が善良な町民でも、悪い子ども攫いだとしても、ルボルを探し出すという目的には近づけるのだから——。


「姉さん、その人、誰」


 聞こえてきた声に振り返ると、そこにはシオンがいた。シオンはこちらの駆け寄ってくると、アイラの腕にぴっとりとくっつく。


「姉さんの知り合い?」

「えっと、違う、けど」

「じゃあ、悪い人? 姉さんのこと、虐めないで!」


 さっきよりもずっと舌足らずな口調で妙に子どもらしい主張に、演技がうまいのはいったいどちらかとアイラは呆れと感心を覚える。それとともに、アイラの無意識に握りしめていたこぶしが少し解けた。

 男はひとつ瞬くと、にっこりと微笑む。


「弟さんもいたのか。二人でお友達探しをしていたのかい?」

「お兄さん、俺たちの友達のことしってるの」

「ああ。君たち、アネモの町から来たんだろう? 他所の人には少しわかりづらい場所で見かけたから、案内しようかと君のお姉さんに話していたところなんだ」

「そうだったんだ。勘違いしてごめんなさい、お兄さん」


 シオンが礼儀正しくお辞儀すると、男は「いいよ。仲がいい姉弟なんだね」と小さく笑った。


「あの、案内お願いしてもいいでしょうか?」


 シオンのおかげで緊張が解けたアイラは、彼の演技に乗っかって、精一杯無垢に懇願する。


「ああ、もちろん。ついておいで」


 そう頷いた男の、その瞳の奥が昏く光ったように見えた。

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