第26話 ギブアンドギブ

 私を呼ぶ声が聞こえる。その声はとても、とても良く耳になじんだ。私が返事をしようとする前に、少し白みがかった公園に、黒い影が現れた。


「凛!」

 逆光で表情は見えないが、何となく察せられる。走ってきたのか、息を切らしている。私が動かないのを確認して、彼は深呼吸をした。


「……新田さん、久しぶり。」

「凛……」

 お互い無言の時間が流れる。


「ここから逃げないってことは、そういう事でいいんだよな。」

「……うん。」

 そう返すことにためらいはしたが、迷いはしなかった。新田さんは安心したのか、腰に手を当てる。


「じゃあ、どういうつもりだ。」


 ここの言葉は慎重に、丁寧に選ばないといけない。ここで逃げても今まで通りの生活に戻れるだろう。だけど、それじゃいけない。


「あのさ、私、」




「初めてだったんだ、こんな風に接してもらえるの。」

 たった今家を抜け出した少女とは思えないくらいに、凛は淡々としていた。


「ほら、私って大人っぽいでしょ?見た目はそうでもないかもしれないけど。」

「……」

 俺は返事をしない、彼女の話を遮りたくないのもあったし、話がどう転ぶか分からなかったからだ。


「無言は、一応肯定だと思っとくよ。」

 少し不満そうに、凛はそう答えた。


「割と周りの事には気づける方だし、気も遣える。まあだから、こんな生活でも、多分どうにかなってきたんだよね。だけど、新田さんは違った。私を、子どもらしく、年相応に暮らしてくれって、言ってくれたんだよね。」

「ああ、その通りだ。」


 凛は社会に大人にされてしまった、だから子供とは思えないくらい、必要以上に気を遣うし、周りが喜ぶ方向に物事を動かそうとする節が見えた。だから、凛を自由にしてやりたい、そう思った。


「でも、私には、それが苦しかった。私を子ども扱いしてくれようとする新田さんにとって、私は負担なんじゃないのかなって、そう思って、出てきちゃった。」

 てへっ、とあざとく笑う凛。


「何となく、そんな気がしてたよ。」

 あの書置きからは、凛の心の奥で何を思っていたのか、感謝以外の感情も、伝わってきた。


「だけど、俺は間違ったとは思ってない。」

 エゴだ偽善だと言われるかもしれなくても、ここだけは、線引きしたかった。そんな俺に、凛はあくまで柔らかなトーンで返す。


「知ってる。新田さん、優しいもんね。」

「優しさとかじゃない。譲れないだけだ。」

「じゃあ、私も譲れない事、一個だけ言っていい?」

「……話は聞く。」


 凛は大きく息を吸って、答える。


「子ども扱い、やめてほしいんだ。」

 また、少しの沈黙。


「……何でだ。」

「ダメだって、言わないんだね。」

「話は聞くって言っただろ。」

「意外、すぐ断られるかと思った。」

「嘘つけ。」

 言葉に反して、凛の表情に意外さは浮かんでいなかった。


「私、今まで誰かに何かしてもらいたければ、自分が何か与えないといけないんだって、そう思ってた。でも、世の中って、どうやらそうじゃないらしいんだよね。」

「ああ、だから俺は、」

「だから新田さんは、私に無条件で与えてくれた、これが正しいんだぞって、教えてくれたんだよね。」

「そこまで分かってるならなんで、なんでそんなこと言うんだよ。」

 凛の感情が上手く読み取れない。睡眠が足りていないせいか、混乱してくる。


「ちょっと、話は最後まで聞いてよ。私、年相応に振る舞いたくないなんて、言ってないから。」

「え……?」

 さらに混乱する俺を他所に、凛は話を続ける。


「私、今まで見たいに、人に気を遣って顔色窺って、自分を出さないような生活はやめにしようと思う。人から貰うために、自分から何かを差し出すのも、やめる。」

「そ、そうだよ、その通りだよ、凛……!」

 でも、と凛は続ける。


「でも、新田さんとは、ちょっと違う。新田さんとは、私、対等な関係でありたいんだ。」

「対等、って……」

「私は気づいたんだ。私は新田さんから貰い続けるのは嫌、私からも、新田さんに何かしてあげたいんだって。新田さんから何も帰ってこなくてもいい、一方通行でもいいから、私も、新田さんに与えたいんだって。」


「……」


「私は今まで、誰かからしてもらうために、自分から行動してた。ギブアンドテイクの関係を頑張って作ろうとして来てた。だけど新田さんとは、もらうためじゃなくて、ただあげる。そんな関係になりたいと思ってる。」


 ここで凛は一つ大きく息を吸い、満面の笑みを浮かべる。


「それが、私なりに生きる、ってことです!」


 凛の笑顔は、涙に遮られても、綺麗だった。カッコ悪い顔を見られぬようにうつむく俺の顔を覗き込み、凛は悪戯っぽく笑う。


「って言っても、居ついてる私が対等だなんて、そんなの、かな?」


「そんなの、わがままのうちに入んねぇよ。」


 泣いていてよかった、じゃなきゃ、きっとカッコつけ過ぎだと凜に笑われたに違いないから。





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