第25話 ギブアンドテイク(2)

 あれからどれだけの時間が流れただろう。ずっと泣いていられるような気がしたが、悲しみより先に体力が底をつきた。体力が尽きるとともに、ずっと慰められていたことに気づき、ばっと離れる。


「すみません、見苦しいところを……」

「いえいえ、気は収まった?」


 正直収まっていなかったが、相手は今日会ったばかりの女性。今更何をという感じだが、これ以上迷惑を掛けれなかった。涙を手で拭っていると、楓子さんはハンカチを差し出してくれる。


「どうぞ、使って。折角の可愛い洋服が濡れちゃう。」

「でも、楓子さんも」

「私はいいの、どうせスーツだし。」

「じゃあ、ありがとうございます……。」

 花柄の刺繍がされたハンカチを受け取り、眼もとに当てる。そんな私を、楓子さんはニコニコと見つめる。不思議なくらいニコニコしている。


「そのハンカチ、ちゃんと洗って帰してね?」

 してやってりという顔。


「……わざとですか?」

「んー?何が〜?」

「そういうの、大人の悪いところですよ。」

「まだまだ修行が足りん証拠だよ。」

 完全にしてやられた。得意げに笑う楓子さんに、視線で精一杯抵抗をする。


 洗い、そして返す予定ができたハンカチを丁寧にたたみ、膝の上に置く。楓子さんは、そんな私の動きを目で追っている。


「その服、可愛いね。似合ってる。」

「ありがとう、ございます。」

「絶対汚したくないんだろうなって、伝わってきた。」


「そりゃそうです。」

 一通り泣いたら思考がクリアになって、一言言ってやりたくなった。似合ってる?汚したくない?そんなの当たり前だ。だってこの服は、彼と選んだ。


「私の、の、一張羅ですから!」

 ばっと立ち上がり、夜の公園に宣言する。


「おお……」

 楓子さんはパチパチと手を叩く。ペコリとお辞儀をして、私は椅子に座る。


「ありがとうございます。泣いたらスッキリして、なんかスッキリしすぎたかもしれないです。」


「うんうん、いいシャウトだったよ、凛ちゃん。」


 楓子さんも褒めてくれたが、少し心ここにあらずって様子。常識的に考えて、楓子さんも社会人、明日仕事が無いとは限らない。


「楓子さん明日も仕事ですか?だったらすみません、長時間拘束しちゃって…」


「あーううん!気にしないで!社会人はどれだけ寝ても別に朝の辛さは変わんないから……」


 それは果たして大丈夫と言えるのだろうか。


「それより、凛ちゃん、さっきなんて言ったの?」

 少し焦ったように話題を変えてくる楓子さん。


「え?」

「あー、いや、ほら、名前のところ。あれ、本名?」


「あ、あれですか……」

 つい勢いで言ってしまった部分もあり、改めて説明しろと言われると、少し恥ずかしい。


「あれは別に本名じゃなくて……、なんていうか、つい、出来心で……」

 よく考えたらそこを楓子さんに説明する必要はないのだが、つい誤魔化したい気持ちになる。


「いや、本名じゃないならいいや……いや、逆に良くないのか?」

 今度は楓子さんが悩み始める。


「楓子さん?大丈夫ですか?」

「あー、うん。多分……」

 しばらくうめいたかと思うと、楓子さんは突然自分の頬をパチンと叩く。

「よし!まあ、悩んでもしょうがないか!」

 うんうん、と言い、彼女はこちらに向き直る。


「それで、どう?凛ちゃんの方は、色々と吹っ切れた感じ?」

「はい、お陰様で。」

「そっか。」

 さっき叫んだからか、私の心は晴れやかだった。自分がこれからどうするべきか、正しいかは分からないけど、後悔しない道は選べる。そう思った。


「よし!じゃあ解決ってことでいいのかな?」

 楓子さんは立ちあがり、一つ大きく伸びをする。


「はい!ありがとうございました、楓子さん。」

 大きくお辞儀をすると、楓子さんは照れて手をパタパタ振る。


「いやいや、君たちがちゃんと自分らしく生きれるように導くのが、我々大人の仕事ですから。」

「それ、昔言われました。」


 と言うか、楓子さんはその彼によく似ている。テンションとか、慰め方とか。楓子さんはもう一度伸びをする。


「じゃあね、凛ちゃん。気を付けて帰るんだよ?」

 この人は、本当に最後の最後まで優しい、そう思った。

「はい、ばっちりです。」

 楓子さんはにこりと笑い、そのまま帰ろうとする。彼女の背中を見ていると、このまま彼女を見送ったら、もう会えない。そんな気がして、強く手に持ったハンカチを握った。


「あの、楓子さん!」

「何?」

 楓子さんは振り返らない。

「このハンカチ!いつ返せばいいですか?」

 少しの沈黙が永遠にも感じた。


「さあね。」

「さあね、って……」

 それじゃあずっと会えないってことじゃないか……。そんなの嫌だ!

「嫌です!私、また楓子さんとお話ししたいです!」

 楓子さんは顔だけこちらに向けた、その顔は、何かをこらえているようにも見えたけど、とても穏やかだった。


「凛ちゃんが間違えない限り、すぐに会えるだろうし、その時まで持ってて。」

 返事をしようと思ったら、彼女は消えていた。



 遠くで、私の名前を呼ぶ声がした。とても聞きなれた、とても聞きたかった声だった。








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