第24話 ギブアンドテイク

 どこをどう走ったのだろうか、気づけば私たちは公園に到着していた。私もお姉さんもぜぇはぁ言いながら、ふらふらになりながらベンチへと座った。


「やばい、就職してから明らかに体力落ちてる……。」

 ベンチに頭を完全に預け、あ~と、どこから出ているのか分からない声を出すお姉さん。


「あの……」

「ああ、ごめんね!突然手引っ張っちゃって!あの店員に……ナンパでもされてるのかと思って、つい出来心で……。」

 あんなに大胆な行動をした人とは思えないくらい、ペコペコとするお姉さん。ナンパと言葉を濁してくれる、その優しさもありがたかった。


「いえ、ありがとうございます。正直、これからどうすればいいか分かんなくて……。」

 コンビニで待っているとき、こう思っていたのは本当の話。だが、これからどうしたらいいのか分かっていないのも本当だ。どうしたものか、俯いたまま、少し悩む。


「って、あれ?」

 顔を上げると、至近距離にお姉さんの顔があった。

「な、何ですか……?」

「ん~~~?」


 私の質問には答えず、変わらない距離で私をつむじから体にかけてじっと見てくる。少しメイクは崩れてる感じもするけど、目もパッチリしてるし、いい匂い。そのまましばらく見つめたかと思ったら、お姉さんはぱっと顔を離す。私も反射的にのけぞる。


「あなた!昔ショッピングモールであったことない?ほら、ナンパされてた!」

「え……?」

 暗闇に目が慣れてきて、お姉さんの顔がはっきりと見えてくる。流石の私も、ここまで言われたら気が付かないほど鈍くはなかった。


「あの時ナンパから守ってくれたお姉さん!」

「そう!あの時ナンパから守ったお姉さん!」

 夜の公園に、声が響く。私たちはじっと顔を見合わせる、そのままお互いが見つめあう時間が数秒続き、


「「ぷっ、はははははは!」」

 同時に吹き出した。


「なんだ、こんな偶然あるんだ!」

「私も、まさかおんなじ人に助けてもらうことになるとは……。」


 一通り笑ってから、お姉さんは目元に浮かんだ涙を拭いつつ、聞いてくる。


「私、水原楓子。楓子お姉さんでいいよ。」

「私は凛って呼んでください、楓子さん。」

「おお、中々やるね、凛ちゃん。」

 ふふっと、私たちは再び笑った。


 それから私たちは、色んな話をした。まるで昔からの友人みたいに。でも、多分、前に助けた/助けてもらったじゃなきゃ、こんな話は出来なかった気がする。もう多分会うことは無い関係、だからこそ、全部話せる気がした。


 楓子さんは今会社に気になっている人がいるらしい。その人は楓子さんの先輩なのだが、どれだけアプローチをかけても、微塵も気づく素振りが無いんだとか。


「彼女はいないらしいんだけどね、なんか後輩としか見られてないっていうか……って、ずっと年下の子に何でこんな話してるんだろ。」

 ごめんね、見苦しいね、と、彼女は苦笑いする。そんな風に悩めるのが、なんだかちゃんと大人に見えた。


「そんなことないです、私も、まともな恋愛なんてしたことないですし。」

 そんなに深刻そうに言ったつもりはなかったが、楓子さんはあー、と天を仰ぐ。


「それ、聞いちゃって大丈夫な奴?」

「ええ、まあ楓子さんなら、大丈夫だと思います。」

 何となく、この人なら大丈夫だと、直観がそう言っている。私の勘は、鋭いのだ。


「っていうか、私の手を引っ張ってこんなところにまで連れてきたんですから、楓子さんには聞く義務があると思います。」

 そう言うと、楓子さんは、優しく笑った。


「そっか、なら聞かせてもらおうかな。」

「少し長くなるかもですけど、大丈夫ですか?」

「バッチ来いよ。」

 胸をとんと叩く楓子さん。その仕草は、子供っぽかったけど、なんだか安心できた。


 私はつらつらと、なるべくわかりやすいように、私の身に起きていた出来事を話していった。私が事情があって今は家出中な事、今までいろんな人に泊めてもらいながら暮らしてきたこと、そして最近、いい人に出遭えて、幸せに暮らしていたこと。だけど、自分の存在が負担なのではないかと思って、出てきて、今に至る事……。


家を飛び出した理由とか、それ以外の汚れた部分はあえて話さなかったし、楓子さんも聞いては来なかった。私が喋っている間、楓子さんは特に質問してくることなく、ただ話を促してくれた。


「とまあ、大体こんな感じです。」


 纏めようと思ったが、やはり長話になってしまった。公園の時計の針も、大分進んでしまっている。


「とりあえず、はいこれ。」

「あ、ありがとうございます。」


 彼女は手に持っていたコンビニの袋から、お茶を出してくれる。本来ホットだったはずのほうじ茶は、ほぼ室温と同じくらいにぬるくなっている。ぱきりとキャップが外れる音が、体に響く。久しぶりに飲んだお茶は、見た目以上に暖かかった。


「話してくれてありがとう。」

 楓子さんは俯き、膝の上でギュッと手を握っている。一つ一つ言葉を探すように、楓子さんは話し始めた。


「ここで私がつらかったね、とか、大変だったねとか言っても、私はそんな経験したことないし、意味がないから、言わないでおく。」

「はい。」

 もともと同情を買いたくて、この話をしたわけではない、やはり楓子さんは分かってくれている気がする。しかし彼女は、私の表情をちらっとを見てまた俯いた。


「凛ちゃんは、大人だね。」

「いえ、そんなこと無いですよ。私なんて、バイトもしたこと無いですし……。」

「ううん、大人だよ。君は。だって普通、あんな話をした後に、大変だったねとは言わないなんて言われたら、普通、ちょっと位がっかりしちゃうもの。」


 私は何か間違ったことを言っただろうか、少し不安に思ってしまう。しかし、楓子さんはそんな私の表情も見透かしたように、微笑む。


「そう、そういうところもだよ、凛ちゃん。」


 彼女は、一つ大きく息を吸い、どこか遠くを見ながら、話し始める。


「私が思うに、大人になる事って、相手に求めなくなる事だと思うんだ。子どもの頃はさ、親の愛情とか、そういうのを無条件にもらえたでしょ?だけど、段々と与えられ続けることは減っていく。自立するにつれて、与えられるだけの機会は減ってきて、最終的に、人に頼らずに、自分でやれることはすべてやってしまおうって、抱えるようになること。それが大人になるって言う意味だと、私は思うんだ。」


 楓子さんは続ける。


「凛ちゃんはさ、多分、大人になりすぎちゃったんだよ。それか、大人にさせられたのかもしれない。どっちかは分からないけどね。」


「そう、なんですかね……。」

 私の奥底から、私を構成していた全てが、ぐらぐらとせりあがってくるのを感じる。言葉とは裏腹に、違う、そんなことないって、主張している。


「うん。だから、凛ちゃんはその人と出会って、びっくりしたんだと思う。自分に無条件に与えてくれる人に出会って、どうすればいいのか分かんなくなったんじゃない?だから、自分の存在価値が分からなくなって、それで、逃げ出した。」


 彼女の言葉は甘く、私の体にゆっくりと染みていこうとする。だけど、


「でも、」


 だけど、ダメだ。認めちゃ、ダメなんだ。私の心が、体が、抵抗しろと、必死に叫んでいる。


「うん、何かな、凛ちゃん。」

楓子さんは、びっくりするぐらい穏やかだった。


「でも、でもっ!」


 言葉が詰まる。ダメだ、ダメだ、そんなことあっちゃならない!だって、それを認めたら、ダメなんだ。私が新田さんとの生活で感じていた違和感、を認めたら、————私の今までは、一体何だったっていうんだ……


「誰かから何かもらうには、自分が何か差し出さないといけないなんて、そんなの、当たり前じゃないんですか?」


 そうじゃなきゃ、おかしい、そうじゃないといけない。そうじゃないと、新田さんと出会うまでの私の今までは、全部、無駄だったってことになってしまう……。


 ふり絞った言葉は、まるで救いを求めるような形になる。しかし私の言葉を聞いた楓子さんは、笑顔を崩さず、残酷な真実を語る。


「ううん、そんなの普通じゃない。あなたは、与えられないといけないんだよ。」

 覚悟していたはずなのに、彼女の顔は、すぐにぼやけてしまった。ぽとりぽとりと、涙が握った拳に流れていく。


「そんな、そんなことって、無いじゃないですか……」


 楓子さんは、そんな私をぎゅっと抱きしめて、ずっと、そのままでいてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る