第23話 逆走

 新田さんが布団に入り、寝静まった頃、私はゆっくりと行動を開始する。物音を立ててしまって彼にバレてはいけない。体の緊張感と心臓の鼓動を心が興奮と勘違いして、楽しくもなんともないのに、にやけてしまう。まとめる荷物も殆どなく、残しても新田さんが困るであろう制服だけ持って、私は玄関に立つ。


「とりあえず、荷物は十分かな。」


 手ぶらすぎるのが心配になってしまうのは、私がここでの生活にどっぷりつかり切ってしまったからだろう。本来私はこういう生き方をしてきたんだ、勘違いするなと自分に言い聞かせる。


 玄関に座り、靴を履こうとするも、靴紐が変に結ばれてしまっているのか、中々上手く履けない。踵に指を引っ掛けて履こうとすると、あの鞄が目に入る。私は結局あの鞄を片付けられず、新田さんも気づかなかったため、鞄は玄関に置かれたままになっていた。履けない靴をそのまま脱いで、鞄を手に取り新田さんの部屋の前に持って行く。音をたてないように鞄をドアの前に置く。なんとなくこのまま去るのがもったいない気がして、扉にこつんと頭を付ける。


「新田さん、お仕事頑張ってね。」


 彼は求められる人物だ。私と違って、皆に必要だと言ってもらえる人なんだ。メモを見れば、いや、メモをみなくても、普段の彼の行いからその仕事ぶりも想像できる。そんな彼の時間を、私が奪っちゃいけない。私がいなければ、多分新田さんは自分の仕事に集中して、プロジェクトにも多分参加してくれる。


 ああ、なんて幸せな日々だったんだろう。今までからは想像もつかないほど、新田さんとの日々は楽しかった。でも、そんな日々も今日で終わり。人の幸せと不幸の総量は決まっているらしいが、こんなに罪深い私に与えられた幸せの総量なんてたかが知れている、そう思うと一緒に暮らした時間は長すぎるくらいだ。


 今度はさっき難航したのが不思議なくらい、靴はスムーズに履けた。つま先をトントンと床に当て、足の感覚を確認する。玄関のカギを開け、後ろを向く。テーブルの上にはメッセージを置いた。書置きなんて、少しカッコつけすぎかもしれないが、最後なんだし、いいよね。



「ありがとう。あなたと出会えて、幸せでした。」


 新田さんと、私を守ってくれたこの部屋に一つ大きくお辞儀をする。本当に、楽しかった。唯一つ、不満があるとすれば……。いや、そんなのおこがましいか。


 もうすぐ梅雨らしい夜の空は、じめっとしていて、生ぬるい風が私の肌を舐めるように吹いていた。




 *******


 家から最寄りではないのだが、コンビニまでの距離は思っていたより案外近かった。住宅街という事もあり、大抵の家は電気が消えているが、その分を補うかのようにコンビニは煌々と光を放っていた。駐車場に車は止まっておらず、店先でたむろしているヤンキーもいない。

 自動ドアが反応しないくらいの距離まで来てから、私はふと立ち止まる。


「おいでって言われたけど、どうすればいいんだろ……。」


 大宮においでと言われたはいいものの、どうやって会えばいいのか分からない。店に入って言ってそのまま彼の家にでも行くのか、それとも仕事が終わるまで待たなければいけないのか……。意を決して来たはいいものの、その辺が非常に曖昧だ。


(「ま、大宮からしても、そんなもんか……」)


 乗ってこなきゃそれまで、もし本気にしたら儲けもの。多分あっちもその程度のつもりで私に声をかけてきたんだろう。でも、今はそのくらいの方がいい。与えられ続ける生活は、もういい。


 いい案が思いつかず、何となくズボンのポケットに手を入れると、ジャラジャラとした感触がある。多分、この間買い物に行ったときお釣りをポケットに入れたままだったんだろう。


「あ、そっか……。」


 お金があるなら、お客として入ればいい。どうせもう返すことのないお金だ、そのまま声を掛けられるのであればそれで、待たされるなら何か買って外で待てばいい。うん、名案だ。ズボンの小銭を握り締めて、光の中へと進んでいった。


「いらっしゃーせぇー」

 

 やる気のなさげなコンビニ店員の青年の声が聞こえる。店の外に少しいたからか、店内の光はそこまでまぶしく感じなかった。レジには若い店員さんが一人ついており、ざっと店内を見回しても大宮の姿は見えない。今日はいると言っていたはずなんだけどな……。


 入り口できょろきょろしても目立つだけなので、しばらく店内をぶらつくことにする。おにぎりなどの消費期限が短いものは半分以上売り切れており、そのどれも値引きシールが貼られている。店内をぐるっと二週ほどぶらつくが、未だに大宮は現れない。店内には誰もいないせいで、レジ番をしている店員さんの視線がずっとこっちに向いているような気がして、居心地が悪い。そんなことを考えていると、スーツ姿のOLさんが入ってくる。気のないいらっしゃーせが再び聞こえ、視線がそれたことにほっとする。


 しかし視線がそれたと言っても、限界がある。OLさんも割引になったおにぎりをじっと見たまま動かないが、私は彼女とはわけが違う。女子高生がこんな時間に長時間コンビニにいるなんて、違和感しかない。しょうがない。ここは一旦引いて、少し時間をおいてからまた覗いてみよう。そう思い、レジの人に内心謝りつつ、店内を出る。すると、店を出ようとした瞬間、背中に声がかけられる。


「さくらちゃん!ごめんごめん。」

 振り返らなくても分かる、大宮だ。彼はそっと私の後ろに近づき、囁いてくる。


「ちょっと、外で話そうか。」

 あの家を出た時に浴びた風より生暖かい空気が耳元を流れて、思わずビクッとする。が、そのまま頷き、二人でコンビニの外へと出た。


「いやーごめんごめん、ちょっと仕事が忙しくてさぁ。」

「いえ、大丈夫です。」

 私が見る限り店内に彼はいなかったはずだが、裏で何かやっていたのだろうか。私の雰囲気を見て、確信したのか、彼はコンビニに背を向ける格好で、ニヤリと笑う。


「で、覚悟が出来た、ってことでそれでいい?」

「はい、よろしくお願いします。」

 私がそう答えると、大宮は顔に手を当て上を向き、嬉しそうに唸った。


「くぅ~!やっぱそうだと思ったんだよね、俺とさくらちゃん、相性バッチ氏じゃね?って。服も俺好みのやつ着てくれてるし。」

「服はっ……」


 服はお前のために選んだものじゃない、勘違いするな!強く言いつけてやりたいが、私はそれを言える立場にない。言いかけた言葉を、飲み込む。


「俺もうシフト終わって、後10分くらいで戻るから。それまでここで待っててくれる?」

 言葉は返さず、首の動きだけで返事をする。大宮は満足そうに一つ伸びをして店内へと入り、そのままバックヤードへと消えていった。待つことにはなったものの、大宮と共に店内に戻る気は起きなかった。


 不意に与えられた10分を、私はどう使うべきか分からず、しゃがみ込み、ただぼーっと思考を巡らせていた。巡らせると言っても、頭に浮かぶのはたった一つだけだった。新田さんは今頃寝てるんだろうか、起きたらびっくりするだろうか、私の事を嫌いになってしまうのだろうか……


 私がいなくなったら、新田さんはきっと仕事に専念してくれる。彼がそう望めば、きっと回りもサポートしてくれる。そういう人だ。プロジェクトを任され、どんどん昇進していって、結婚して、子供が出来て、そして……たった2か月、一緒にいた少女の事なんて、すぐに忘れてしまうのだろう。うん、きっとその方がいい。私もすぐに忘れよう。あれは夢だった、分不相応な幸せな夢。夢なら、目が覚めたらすぐに忘れてしまえるだろうし。


「あれ……?」


 何故だかズボンが濡れている。てを差し出すも、外は晴れている。しかし、ズボンに降り落ちる雨は止まない。


「あれ?……あれ?」


 目元を拭うと、なぜだか手まで濡れてきた。不思議だ、自分は今泣いているのか、新田さんとは別れると決めたのに、新田さんも傷つくような別れ方をわざわざ選んだくせに、まだ泣いていいと、そう思っているのか。しかし、頭に反して、唇は異なる言葉を紡ぐ。



「ああ、忘れられたくないなぁ……」



 私の最後の泣き言は、誰にも聞かれることなく、私の思い出と一緒にこの空に吸い込んでもらおう、そう思った。



「あなた、大丈夫?」



 しかし、思い出は、そう簡単に消えてくれないみたいだった。



「え……?」

 声のする方を向くと、私の次に店に入ってきたOLさんが立っていた。左右を向くも、私以外に人はいない。突然声を掛けられて、困惑していると、OLさんはちらっとコンビニの方を覗き込み、少し焦ったトーンで聞いてくる。


「単刀直入に聞くけど、あなた、あの店員さんと付き合ってるの?」

 私が?あの男と?冗談じゃない。勢い良く首を横に振る。


「じゃあ、兄弟とか、親戚って訳じゃないのよね?」

 OLさんの真意がつかめないが、こくりと頷く。すると、OLさんはふうと一つ息をついて、よし!といって、私に手を伸ばした。


「えっと……。」

「逃げましょ、あなたを自由にしてあげる。」


 自由、いつぶりにそんな言葉を聞いただろう。私は思わず濡れた手で彼女の手を思わず掴む。


すると、彼女はそのまま走り出した。私も、手を引かれながらなんとか走っていく。



 茶髪で小柄な彼女の背中は、黒髪で大柄な彼と何故かダブって見えた。


(「神様、私、もう少し夢を見ていてもいいんですか?」)


 少し顔を上げると、空には月が出ていた。

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