第20話 私と新田さんと、自由
破れた袋の底を手で押さえているのに、袋は本来の倍くらい重く感じるし、足は地面に沈んだように重く、前に動こうとしてくれない。普段より時間のかかる帰り道だが、頭の中は大宮から投げかけられた言葉が反芻していた。
「私が新田さんの可能性を潰してる、か……。」
投げかけられた言葉は、早く砕いて楽になりたいのに、私の心はその言葉を消化できずにずっとグルグルして、丁度胸のあたりがむかむかとする。
「いやいや、新田さんは、必要じゃなかったらこんな風に良くしてくれないし、きっと大丈夫だよ。」
自分に言い聞かせるように言ったつもりの言葉は、真上の空へと吸い込まれていった。いっそ家に帰れなければ、この気分の悪さも解消されるのだろうか、頭では考えていても、私の体は寄り道などしない。まっすぐに帰る道を示し、重苦しくも動き続けている。
いつしか私は今日の晩御飯を考えるようになっていた。折角だから、何か凝った料理を作ってあげたい。新田さんは何が好きだっただろうか、やっぱり男の人だしがっつりした丼ものとかが好きなんだろうか、それとも子供のころからハンバーグがずっと好きだろうか、意外と辛いものは苦手なんじゃないのかな。考えても考えてもまとまらず、この時間がずっと続いてくれればいいのに、なんてことを思った。
当たり前だが、時間はかかりつつも私の体は道半ばで右向け右をする。どうやら到着したようだ。
目の前には、良く見たマンションが建っている。3階建てのそう高くないマンションはまるで城の様に立ちふさがっていた、しかし私の体は、進軍する兵士の様に、私の意志とは無関係に、家の中へと入っていく。
そうだ、まだ今日の晩御飯を作らなくちゃいけないからね、まだまだ。どさっと買い物袋を置いて、靴を脱ごうとする。すると、破れた袋の隙間から、特売だった卵のパックが見える。
「あ!オムライスもいいなぁ、新田さん、きっとオムライス好きだろうし。」
一人呟き、少しおぼつかない足取りで、キッチンへと向かって行く。しっかりしなくちゃ、私がご飯を作ってあげないと、新田さんは飢え死にしちゃうんだし。
冷蔵庫に食材を入れて、そのままソファーへどさっと座る。テレビの黒い画面には、なんとも言えない顔をしている。目は半開きで、口角も下がっている。ダメダメ、ちゃんとシャキッとしないと、新田さんに嫌われちゃうわよ、私!グイっと指を口に当て笑顔を作る。テレビ画面に私の他に紙が写っているのに気づく。
「ああ、懐かしいなぁ、これ……。」
壁に貼られていたのは、以前新田さんと作ったこの家での約束事、新田家のルールだった。いくつもルールが書かれているが、新田さんの字は大きく、どちらが書いたルールかよく分かる。その中でも、ひと際大きな字で書かれたルールがあった。
・自分らしく、生きるべし。
******
「俺が一番大事にしてほしいのは、これだな。」
そう言って彼は力強く紙に書き始める。書いていく傍から、私が読み上げていく。
「自分らしく生きるべし……?」
「どうだ、いいだろ。」
「さっきの年相応に振る舞うことと言い、なんかオジサンの説教臭い。」
「うるさいな、実際に説教なんだから、大人しく聞いとけ」
「はーい。」
私の返事に何か不満があったのか、新田さんはゆっくりと息を吐き、語り始める。
「みんな、大人になるにつれてこういうのを忘れていくんだよ、社会だとか、組織だとか言って、みんな自分を殺して、らしくない生き方を強制されるようになる。」
目線をすっと上に上げ、彼はじっと私を見る。
「凛みたいな子はな、本当は、奔放に生きなくちゃいけないんだよ。友達と喧嘩しても、自分のどこが間違ってたのか、悩んで、でも間違ってないって強く思ったり、そんな風に自分に素直に生きてなくちゃいけないんだよ。だけど、凛の自分は社会が多分壊しちまった。お前は社会に適応するために、自分を壊しちまったんだよ。」
「自分自分って、私ちゃんと自分があるよ。新田さんにこうして反発してるし」
新田さんは、にこりと笑った。
「そう、凛はきっとまだ取り戻せる。自分の意志で何かを選ぶことが出来る。だから、ここで凛は自分に正直に生きてくれ。凛がそうしてくれるのを見るのが、俺の一番の願いだ。」
そこまで言い切ってから、新田さんは恥ずかしくなったのか、俯く。
「新田さん。」
「なんだ。」
「やっぱり、オッサン臭いよ。」
「うるせえな」
「でも、ありがと。」
お互い照れくさくなって、さらに目が合わなくなる。その沈黙は、なんだか心地よかった。
********
「自分らしく、生きるべし。か……」
彼と何日も過ごしてきたが、私は自分を掴めたのだろうか。彼が満足するような社会に壊されていない子供に戻れたんだろうか。でも、多分、こんなことを考えているうちは、戻れていないのかもしれない。
私が本当にしたい事はなんなんだろう、新田さんと一緒に過ごす事か、それともそうしない事か。悩んでも悩んでも答えは出ず、ただ帰り道と同じように心臓がぐるぐるするだけで、結局私は今日の晩御飯を考えることにした。
ガチャリと、鍵の開いた音がする。「ただいまー」と、聞きなれた声がする。
玄関に駆け出す私は、いつものように、「おかえり」が言えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます