第12話 教育係と後輩

「よし、今日の仕事終わりっと……。お疲れ様です、お先失礼します。」

 一日の仕事も終わり、荷物をまとめて立ちあがると、いつもの方角からぴょこっと誰かが立ちあがる。誰か見なくても分かる。

「あ、新田先輩仕事終わったんですか?私も今終わったんで、上がります。」

 水原だ。彼女はもう支度が終わっているらしく、荷物をもってそのっまこちらの席まで寄ってくる。


「お前……今日はちゃんと仕事終わらせてんだろうな。」

「も、もちろんですよ、そんな私が仕事してないみたいな言いがかりはやめてくださいよ。それとも証拠あるんですか。」

「こないだの昼休憩の件、忘れたとは言わせないぞ。」

「いや~、あれは何て言いますか……、先輩とご一緒にお昼したいという気持ちの表れと言いますか……。」

 もじもじしながら小声で何か喋る水原、

「私もまだ仕事不安なところがあるんです!それに、新田先輩なら安心ですし……」

 後半に微妙に聞き捨てならないワードが聞こえた気がするが、優秀とは言えあいつも入社して短い、不安になることもあるんだろうと納得する。


「まあ、出来る奴ほど、組織の中じゃ自分で抱え込んで爆発しちまうこともあるしな、不安なことがあったら相談してくれ。」

「はい……、ありがとうございます!」

「なーに二人していちゃついてんのさぁ。」


 俺達が帰ろうとした矢先、真後ろから恨み節が聞こえてくる。振り向けばそこには三ツ谷が立っていた、実に恨みがましげな表情で。


「どうした三ツ谷、朝はあんなに元気だったのに、死にそうな顔して。」

「そうなんだよ、助けて新田ちゃん……」

 負のオーラ全開で肩を掴んでくる三ツ谷、軽くそれをあしらいつつ、三ツ谷の方に向き直る。


「話だけは聞いてやる。」

「それがさ……今日の午後、書類まとめてたら、出たんだよ、奴が……」

「奴って、お前、まさか……。」

「え、もしかしてあれですか、名前を言ってはいけないG……」

 水原と俺が構えるなか、三ツ谷はゆっくりと口を開いた。

「……まだやってない。案件Tが……。」

 三ツ谷から告げられた言葉に、俺も思わず顔が引きつる。


「み、三ツ谷、それ、進捗は……」

「ふっ、まだ半分……」

「それは……お疲れ……。」

 自嘲的に笑う三ツ谷に、今度は俺はポンポンと肩を叩く。男二人が沈む中、水原がきょとんとした顔で、聞いてくる。


「あ、あの、案件Tって何ですか?」

「ああ、楓子ちゃんは知らないか。案件Tっていうのは、主任がらみの案件なんだよ……」

「あの、主任って、朱鷺野ときの主任の事ですよね?そんなにヤバいんですか?いい人だってウチの同期の間でも評判ですけど……。」


 何も知らない水原を見て、俺達は深くため息をつく。まあ、遅かれ早かれ知る話か……?と考えていたら、三ツ谷が自ら話始めた。


「あのね、楓子ちゃん。朱鷺野先輩は確かっに面倒見がいい、俺もあの人には何度お世話になったか分からない。だけどな……あの人はんだよ……。」

「え、それってどういう。」

「あのね、つまり朱鷺野先輩は……」

「私が何だって?」

「ひぃっ」


 噂をすればなんとやら、三ツ谷の後ろに立っていたのは、小柄だ鋭い目つきとオーラを放つスーツ姿の女性が、言わずもがな、朱鷺野先輩だった。若くして主任の席に座るにふさわしい凛とした声で彼女は聞いてくる。

「お話し中の所ごめんね、三ツ谷。」

「い、いえ、大丈夫です、先輩……。」

「頼んだ仕事は?もう終わったの?」

「あ、いえ……まだ……。」

「そう、じゃあ早く終わらせるわよ、今日中には片を付けないと。」

「きょ、今日中ですか……」

「何?私は三ツ谷君なら出来ると思って頼んだんだけど?やっぱり厳しい?」

「いえ!不肖三ツ谷、やらせていただきます!」

 びしっと敬礼をする三ツ谷、それに朱鷺野先輩も満足げにする。


「そう、それでこそ私の見込んだ三ツ谷君。終わったらちゃんとご褒美あげるから、ラストスパート頑張って!」

 肩を叩かれ敬礼を解き、にへらと笑ったたかと思うと、三ツ谷はあっという間に自分の席に戻り、一心不乱に仕事を始めた。朱鷺野先輩はそれを確認すると、満足げに微笑み、こちらに振り返った。


「新田君、いつもウチの三ツ谷がお世話になってるわね。」

「いえ、主任こそ、遅い時間までお疲れ様です。」

「主任なんて、朱鷺野先輩で大丈夫だよ。もう上がり?」

「はい、丁度今日の分は終わったんで」

 朱鷺野先輩はそう、と頷くと、水島の方に顔を向ける。俺達が余計なことを吹き込んだせいか、視線を向けられて少し背筋が伸びる水島。

「水島さんよね。若いのに優秀だってよく聞くわ、こないだのプレゼン資料も良く出来てた。」

「いえ、そんなことないです、私なんてまだまだひよっこですし、新田さんがつきっきりでご指導くださったお陰です。」

 真面目な顔でぺこりとお辞儀をする水原に、朱鷺野先輩は少し困ったような顔をする。


「褒められた時は素直に受けっとっておきなさい。まあ、教育係のお陰も一理あるかもね。」

「いえ、とんでもないです。全部こいつの実力です。」

「二人とも似た者同士ね。」

 先輩はふふっと笑い、再度三ツ谷のデスクの方に目を向ける。

「それじゃあ、私は仕事に戻るわね。二人は?この後飲みにでも行くの?」

「いや、偶然帰りが一緒になっただけです。」

「そう、残念。じゃあ気を付けて帰ってね。」


 先輩は本当に少し残念そうな顔をして、そのまま自分の席へと帰っていった。先輩は途中三ツ谷の席に寄っていき、あの席から「ひゃい!」みたいな奇声が聞こえた気がしたが、気にせず帰ることにした。同じ方向から恨み節が聞こえた気もしたが、それも気にしないことにした。


「まさか朱鷺野主任があんな人だったとは……」

 帰りの駅に向かう途中、水島は先ほどの光景が衝撃的だったらしく、少し沈んだ顔をしていた。


「あー、まあ確かに主任はスパルタだけど、正確にはそうじゃないんだよ。」

「……と、言いますと?」

「あの人は基本的に出来ると思ってる仕事しか回さないんだよ。人をみる目がすごいあるから、その人に分相応の仕事を振り分けるのが超うまい」

 そう説明すると、水島は意外そうな顔をする。


「三ツ谷先輩ってそんなに期待されてるんですね、正直、あんまりそんなイメージなかったんですけど、ちゃらちゃらしてる風に見えて、裏では実績バリバリーみたいなタイプなんですか?」



「いや、三ツ谷は基本的にあんな感じだよ、裏も何もない。」

「じゃあなんで、」

「アイツはな……手を抜くのがめちゃくちゃうまいんだよ、何やらしても効率よく終わらすし、そのくせ苦労してる感じを出すのが上手いから、上から見ても突出してるように見えない。そんな感じで大学でも、うまい事目立たずやってきたらしい。」

「なるほど……結構タチが悪いですね……」

 少しいやそうな顔で答える水島、努力で仕事が出来るようになった彼女からすれば、三ツ谷の様なタイプは受け入れがたいものがあるのだろう。


「でも、あいつの教育担当が朱鷺野先輩になったのが運の尽きだったんだ。アイツも新人時代適当に楽しようと考えてたらしいんだけど、朱鷺野先輩は完全にアイツが手本気出してないことに気づいてたみたいでさ。それから、教育が終わっても、あのざまって訳。」

「成程、ざまぁないですね。」


 ふふっと黒い笑みを浮かべる水原、すまん三ツ谷、お前の株絶賛下がってるわ……。ていうか君水原に何したの……


「まあ、朱鷺野先輩としては三ツ谷はホントは出来るんだぞって所を上に見せたいらしいし、三ツ谷としても先輩に恩義はあるし、自分のために残業してくれてると思うと、なかなか断れないらしいよ。」

「案外いいコンビですね、あの二人。」

「そうかもな。」


 そんな話をしていると、最寄り駅に到着した。混雑のピークは過ぎたかと考えていたが、駅の中は人でごった返していた。


「この時間にしてはずいぶんと多いな……」

「あー、何か、近くの駅で事故があったみたいですよ、丁度それで私たちの乗る電車、遅延してるみたいです。」

 スマホをスクロールしながら、水原が教えてくれる。

「まじか。」

「安全確認とかで、まだ復旧の見通し付いてないらしいですし、これは結構かかるやつですね……」


 確かに人込みの隙間から改札の方を眺めてみると、駅の職員であろうオジサンが早く帰りたがっている人々を返しているのが見える。

 凛の奴大丈夫かな……、まあ食べ物はあるからどうとでもなるか……?こういう時に連絡手段を持っていないのがなんとももどかしい。


「あ、あの……新田先輩。」


 そんな家で一人待つ家出少女の安否を考えていたところ、おずおずと水原が声をかけてきた……。


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