第5話 アラサーとお弁当クライシス
彼女だ彼女だと興奮し、話を聞こうとしない水原を宥めて、カフェスペースの二人が座れる相席に腰を下ろす。ひとしきり興奮したのか、水原は俯いて座っていた。
「……」
「落ち着いたか。」
「はい、すいません。」
ごにょごにょと喋る水原
「先輩に彼女が出来たかと思って、つい、興奮して……」
「そんなこと言うなよ、傷つくだろ……」
「いや、そういう訳じゃなくって!……いや、なんでもないです。」
何か言おうとして、水島は再び俯く。
「まあいいけど。職場であんな風に騒ぐなよ?俺もお前も白い目で見られるぞ。」
普段からやかましい奴だとは言え、こういう反応をするのは珍しい。とはいえ、注意しておかねば、水原が損をしかねない。
「はい……」
あれま、とはいえ普段はあんなにやかましい水原が今日は随分としおらしい。言いすぎたかと思い、俺もフォローをはさむ。
「と、とはいえ、お前は普段からやかましい方だし、今回の事もそこまで皆も深刻には捉えてないと思うぞ。」
ぶっちゃけ損したの俺だけな気もするけど……とは思っても言うまい。しかし、水原は沈んだまま。こういう時に掛けるべき言葉が思いつかず、俺も思わず頭を掻く。
賑やかなカフェスペースの一角で、俺達だけが別れ際のカップルみたいな重苦しい雰囲気を醸し出していた。
「その……」
沈黙を破ったのは、水原の弱弱しい声だった。
「私が社会人になってから一番お世話になったのって新田さんなんです。」
「と、突然どうしたよ……」
なんだか照れる話だが、水原は言葉を続ける。
「私、入社したての頃は全然資料の作り方も分かんなかったですし、パソコンも、人並み以下で、色んな人にどやされて、それでも、私はへらへら笑う事しかできなくて。」
水原はぽつぽつと、説明を始めた。今までに見たことないその深刻そうなトーンに、俺は黙っている他なかった。
「でも、そんな私に先輩は根気強く仕事を教えてくれて、私がミスして怒られてたら、フォローして、代わりに怒られてくれて……だから、私、先輩のために仕事できるようになろうって、自分の教育担当が私で良かったって、そう思われるように頑張ろうって、そう思ったんです。」
イマイチ今回の騒ぎとのつながりが分からないが、それでも水島の話は聞いてて嬉しいものだった。
「なので、私、新田先輩に彼女が出来たって聞いたとき……。」
「お、おう……」
ガバっと顔を上げる水原、大きな丸い目には今まで見たことがない「凄み」があった。俺は彼女の目から視線を逸らせず、ゴクリと喉が鳴る。
「正直、同担拒否だなって、そう思ったんです!!!」
「………は?」
聞きなれない言葉に思わず聞き返してしまう。
「だから、同担拒否です同担拒否!先輩知らないんですか?」
「あ、ああうん、初耳……。」
完全に水原の勢いに圧倒されるが、それでも彼女は止まらない。
「あーこれだからアラサーは……、いいですか!同担拒否っていうのは、誰かに自分と同じ人を推してほしくないって気持ちなんです!推しを独り占めしたいっていう、そういう気持ちです!」
いかん、知らない単語を知らない単語で説明された。
「あの……その推しっていうのは、何?なんていうか……好意?みたいな?そんな感じ?」
「は?推しは推しです!それ以上でもそれ以下でもありません!好意とか調子乗らないでください!」
「あ、はい……すみません。」
この子ホントに俺の事尊敬してくれてるんだよね?今調子乗るなとか言われたけど
「いや、私も普段オタ活してる時には、同担拒否なんて界隈を小さくするだけだと思っていたんですけど、新田さんに彼女が出来たって聞いたときに、私気づいたんです。あ、私、新田さんの同担拒否なんだな、って……。」
今までで一番饒舌に喋る水原は、知らない世界の住人に見える。というか、興奮してかまだ勘違いをしている。
「あのな水島、俺、別に彼女なんて出来てないぞ……。」
「え、いないんですか?」
ああ、なんともみっともないが、これが事実だ。不思議そうに尋ねる水島に俺は力強く首を縦に振る。
「え、じゃあ、これは?」
そう言って彼女が指さすのは、机の上に置かれた弁当。何を隠そう凛が作ってくれたものなのだが……。確かにこの弁当について彼女の疑惑を解くのは難しい。彼女の教育係になってから、俺は一度も弁当なんて作った試しがない。今更俺が作ったなんて言っても、およそ信じてくれないだろう。
とはいえ凛の事を赤裸々に話そうものなら一発KO間違いなし、社内どころか社会で生きられなくなってしまう。どうする新田、この窮地を脱するには……。
「えっとなぁ水原、実は……」
********
「へえ、姪っ子さんが来てるんですか。」
「そ、そう!丁度学校も冬休みみたいでさ。今遊びに来て料理とか、色々作ってくれてるんだよ。」
「なるほど、料理の出来ない新田さんに代わってお弁当ですか……。」
「別に出来ないって訳じゃないが……」
脳裏に卵抜きオムライスの記憶がよみがえり、大人しくしておく。
「まあそういう事であれば、信じます。その方が私も幸せですし。」
「じゃあ、そうしてくれ……。」
完璧に解決したとは言い難いが、取り敢えずこの場を収めることは出来たのであった。
「んで、お前は昼めしどうするんだ。見た感じなんも買ってないんだろ?」
「あー確かに、じゃあ、私ちょっとそこのコンビニで買ってきます!」
「おう、行ってらっしゃい。」
「私が帰ってくるまでに食べ終わんないでくださいよ。」
「どんだけ食べるの早いと思ってんだよ。大丈夫だから、行ってこい。」
「はーい」
絶対ですからね~と言いながら走りやすくは無いであろうスーツで出せる全速力で水原はみるみるコンビニへと駆け出して行った。そもそもおっさんはそんなに早食い出来ないんだよ、水原……
さて、と切り替えて俺は目の前の黒い弁当箱に目線を向ける。いつかのフリーマーケットで買った色気も何もない弁当箱、ちゃんと自炊を始めようと思ったがそのまま棚の肥やしになっていたコイツであったが……。
「まさかこんな形ででデビューを果たすとはな……」
「あれ、その弁当新田ちゃんが作ったやつじゃないの?」
突如後ろから声を掛けられ、バッと振り返ると、そこにはよく知った顔の男がにやにやとしていた。
「なんだ、三ツ谷か……」
「オッス新田ちゃん、ここいい?」
俺が返事をする前に三ツ谷は横のテーブルから椅子を引っ張り出して座る。……この三ツ
「お前、こないだ一緒にご飯食べてた子はどうしたんだよ。」
「あー、あの子、別に何にもないよ、ご飯一緒に食べて、それだけ。」
「それだけってお前……」
こういう事をそれだけと言い切れるのが三ツ谷の凄い所だ。一々突っ込むのも面倒だ。俺が埋めようのない差を感じていると、三ツ谷も不思議そうに聞いてくる。
「別に新田ちゃんだってとたまに一緒にご飯食べてるでしょ?」
「お前、水原だぞ?お前のとは訳が違う。」
「ふーん、っていう事は、それ楓子ちゃんが作ったのでもないんだ。」
三ツ谷の目線の先には黒い弁当があった。ここで水原と違う説明をしても後から面倒なだけなので、同じ言い訳をしておく。
「これは、その、俺の姪っ子が作ってくれたんだ。」
「ふーん、姪っ子。」
「ああ、ちょうど今ウチに来ててな。」
三ツ谷はフーンと言いながら、近くのカフェで買ってきたおしゃれなサンドイッチを取り出す。
「っていうかさっきはそれで揉めてたんだね。」
「まあな」
「水原さんの声、結構響いてたし何の修羅場かと思ったよ。」
「お前、見てたならそこは止めろよ……」
うんざりする俺を気にも留めず、三ツ谷はサンドイッチを齧りだす。それを見て俺も中身すら知らない弁当のふたを開ける。その中には何と……
「卵焼きにウィンナー、から揚げに野菜炒め、そしてプチトマト……なるほど、中々鉄板と言った感じですね。」
「水原、お前いつからそこにいた。」
「丁度今帰ってら先輩がお弁当の蓋開けてるのが見えたんで、ダッシュで来ました!」
「お前、その熱量をもう少しさっきの資料作りに見せてくれないか……?」
少し息を切らしながら帰ってきた水島はそのまま席に座り、コンビニの袋からサラダとパンを出す。「あ、サラダ崩れてる!」走るからだ、ざまあない。全員揃って、やっと俺はまともに昼食にありつくことが出来た。
まずはどれから食べるか……やはりここは王道の卵焼きか?それともから揚げ、いや、野菜から食べた方がカロリーの吸収が抑えられるんだったか……
「……じーっ」
「うーむ……」
「………じーっ」
「うーむ………」
「それっ!」
「あ、お前、俺の卵焼き!」
「いただきまーす。」
俺が悩んでる隙に、伸びてきた割りばしによって取られた卵焼きは、あっという間に水島の口の中に消えていった。
「すみません、何となくムカついて……って、うまっ、何この卵焼き……」
「お前人の弁当になんてことを……」
「いや、勝手に食べたことは謝りますけど、それよりこの卵焼き、めっちゃおいしいですよ!」
ほら、早く食べて食べてと猛プッシュされて、俺は一つ卵焼きを食べる。
「うまっ……!」
俺好みの少し甘めの味付けに、冷めても問題ないように少し柔らかめに作られた卵焼きは昼の今でもふわふわになっている。正直今まで食べた卵焼きの中で一番うまい。
「でしょ!すごいおいしいですよね、なんていうか、すっごく丁寧に作られてるって感じです……!ほら、三ツ谷さんもどうぞ」
「いや、俺は大丈夫だよ。新田の姪っ子さんに悪いし。」
なぜ水原が得意げなのかは分からないが、実際うまい。凛の料理技術に驚きつつ、一口一口かみしめる。
「今度お礼しないとな……」
「お礼って何するんですか?」
「そうだな……」
と、ここまで考えて、俺は凛について何も知らない事に気づいた。彼女が何を好きで何が嫌いなのか、得意料理は何なのか、どんな服が好みで趣味は何なのか、お互いにまだ何も知らないけれど、それでも一歩ずつお互いに知ろうとしてるんだって、この卵焼きは、そんな味がした。
「何ですか先輩、お弁当食べながらにやにやして」
「そんなにおいしいんだったら、僕も一口貰っていい?」
「いや、これは全部俺のもんだ。」
午前の疲れは吹っ飛び、午後からの、そしてこれからの元気を貰えたような昼休みだった。
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