第39話

 翌日はほぼ会話のないまま朝を過ごした。もちろん仕事中に晴と話すことは無い。


 目の端で晴とかおりを追いつつ、杏子の気持ちは落ち込んだり燃えたりを繰り返す。


 二人の仲の良さは、遠くで見ていてもすぐわかる。仕事以上の関係なのでは、とみんなが噂を始めるのも理解できた。


 かおりは美奈子によれば晴を落とす気満々だということで、そう言われるとそんな風に見えてくるから不思議だ。


「――大冨さん、大丈夫?」


「え、ごめんなさい、なんでしたっけ?」


 杏子の返しに、困った人だなと要は笑った。本日、杏子は要とディナーだ。洒落た雰囲気のお店だが、格式張っているわけでもなく入りやすい。


 楽しく会話をしていたはずだったのだが、杏子の心は一瞬だけどこかへ飛んでいたようだ。


「ワイン、赤と白どっち頼もうかって話。お酒は止めておく?」


「飲みます。がぶがぶ飲みます。飲みたい気分です」


「ははは、じゃあ、俺のおすすめでもいい?」


「もちろんです!」


 要はそれから美味しそうな食べ物も選んでくれる。要に失礼だと思いつつも、杏子は昨晩の晴の顔が忘れられなかった。


(あんな顔するなんて……)


 それは、始めて晴と繋がった後の、彼の顔と重なって見えた。


 破裂しそうなほど切ない視線に、杏子は心を揺さぶられてしまった。文字通り、晴のことを忘れられないようにされたらしい。


 たかが視線一瞬だけだったのに。


「杉浦さん、今日はたくさん食べてたくさん飲みます」


「じゃあ、お腹いっぱいで動けなくなるまで食べようか」


「はい!」


 美味しいお酒に美味しい料理に、杏子の気持ちは満たされていく。


 楽しい時間が長ければ、家に帰って寝るまでの間に余計なことを考えなくて済む。

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