第6章 お互いの意識

第37話

 要からディナーのお誘いが来たのは、それから数日経ってからだ。


 仕事が忙しくキリキリしていたので、杏子は息抜きにいいかなと思ってOKの返事をした。


 要とはプライベートでのやり取りはほとんどないものの、会社ではよく話す。たまにランチも一緒にするのだが、嫌みのない性格は好感が持てた。


「ただいまー」


「おう、おかえり」


「あれ、晴帰ってたの?」


 ああ、といつもより低めの声で返事が聞こえてくる。晴は会社から持ち出した資料を、難しそうな顔でチェックしている。


「すぐご飯にするから待ってて。パスタでもいい?」


「あー昼飯がパスタだったんだよな。かおりが食べたいっていうから」


「かおり?」


 キッチンでエプロンをしてから振り返ると、うん、と晴が頷く。


「水谷かおり。俺と石原さんの補佐の。こないだ引き抜きで来たって紹介されてただろ?」


「ああ、あの美人な人ね……って、呼び捨てなの?」


 杏子が驚いていると、晴が資料から顔を上げてニヤリと笑った。


「かおりも俺のこと晴って呼ぶけど?」


「はあ、そんなもん? 上司と部下でしたよね?」


「かおりも海外で生活してたことがあるから、下の名前のほうが呼びやすいっていうんでそうなった……あんこ、その顔はヤキモチ?」


 杏子は眉間に集合していた皺を解散させる。


「違う違う。そんなんじゃ――」


「俺しばらく遅くなるから」


 杏子の言葉にかぶさるように、晴は資料に視線を戻すと続けた。


「プロジェクトも思った以上にでかい。石原さんとかおりと、夜も打ち合わせと接待があるから」


「頑張ってね。ちなみに今夜はパスタ決定だから」


 つっけんどんに言うなり、杏子はすぐさま料理に取り掛かった。


 パスタと言っても晴の好きな和風のパスタだ。バターでキノコを炒め始めると、晴がニヤニヤしながら後ろから抱きついてきた。


「あーんこ。ヤキモチだろ、それ」


「違うってば」


「俺とかおりが遅くまで一緒にいるの、不安?」


「違うってば……あ」


 要に食事に誘われたことを思い出し、杏子は首をよじって晴のほうを向く。


「私も明日遅い。食べてきちゃうから」


「……男?」


 晴はなぜこんなにも鋭いんだろうか。


「うん、まあ……」


「ふーん。俺の知ってる人?」


「さあ?」


「ちっ。まあいいや。俺もかおりと遅くなるから」


 確実に杏子の不機嫌を煽る言いかたをして、晴は杏子から離れた。


 杏子はイラっとして、出来上がったパスタに晴の苦手な唐辛子を思い切りかけたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る