第34話

「ただいま」


「遅いぞ、あんこ。俺を待たせるとはいい度胸――」


 玄関に飛び出してきた晴は、杏子を見てストップした。みるみる不機嫌な顔になる。なんだか杏子は不安になってきた。


「……やっぱり変?」


 晴はふんと鼻を鳴らしてくるりと振り返る。


「遅かったから夕飯俺が作った。明日、あんこが朝食作れよ」


(なにも言わないってことは、大丈夫ってことだ)


 杏子はホッとして家に入る。晴は帰りを待っていたようで、豚肉と野菜の炒め物をさっとフライパンで温め直すと食卓へ出してくれる。


「わ、美味しそう……! ありがとう、晴」


「遅くなるっていうから会議かと思ったら、美容院だったわけ?」


「美奈子が連れていってくれたの。お化粧品も買っちゃった」


 食べながら今日の出来事を話すと、晴は面白くなさそうな顔をした。


「彼氏つくる気になったんだ」


「勝負だからね」


 晴はふーんと言いながら、じっくり杏子の顔を見つめてくる。「なによ?」と訊けば「別に」という答えが返ってきて歯切れが悪い。


「私に彼氏ができたら、付きまとわない約束でしょ。だから頑張ろうと思ったわけで」


「そんなに俺のこと嫌い?」


「そんなことない。でも晴は晴だから。私以外に目を向けてほしい」


 確かに身長も大きくなったし、腰が抜けるようなキスもできるような大人になったけれど、やっぱり杏子にとって晴は晴だ。


「あんこに彼氏ができたら、俺だって彼女つくるんだからな」


「向井課長はおモテですから、すぐに素敵な彼女と結ばれるでしょうね」


「あんこ。お前それ、意味わかってる?」


 わかってるよ、と睨んだところで、晴の真剣な瞳と目が合った。


「俺があんこ以外の女とキスしたり身体をくっつけたりするの、あんこは平気なんだな」


 杏子は言葉に詰まった。


「俺がキスしたりちょっかい出すのが無くなるだけだと思ってるんだろ? 違うぞ。今まであんこにした以上のことを、俺が他の女とするんだからな」


 とどめの一撃は杏子の胸に深く刺さった。


 彼氏をつくれば晴の束縛から解放されるとばかり考えていた。だから、自分に懐いている晴が、突然いなくなってしまうということを理解していなかった。


「どうなっても知らねーからな」


 晴は不機嫌な様子で黙々と夕食を食べる。杏子はそれ以上箸が進まなかった。

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