第5章 変化

第30話

 出社した直後に杏子の携帯電話が鳴る。ディスプレイを見ると母からだ。


「――もしもし?」


『杏子、晴くん帰って来たんだって? しかも同じ会社ですって!?』


「っていうか、晴うちにいる」


『そうなの!? いつまでも二人は仲良しさんね!』


 相変わらず、能天気が極まっているようだ。母は「良かったわ、安心」などと呟いている。


「晴がいるほうが安心じゃないわよ」


『だって女の子の一人暮らしは危ないもの』


「もう学生じゃないんだけど」


『でも杏子は抜けてるでしょ。その点、晴くんはしっかりしているもの』


 晴は外面がいいだけで、と言おうとした杏子の携帯電話が取り上げられる。晴が杏子の携帯を掴んでいた。


「もしもしおばさん、元気にしていますか?」


「あ、ちょっと晴――!」


 杏子は慌てて非常階段の人が来ない所へ晴を引っ張った。


 他の人に見られていないかドギマギしている間、晴は母と楽しそうに話をしている。


「きょうちゃんの部屋に居座ってるのに、連絡遅くなってごめんなさい。うちの両親は大丈夫ですよ、隣の県で元気にやっているんで」


(いつもはあんこあんこって呼ぶくせに……)


「いえいえ。俺のほうが甘えっぱなしで。社宅の予定だったんですけど、きょうちゃんが一緒に住まないかって誘ってくれて助かりました」


「――言ってないわよ、なに勝手に捏造してんの!」


 電話を取り返そうとすると、壁に押しやられて追い詰められる。


 紙の一枚も入らないほど詰め寄られて、杏子は身動きも抗議もできないまま、晴の指に首元と鎖骨を触られて飛びあがった。


「びっくりですよね、同じ会社なんて……俺、運命感じちゃうな。え、お嫁さんにくれるんですか? おばさん公認なら今すぐ結婚しちゃおうかな!」


「晴――!」


 晴の指は今度、杏子の耳を撫で始めた。


「いやいや、俺がきょうちゃんを愛していたとしても、彼女の意思がありますからね。俺なんか相手にしてくれないかもですし……」


 両脚の間に、晴の膝が割って入ってくる。さらにちらりと意地悪な目で見つめられて、杏子は自分でもわかるくらい身体が熱くなる。


「いえいえ。今度きちんと伺います。はい、伝えておきますね、それじゃあ失礼しまーす」


 杏子が止める間もなく電話を切ってしまい、晴は杏子へ携帯電話をポイっと返す。


「良かったな。結婚してもいいっておばさん言ってたぞ」


「バカ!」


 悪魔のような笑顔で舌を出され、ムッとして言い返そうとしたのにキスされて塞がれた。


 朝からするには甘くて深すぎるそれに、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。


「……親公認の俺よりも素敵な彼氏をつくれるかな?」


 耳にキスをすると、ニヤリと笑って晴は非常階段から出て行く。杏子は熱くなった身体を冷やすために、しばらくその場で座り込んでいたのだった。

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