第28話



「あんこ、泣いた?」


 帰宅して先にお風呂に入ってばれないようにしていたのに、部屋に戻って来るなり晴は確信的に言い放った。


「え……っと!? なんのこと?」


「はぐらかすなよ。泣いただろ」


「お帰り。ご飯できてるよ」


「言わないつもり?」


 ネクタイを緩めながら、晴は詮索するような視線を向けてくる。


「私には彼氏がいなさそうって陰で言われてるのを聞いちゃったの。それで元彼のこと思い出して」


「そんなんで泣いたの?」


「そんなのってなによ」


 晴は袖口のボタンとシャツのボタンも外し、コンロの前に立つ杏子に後ろから覆いかぶさるように立った。


「彼氏なんかいらないだろ? 俺でいっぱいにしてあげるのに」


「それじゃあ勝負にならない」


「風呂上りとか無防備すぎ」


 反論しかけたところで、うなじに優しく晴の唇が触れた。


「言ったよな、あんこをいじめていいのも、泣かしていいのも俺だけだって。俺以外の奴の言動で泣くの禁止。たとえ女子でも」


「どうしてそう嫉妬深いの!」


 がぶ、と晴の歯が杏子の首筋に齧りつく。八重歯が食い込んで痛いのに、舌先で皮膚をなぞってくる刺激に頭がおかしくなりそうだ。


 痛みを我慢していると、晴の指が杏子の口の中に入ってきて舌を撫でた。


「忘れるくらい俺がもっと泣かしてやろうか?」


「いい加減にし――」


 やかんが沸騰する音によって、会話もなにもかも途切れた。ちぇっとあからさまに舌打ちをして、晴は引き下がっていく。


「今後、俺の居ないところで泣いたら許さない。泣く時は俺の前でのみ。わかった?」


「……どうして素直に心配してくれないのよ」


 いつだって、晴は杏子のことを心配してくれる。ただ、言動と気持ちが天邪鬼すぎて、非常にわかりづらい。


「俺の前で泣いたら、嫌ってほど可愛がってやる」


「そんなことしないけど……ありがと、晴」


 不満そうだったが、杏子が用意しておいた夕食が美味しかったのか、目をキラキラさせた。杏子は胸の中のつかえが取れていく。


(……忘れよう、主任のことは)


 前を向かなくては。杏子は晴の食べる姿を見ながら、気持ちがほぐれていくのを感じた。

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