第26話

 晴に資料室でからかわれた午後、杏子は不機嫌を顔にあらわにしながらパソコンと戦った。


 大冨になにかあったのか? と疑問に満ちた囁き声が聞こえてくる。


「彼氏に振られたとか……いや、そもそも大冨さん彼氏いなそう」


 休憩ブースでコーヒーをと思ったら、事務員たちが杏子の噂話をしていた。


 いきなり噂話の主役が登場してしまい、とても気まずい。彼女たちもしまったという顔をし、取り繕うように別の話題に変えて会釈をして去っていく。


 彼女たちを見送ったあと、杏子はコーヒーをマグに注いだ。


「……彼氏欲しいなぁ」


 心の声が漏れ出てしまう。すると近くから「え?」というびっくりした声が聞こえてきた。そちらを向くと、見知らぬ男性が立っていた。


 男性はの瞳に、明らかに動揺が浮かぶ。


「えっと……そのっ今のは……」


 男性はコーヒーを持った手とは反対の手で口元を覆いながら、ごほんと咳払いをした。


「……俺も、彼女欲しいなぁ……」


 男性は杏子と同じようなことを呟いてから、チラリと杏子を見て笑った。


 先ほどのことをスマートに気遣ってくれたのだと気がついて感激していると、彼の指がデッキのほうを指さした。


「気分転換に、あっちで話しません?」


「……そうですね」


 柔らかい物腰もあって、杏子の人見知りバリアは働かなかった。彼の優しい笑顔に安心して、デッキまで歩いていく。


「俺、経理課の杉浦要すぎうらかなめです」


「販売課の大冨杏子です……さっきは変なこと呟いちゃってごめんなさい」


 要はふふふと笑った。


「大冨さんは仕事ができるってよく聞きます。そんな人が赤裸々に呟いてるからびっくりしました」


「ああ……ごめんなさい」


「褒めてるんですよ」


 重ね重ねフォローされてしまい、杏子は恥ずかしくなってくる。


「大冨さん、フリーなんですか?」


「恋愛にご縁がなくて、年頃なのに焦りもせず仕事ばかりです」


「女性もキャリアアップできるし、仕事を優先する人は多いです。結婚は相手とタイミングがありますし、焦っても良くない結果になりますよ」


 見上げると、要はにこっと笑う。


「俺は三十五なんで周りのみんなは結婚していますが、いい話は想像より少なめかな」


「そうですか。なかなか、難しいものなんですね」


「年齢重ねると、臆病になりますからね」


 杏子は大いに同感、と首を縦に大きく振った。

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