第10話
「はい、これどうぞ」
タイミングよく差し出されたおしぼりを受け取ろうとして、杏子はぎょっとした。相手が晴だったからだ。
「こぼれてますよ、大冨さん」
「あ、うん、あ、はい……」
「拭いてあげましょうか?」
けっこうですと言う隙もなく、晴は杏子の鎖骨下を拭き始める。戻ってこようとしていた美奈子は『お邪魔かな?』という顔をするなり、別のテーブルに行ってしまった。
「美奈子、行かないで……!」
晴のせいで一人になってしまう。晴からおしぼりを取りあげようとするが、華麗にかわされてしまった。
「それ以上こぼすなよ、下着が透けるぞ」
慌てて自分の胸元を見ると、シャツに広がる染みが下の肌を透かしている。
「……色気ないんだから別にいいでしょ」
「あんこ」
拗ねて睨みつけると、突如真面目な声で名前を呼ばれる。杏子の身体は無意識にびくりと震えた。
「お前は俺のだからな。大勢の前で肌を見せる許可を俺が出すわけないだろ。化粧室で乾かして来い。それともそういう趣味になった? それなら俺もそのつもりで――」
杏子はお皿とグラスをドンと机に置くと、そのまま化粧室へ逃げた。
「なんなの晴のバカ……!」
ハンドドライヤーの巻き上がる風に身を乗り出していると、だんだんと染みが目立たなくなっていった。
「ここまで乾けば文句ないでしょう」
鏡の前に立って、そして自分を見てどことなくがっかりする。
事務職の子も、美奈子も女性らしくてかわいい。比較しても仕方がないが、営業補佐という職も相まって、杏子の女性らしさは廃れている。
いつでも動きやすいパンツスタイルにローヒール。髪も一つ縛りで、お化粧は身だしなみ程度。口紅も付け忘れるくらいで、外回り時にはペアの営業に指摘されることもしょっちゅうだ。
新卒で入った時の会社にいた頃には気をつけていたのに、職種がハードなこともあって仕事でもおしゃれに気を遣うのを忘れてしまっていた。
「なんでこんなに、自分に自信が持てないんだろ」
大人になっても、中身は子どもの時と同じ臆病だ。多少は変わったとしても、根本は変わっていない。晴と同じように――。
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