第2章 歓迎会

第9話

「それじゃあ向井くん、挨拶をよろしく!」


 部長の拍手で立ち上がった晴は、人たらしの笑顔をみんなに向ける。


「二年の出張から戻ってきました、向井晴二十六歳です」


 盛り上がっているのを、一番後ろの席から胡散臭そうに杏子は眺めていた。


 まさか、杏子をいじめていた幼馴染の悪ガキと再会し、しかも役職まで抜かれるという最悪な展開だ。


 さらに。昔からの人たらしな晴の性格によって、すでに全員が晴の味方だ。あの美奈子でさえ、『晴は悪魔だ』という杏子の主張に疑問を持っている。


(まずい、このままじゃまた晴の天下になっちゃう……)


 幼少期は悪のガキ大将として君臨したあと、杏子の知らない高校時代の晴は恐ろしくモテたという話を聞いている。


 たしかに顔はびっくりするほど可愛い。人好きのする笑顔と憎めない八重歯。いつの間に大きくなった体格が、犬みたいな人懐っこさをさらに際立たせている。


 しかし杏子は、そんな晴の外面には騙されない。


 晴は杏子の前でだけ豹変するのだ――まるで悪魔のように。


「まだまだ新人みたいな未熟者ですが、よろしくお願いします。あ、あと、今日のお店を選んでくれたのは幹事の大冨さんです!」


 急に話を振られて、杏子はびっくりして肩を震わせた。


「俺のわがまま聞いて、オシャレなお店のチョイスありがとうございます!」


 地味な杏子がこんなオシャレな店を選ぶわけない、という視線を感じたのだが、それを晴の勢いが払拭してしまう。もうすでに晴の天下になりつつある。


(絶対マズイ、このままじゃマズイ……)


 杏子の胸の内の不安をよそに、にぎやかな歓迎会が始まった。


 立食形式のワインバーがあるお店を半分貸し切ったので、いつものお店との違いにみんなの笑顔が弾む。


「杏子、センスいいじゃん!」


 美味しそうなものをプレートにたくさん取り分けて満足そうな美奈子が、杏子の隣へやってきた。


「楽しそうでよかった」


「やだ、この生ハムすっごい美味しい!」


「ほんと、楽しそうでよかったよ」


 各テーブルには背の高い椅子がランダムに置かれており、席を決めずに食べて会話ができる。人を選ばず気軽に話ができる上に、オシャレなので女子社員も喜んでいるようだ。


「こんなにオシャレなお店なら、もっときれいな格好して来ればよかった」


 美奈子が口を尖らせた横で、杏子がため息を吐く。


「いつもきれいだからいいじゃない」


「んもー! 杏子ったら素直なんだから!」 


 美奈子はおかわりを取りに席を離れていく。杏子はと言えば食欲がなく、どうしようか悩んでいるうちに手元が滑ってお酒を胸元にこぼしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る